インターネットの衝撃(1995年3月掲載)

 2009年1月の時点で原稿を読み返してみると、ずいぶんと昔のような気がします。あの時は時代が動いている、という思いを実感したのです。今では秋葉原はパソコンの街ですらなくなりつつあります。いわゆるパソコンショップが軒並み閉店に追い込まれているのです。

 昨年発売された、いわゆるネット・ブックと言われる5万円台前後のパソコンが予想を越えて大ヒットしました。いままでこの手の商品は売れないだろう、と日本メーカーの誰もが考えていたのですが、台湾のあるメーカーが発売したところ、想像をはるかに越えた時代の流れを作り上げました。

ある記事によると(以下引用)

ネット・ブックの代表は台湾のアスステック・コンピューター(ASUSTek)(2357.TW)が2007年に発売した「Eee PC」。同製品の初期モデルは価格が299ドルから。スクリーンは7インチ型で、OSにはウィンドウズではなくリナックスを採用した。ディスクドライブは標準装備から外した。フラッシュメモリーのデータ記憶容量は小さかった。

一部の企業は当初、ネットブックの最大の顧客は新興経済国で初めてコンピューターを購入する消費者になるとみていた。だが、今や業界幹部の多くが、ウェブサイトを手早くチェックするには向いているが、DVDを焼くといったタスクには性能が足りないネットブックは、裕福な家庭の2台目、3台目のパソコンとして購入されるのが主流になっている、との見方に同意している。

2009年初頭での風景

 最近家電量販店のパソコン売り場が以前よりも活気を取り戻しているようにも思えます。その理由はもちろん、このネット・ブック。残念ながら今のところ日本メーカーの存在感は薄いと言わざるを得ません。と言いますか、私に言わせれば、ウインドウズ95の発売以来、日本のパソコンメーカーは利益を上げられるだけの製品開発に成功していないのではないでしょうか。

 基幹部品であるCPUと基本ソフトを、それぞれインテル、マイクロ・ソフトというアメリカのメーカーに握られ、結局日本メーカーは単なる組み立て屋に成り下がっているからです。確かに日本の製品は作りもしっかりしているし神経が細部にも行き届いています。しかし、正直言えば大勢に影響ないのです。どのメーカーのパソコンでも大差無しです。そして現実的には、日本のメーカーも製造は主として台湾メーカーに丸投げしているだけのようです。

 こうした現実をひっくり返す可能性があるとすれば、やはりインターネットでしょう。今やパソコンを使う多くの人々にとって、その使用目的がインターネットに集約されつつあります。そしてGoogleを中心にしてクラウドと呼ばれる技術により、インターネットを利用する端末への要求障壁は、限りなく低くなりつつあります。マイクロ・ソフトの製品が導入されている必要は無いのです。

 私自身、ウインドウズを使うことは稀です。年賀状を印刷する時にはだいぶお世話になりましたが、このホームページもリナックスの一系Ubutuで更新しています。日々Ubuntuで間に合っています。

 キャノンの社長だった御手洗さんが日本経団連の会長にまで上り詰めたのは、パソコンから手を引きデジカメやプリンターといった利益の上がる製品に集中した功績が大きかったようです。

 既成概念に囚われずに会社に取って利益の上がる新しい製品を、日本メーカーにはぜひ想像、開発してもらいたいものです。

1998年ホームページ掲載時原稿

始めての投稿でしたので、掲載された時は大変感激しました。3年前ですので、こうしたハイテクの世界では、通常の21年分ほど昔に当たります。当時はまだ今ほどパソコンショップが軒を連ねる、といった状態でもありませんでした。

今では秋葉原がパソコンの街であることは、子どもでも知っていますが、当時はまだまだ家電の街だったのです。今読み返すとおかしいのですが、当時はそれが当り前だったのです。

ミナミ電気がT-Zoneに改装されたばかりの頃です。一人の中年店員の困惑した顔が忘れられません。時代が変わろうとしている事が、その困惑した顔に読み取れました。

先日秋葉原へ行って来ました。パソコンの部品を買うためです。奇妙に思う方もいらっしゃるでしょうが、秋葉原は実態の上ではもう「家電の街」ではなく「パソコンの街」なのです。ある調査による予想では1994年度の秋葉原における売上高は、一般家電類が 20.9%の減少に対して、パソコン関連製品の売上げが22.2%増加し全体の56.4%になるそうです。郊外の大型量販店に客を奪われ、秋葉原も苦闘しているのです。かつては家電のデパートとして有名だったM電気が知らぬ間に、隣にあったパソコン・ショップに買収されパソコンのデパートに様変わりしていました。

そのM電気でこんな経験をしました。当時まだ改装中の6階の世界標準規格のパソコンコーナーで、 40代後半でしょうか、ある男性店員に部品について質問したところ、実に困ったという顔をして慌てて20代の若い店員を呼びに行ったのです。これまで店は家電を中心に扱って来た訳ですから、まだ彼にとってはパソコンは未知の世界の話だったのでしょう。大変辛いだろうと想像しました。一筋にやって来た事が役に立たないと分かった時ほど、人間にとって辛いことは無いからです。黄色に黒のストライプの入った、いかにも若向きのユニフォームを着たその店員の困惑した顔が今でも忘れられません。

パソコンなんて、何だかよく分からないキーボードとかいうものを、ちょっと変わりものが一生懸命たたいている、というのが恐らく一般の方のパソコンに対する印象だろうと思います。あるいはファミコンに毛の生えたようなゲームを楽しむためにあるのだと思われるかもしれません。

しかしパソコンは今猛烈な勢いで私達の生活に入り込もうとしているのです。そして私達が知らぬ間に、パソコンは世界中と繋り始めているのです。私のような文字通りの一末端個人使用者ですら、家にある自分のパソコンから世界中の人々に電子メールと呼ばれる手紙を送ったり、アメリカにある見た事もないパソコン・ショップから見積りを取ったり商品を注文したりすることが、いとも簡単にできてしまうのです。しかも国際電話などによる従来の費用からすると桁違いの安さなのです。それは日本のこれまでの社会を根底から変えるほどの衝撃力を持っています。いったい何が可能になって、何が起ころうとしているのでしょうか。



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