インターネットの衝撃 2(1995年6月掲載)

 もう14年近く前の投稿文です。今では当たり前の事に驚いている自分に驚いてしまいます。人間は当たり前になってしまうと、それがどれほどの衝撃を社会や自分たちに与えたかを容易に忘れてしまいます。

 そういう意味では、その時々の思いをこうして文章にまとめておく事は、大変有益だと思います。

 物事は何事もそうでしょうが、時に手段が目的化します。インターネットも携帯電話も生活を豊にするための道具でしかありません。しかし、時にそれが人生の目的になってしまい、様々な悲劇を生み出しています。

 以前は私もインターネット中毒でしたが、今では程々に付き合う術を身に付けたようです。

 テレビも同じでしょう。リモコンのスイッチを切ること。画面の前を離れること。そうしないと、時間が止めどもなく流れて、あっという間に人生が終わってしまいます。恐ろしいことです。(2009年1月)

1998年ホームページ掲載時

 ペルーでの人質事件の報道をテレビで見ていても、日常生活の中では、なにか遠い世界の話のような気がしてしまいます。現実なのか、仮想現実なのか自分の中で区別が付かなくなります。

 そんな中で、インターネット上を流れる情報に、むしろ現実味を強く感じることがあります。自分が宇宙船地球号の一員だと実感した、そんなある事件を書きました。

 4月29日早朝、パソコンに取り込んだインターネット(以下IN)「環境問題フォーラム g-brain」からのメイルをいつものように読んでいると、北京大学からの助けを求めるメイルが目に飛び込んで来ました。21歳の女子学生が原因不明の病気で危篤状態だというのです。アドバイスが得られそうな友人にこのメイルをどんどん送って欲しいというオーストラリアからの便りでした。お陰で、いっぺんに目が覚めてしまいました。文章は専門用語の羅列でしたので、英語の読解もそれ程苦になりませんでした。

 世界的なコンピューターネットワークであるINが、新聞紙上に登場しない日はありません。しかしながら、いったいINがどんな意味を持つのか、私たちにはまだ実感出来ません。そんな中で、先日届いた医学雑誌に掲載されていた以下の記事は、これからの医療分野、そして一般社会にどんな変革をINがもたらすかの一つの参考となります。

 その記事は「難病救うインターネット」というものです。今年の2月半ば、難病に手の打ち用がなくなった中国の医師団から、国際協力を求める電子メイルがINに流されました。これに対して、日本を含む世界中の医師から送られたアドバイスは300通を越えました。その甲斐あって少女は一命を取り止めたのです。米国のコンピューターを経由して、中国からのお礼の電子メイルが世界中に流されたのは3月9日でした。

 そして女子大生の救援を求める上記の電子メールが発信されたのです。私は4月からINに加入していましたので、2月のメイルは読んでいなかったのですが、こうしたメイルに今回初めて接して大変驚きました。専門外ですので、残念ながら役には立てませんでしたが、自分も世界の一員なのだということを実感しました。なんとか一命を取り止めて欲しいものです。

 INの素晴らしさは色々ありますが、その一つは、自分が共に地球に生きる多くの人間の一人、いわば地球人なのだという事を実感できる事です。人種や国籍がどうであれ、学歴や社会的地位に全く関係なく、一人の人間として世界中の人々と向き合う事ができるのです。こんな素晴らしい世界がある事を、一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

 しかしパソコンは今猛烈な勢いで私達の生活に入り込もうとしているのです。そして私達が知らぬ間に、パソコンは世界中と繋り始めているのです。私のような文字通りの一末端個人使用者ですら、家にある自分のパソコンから世界中の人々に電子メールと呼ばれる手紙を送ったり、アメリカにある見た事もないパソコン・ショップから見積りを取ったり商品を注文したりすることが、いとも簡単にできてしまうのです。しかも国際電話などによる従来の費用からすると桁違いの安さなのです。

 それは日本のこれまでの社会を根底から変えるほどの衝撃力を持っています。いったい何が可能になって、何が起ころうとしているのでしょうか。



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