知り合うということ(1996年9月掲載)

 先日テレビで、人がいつから言葉を使い始めたか、という内容の番組を放映していました。これまでは、われわれの直接の祖先であるホモ・サビエンスから言葉を使い始めたのだ、という説が一般的だったようです。ところが、最近の研究から、それ以前ネアンデルタール人も言葉を使用していた可能性が大きいことが分かってきました。

 なぜこのことにこだわるかと言えば、何よりもまず人間は、「言葉を操る動物」だからです。言葉により意思の疎通を図り、知識や情報を伝達し、文明を発展させてきたわけです。

 豊かな社会生活の営みには言葉の存在が不可欠です。

 最後に帰るべき地域社会の仲間と、きめ細かなで豊かな意思の疎通を図ることができれば、人生の晩年も幸せなものとなるに違いありません。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント

 人はいつまでも社会の第一線で活躍したいものです。しかし、いづれは退かなければなりません。会社という組織から離れたとき、そこに残るのは何でしょうか。富、名誉、みんなもちろん大切でしょう。しかし、最後に自分を受け入れてくれるのは、地域社会です。心を許せる友人を地域社会に持つ人は、もっとも豊かな晩年を送れる気がします。地域社会に学ぶことを考えてみました。

 8月25日原東沖子ども会で、「ミニミニ・サマースクール」と題して一日学習会を開きました。同じ地域に住む障害を持った方(以下the challenged)からお話を聞き体験学習をしました。朝の9時から夕方4時までびっしりのスケジュールでした。午前中は視覚障害を持つAさんから、日ごろどんな苦労があるのか、私たちにできることは何か、などのお話を聞いた後で、私たちも含めて参加者全員が二人一組になって一人がアイマスクをし、もう一人が介助者の役割を交代で勤めました。午後からは、車椅子で生活をしているTさんから、私たちの街が車椅子の利用者にとってどんなに不便で危険か、といったお話を聞いた後、障害物を設営したコースをやはり二人一組で体験しました。

 当日は子ども達39名が参加し、父兄、自治会役員、原東小学校の校長、教頭先生、PTA役員、そして子ども会世話人など総勢70名余りが協力し合いました。富士の社会福祉協議会に勤める世話人のTさんが主に計画を立て、アイマスクや車椅子などを用意し、足りない物品は世話人みんなで持ち寄り開催にこぎつけました。

 この会の目的は、地域に住むthe challengedから学ぶことにより、みんなが協力し合い仲良く自然に暮らすことが福祉なのだ、ということを確認することでした。こうした機会を通して、子ども達が自然と互いに声を掛け合うようになってくれればよいと考えたのです。最後に子ども達が書いた感想文には、ものが見えないこと自由に歩けないことの怖さ辛さが良く分かった、という内容が多く見られました。またこれまでは、「こうしたthe challengedの人を見ても、ただ見ているだけだったけれど、これからは声を掛けるようにしたい」とも書かれていました。

 お互いを尊重し調和して暮らしていくためには、何よりもまず知り合うこと、つまりお互いを知ることから始めなければなりません。お互いが、何を考えているのか、どうして欲しいと思っているのか。あるいは何を、なぜ躊躇してるのか。などなど、心の中は見えないことだらけです。言葉を掛け合うことから、すべてが始まるのです。そしてそれは、すべての人間関係にあてはまります。夫と妻、親と子、生徒と教師、そして患者と医師。掛け合う言葉が心の扉を開き、すべての理解がそこから始まるのです。この日は、そんなありふれた真実を再発見した一日でした。



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