2008年8月24日 農家への訪問 午後の部 |
■今回の旅行で一番印象に残った家庭でした。 ■三件目の農家ファン・バン・トンさん一家が、最も悲惨でした。奥さんはフォー・ティ・ビンさん。父親は枯れ葉剤の影響で体調が悪く農作業もできない状態。男二人女二人の四人の子ども達は、どの子も障害を抱え、三人は明らかな視覚障害と知的障害を抱えていました。しかも視覚障害がないように見える次男は知的障害を持っていました。結局母親を手伝って家事をこなせるのは次女だけなのですが、彼女も視覚障害を抱えている状態。聞くところによると彼女は三ヶ月だけ小学校に通ったものの、それ以降通っていないとのこと。視覚障害を抱えて通学し勉強を続けるのは、この家庭環境では不可能だということは、私たちにも容易に分かることでした。 最初に家を訪問した際、まるで豚小屋のような一室でわらを燃やして煮炊きをしていたのが、この次女でした。母親を手伝えるのはここ子しかいないのです。水道はおもちろん、井戸もないらしく、溜めた雨水をしようしているようでした。 私が診察したところでは、この次女は勉学を続けるだけの知力も、そして補助器具さえあれば、少なくとも片眼だけは十分な視力も持っていると思われただけに、本当に辛い気持ちになりました。たぶん一生の間、この家族には教育の、そして、医療の光も届くことはないだろうことは、容易に想像できるだけに、本当に暗澹たる気持ちでその場を去らざるを得ませんでした。 さらに悪いことには、この家庭に三日前に贈られたはずの二匹の子豚が昨日死んでしまったのこと。本当に三日で死んでしまったのか、あるいは子豚として贈られるはずだった援助金が途中でピンハネされてしまったのか、私たちには追求する術もありません。本当に辛く、悲しみに満ちた訪問でした。 常に同行している人民委員会の担当者の目を盗んで、こっそりと家族に一時援助金を差し上げることができたことだけが、唯一の救いでした。 ■どの農家も決して豊かではありません。どの農家に贈るかは、タイビン省VAVA(枯れ葉剤被害者協会)に委託して選定してもらっています。地域の状況を支援隊が正確に把握することは、当然の事ながらほとんど不可能ですから、やむを得ない選択です。しかし後から考えると、もう少し援助に相応しい農家が、他にもあったのではないか、という思いを捨て切れませんでした。 本当に貧しさに喘いでいることが明瞭な農家もあれば、果たして援助に値するのだろうか、という農家まで、様々でした。 ■援助は金をただ出せば良い、というものでは無いことを実感しました。さわやか支援隊のように最後の最後まで確認することの大切を痛感しました。そして何より、現地に手足となる適切なスタッフがあって初めて適切な援助が可能になることを知りました。 |
母親の唯一の手足となって働いている次女。 私たちが家に来た時、彼女はこんなところで わらを燃やして煮炊きをしていました。 |
北村 元さんに家庭状況について説明する父親 枯れ葉剤の影響で体調を崩し働くことができません その前で、ずっとうつむいたままの長女。 その左隣の次男は視力は正常そうですが、知的障害があるとのこと さらにその後ろの長男は重度の視覚障害でほとんど見えないとのことでした。 |
母親にすがる次女(左端) その右でタバコを吹かしているのが、人民委員会担当者。 |
訪問している間ずっとうつむいていた長女は重度の知的障害を持っていました 父親の左眼は白内障で失明状態でした |
写真の中で私が診察している10代半ばの次女は、十分な知力とやる気と補助器具さえあれば教育を受けられるだけの視力も持ち合わせているように思えました。 しかし、現実には三ヶ月間学校へ通っただけで、教育の恩恵を受けられずにいます。多くのこうした子ども達が教育を受けられずにいるという現実を思う時、これ以上に辛く悲しいことは私には考えられないほどです。 |
長男、長女は知的障害がひどく、視力もほとんど無いようです。 長女は訪問中、うつむいているばかりでした。 次男は幸い視力は正常のようですが、知的障害を抱えています。 私にできることは、次女の手を取って、君には教育を受けるだけの十分な力があるはずだよ、と励ますことだけでした。現実のあまりの重さに、なすすべもありませんでした。 |
この日は他に二件の農家に子豚を寄贈しました。 |
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