二〇〇四年度アカデミー外国映画賞を受賞した、「みなさん、さようなら」のドゥニ・アルカン監督のインタービュー記事を読みました。病に倒れた歴史学者の父のため、かつての仲間たちが証券ディーラーをしている息子を呼び戻す。父は筋金入りの社会主義者。息子は父に反発し、万事金で解決する合理主義者。息子に父が残す言葉は、「お前みたいな息子を育てろよ」。しみじみした家族ドラマかと思いきや、原題は九・一一報道のコメントを引用した「蛮族の襲来」。監督の言葉。「蛮族とは境界の向こうにいる存在。父にとり息子は、息子にとり父は蛮族。どちらがより野蛮かを比べてもきりがない。どっちもどっちというところから、相互理解が始まる」

 冷戦が終わり、二一世紀こそは平和の世紀になるかと思いきや、むしろ地域紛争は増加するばかり。文明の衝突が現実の物となりつつあります。戦争とは、基本的には経済戦争であるわけですが、そんな旗印では人々は熱狂しない。一方が自由と民主主義を持ち出せば、かたや聖戦を持ち出しての応戦。平和を樹立するために、と言って戦争をしてきたのが人類の歴史なら、二一世紀になっても、相変わらず人類のやっていることには、何の変わりもありません。

そんな昨今、しみじみと心に滲みる言葉に出会いました。それは、今は亡き評論家福田恒存氏の著書、「私の幸福論」の一節。「男女に限らず、人と人とは、たがいに理解しえぬ孤独に堪えるべきものです。理解するばかりが愛情ではない。理解しえぬ孤独に堪えることも愛情です。愛情があれば、その孤独に堪えられましょうし、また相手の孤独を理解しうるでしょう。」

 ミュージシャンとして、そしてひとりの人間として、さまざまな曲や行動を通して、「ラブ&ピース」を訴え続けたジョン・レノン。福田氏のこの言葉を知って初めて、私はジョン・レノンの目指したものがなんだったのか、理解できたような気がします。異なる時間を生きてきたそれぞれの人間達が、お互いを理解しえぬその孤独に堪え、乗り越えるのが愛の力。その孤独に堪えられなくなった時に、人は戦争を始めるのではないか。この言葉を知った時から、私にとって「ラブ&ピース」は、決して単なるお題目では、なくなったのです。