(ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会)
2008年8月21日


■今年の夏休みは家族でベトナム支援の旅に出ました。三島、沼津の人々を中心に10年以上前から、ベトナム戦争時にアメリカによって散布された枯れ葉剤の後遺症に苦しむ人々を支援する会があることを知りました。


 中心的な役割を果たされている、テレビ朝日元ハノイ支局長 北村 元さんのブログに分かりやすく書かれています。少し紹介しますと、


★ アメリカが散布した枯れ葉剤はどれほどの量なのか?


アメリカの公式発表では、ベトナム戦争が終わる1975年4月までに、約8千万リットル の枯れ葉剤が、主としてアメリカ空軍によりインドシナ半島に撒布されました。そのうち、98%が旧南ベトナムに撒かれています。その中に、人工物で一番強烈な2,3,7,8-TCDDというダイオキシンが約400キログラムも含まれていました。今でも、旧アメリカ軍基地の周辺では、残留ダイオキシンの高い数値が出ています。こういう重度汚染地帯がベトナム南部には30カ所ほどあるといわれます。


★ベトナムには、どのくらいの枯れ葉剤の被害者がいるのですか?


 まだ貧困から抜け切れていないベトナムでは、枯れ葉剤患者の正式な全国統計がありませ ん。国家予算の中に調査費用が計上できないからです。しかし、アメリカの新聞が報じた440万人は、かなり根拠のある数字だと思います。そして、多くの人が年間の生活費200米ドル以下で暮らしています。


★アメリカはベトナムの被害者に賠償したのでしょう?


 アメリカ政府はベトナムなどの被害者に賠償を認めないばかりか、被害の存在すら否定する態度です。アメリカ国内の被害者(元兵士ら)に少額の補償をしたのは、枯れ葉剤を製造した化学会社です。国内の被害者には援助するが、海外にはしないという裏腹の姿勢を見せています。2005年3月の裁判では、アメリカ政府の希望通り、ベトナム被害者の訴えを棄却しました。



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■今年はあいあい眼科クリニックを初めて20年目にあたります。何か記念になることができれば、と考えている矢先のことでした。今沢に住む音楽療法士 新谷文子さんと知り合いになり、その縁で事務局長を務めておられる宮尾和宏さんにもお会いして、家族での参加を決めました。拓磨は来年の国試へ向けての勉強があり今回はパスしました。


 澄代と希実、彩香と四人での旅です。朝3時20分に起床し、車で沼津駅北口へ向かいました。4時10分に到着。それぞれが分担していた寄贈する予定の衣類などの荷物を運んできました。4時25分、駅から成田行きの高速バスに乗り、成田空港に直行しました。午前7時空港に到着。


 7時には閑散としていた空港も、9時を過ぎて混雑してきました。先ほど、拓から誕生日祝いのメイルをもらいました。本当に気の付く優しい青年に成長しました。ぜひとも彼の夢が叶って欲しいものです。最後まで父として応援するつもりです。9時半にはベトナム航空の搭乗手続窓口も長蛇の列。11時発ベトナム航空 VN955便にて出発。


 4時間50分ほどで、ハノイ空港到着。気温33度。強烈な日差し。これでも季節的には夏の終わりから初秋だそうです。現地時間午後2時45分頃バスにて空港を出発。とにかく暑い。通訳のベトナム国家大学女子大生アインさん。外務省のタインさんもバスに同乗してくれました。中国の国境までは8時間ほどとのこと。北村さんの旅の説明を聞きながら、いよいよ旅が始まったとの実感が湧いてきました。







ハノイ空港に集まったみなさん




最初の宿は、ハノイ・アーミー・ホテル

ベトナム人民軍が経営している立派なホテルでした




さっそくその夜はチャムさんのお宅を訪問しました。

女医の母ドアン・ゴック・チャムさん。お宅を訪問し娘さんの著書にサインをいただきました。

アメリカやベトナムで出版された女医ダン・トゥイ・チャムの日記については


こちらをご覧下さい





チャムさんのご家族と支援隊のみなさん




21日は55回目の私の誕生日。そして、あいあい眼科クリニックの開院記念日でもあります。


支援隊の皆様が夕食の席で、お祝いをして下さいました。
いただいたのは、ベトナムの古い町並みを模したレリーフ。陶器製です。




お祝いのバースデーケーキ。

まさかこんな素晴らしお祝いをして頂けるとは思ってもいませんでした。

感謝感謝です。こうしてベトナムの旅が始まりました。


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