ピースの恩返し(1999年3月掲載)

 娘二人は今ではウサギを飼っているようです。生き物を育てるというのは、本当に大変です。自分たちもそうして親に育ててもらったんだと知ることは、良いことかも知れません。

 我が家に子ども達が揃っていた頃のお話です。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント(1999年)

 子ども達が何度か小鳥を拾ってきました。ある時は公園で、ある時は保育園の庭で。私自身はペットというものが好きではありません。自分自身がいわゆる、「籠の鳥」になりたくないからです。奴隷になるくらいなら、餓死したほうがマシだ、と強がるほうだからです。

 それでも子ども達が拾ってきた小鳥たちの面倒を、けなげにみているのを端で見ていると、こちらまで心和むのも確かです。

 子ども達が小鳥一羽のおかげで、それこそ心の平安を獲得しているのは、生き物の持つ不思議な力のおかげでしょう。

 ある日、家で飼っている椋鳥(むくどり)のピースが、突然しゃべり出しました。
「ピー、ピー、ピース」
家内が驚いて飛んできました。
「お父さん!お父さん!ピースが喋ったのよ!」
「え? 空耳だよ。椋鳥が喋ったなんて、聞いたことがない」
「ほんと、本当なのよ!」
自分の耳で確かめるまで、それはとても信じられる話ではありませんでした。

 近くにある保育園の庭で昨年の六月、巣から落ちて飛べずにいた椋鳥の雛を、子ども達が見付けてきたのです。もうこれで八羽目になります。最初は三年ほど前に、スズメを拾ってきました。「チュンチュン」と名付けられましたが、食べることも飲むこともできず、一日で死んでしまいました。二羽目は「元気」と名付けた山せみでした。自分の力では食事ができませんでしたので、注射器に入れたバランス飲料水を口から流し込んでやりました。夏休みには、近くの川へ魚を取りに行ったりして、三人の子ども達がみんなで懸命に看病をしました。動物病院にも連れて行ってみました。しかし、結局回復には至りませんでした。娘の落胆ぶりは、端で見ているのもかわいそうなほどでした。

 それぞれに名前を付けましたが、七羽目はスズメの「ライト」。このライトだけは、自然に戻してやることができました。そして、今のピースです。

 今朝は末娘の彩香(あやか)の名前を呼んでいました。
「あやちゃん!」

 それを聞いて、家族みんなで大喜び。家内や私が子ども達の名前を読んでいるのを、じっと聞いているのでしょうか。自然に覚えたようです。

 子ども達は学校から帰って来ると、まずピースにご挨拶。「ピース、げんき?」それから、しばらくふたり?(いや一人と一羽ですが)でおしゃべりをしてから、カバンを置きに行きます。ミルワームと呼ばれる鳥用の餌虫をやるのも、鳥かごの掃除をするのも当番制にしているようです。夕食の後、カゴから出してやります。ほんの数秒でしたら、飛べるのです。食堂の中を飛び回って、子ども達や髪が薄くなって滑べり落ちそうな私の頭の上に必死に止まっては、何やら喋っています。午後七時を過ぎると、寝る時間です。みんなで「ピース、おやすみ」と言って、暗い部屋の片隅に鳥カゴを置きます。

 子ども達の精神状態に、小鳥一羽が大きな安定作用をもたらしているようです。ピースと戯れている時の子ども達の楽しそうなことといったら、それはもう、こちらまで楽しくなってくるほどなのです。パソコン大好き人間の私からみても、残念ながらパソコンの力は一羽の小鳥の力に遠く及ばないのです。生命の持っている偉大な力を再認識する毎日です。

「自然の中では、人間など大した存在ではない。奢(おご)ってはいけない。オタマジャクシ一匹、作り出せないではないか」

 こう書いた詩人は、誰でしたでしょうか。


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