仮想広場(1998年5月掲載)

 今読み直しても、我ながらまんざら的外れでもない、とちょっと誇らしく思います。残念ながら、未だにどれも実現していないのですが。

 携帯電話でのサイトが、こんな11年前の夢を実現しているのでしょうか。教育現場で有効に利用できるのが最適だ、と私は思うのですが。今の教育現場にそこまで求めるのは、無いものねだりなのでしょう。

 しかし選挙が近づくとばら撒き政策が実行されるのは、永遠に変わらないのでしょうか。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント

 理想郷などはどこにもありません。ユートピアとは、どこにも無い国という意味だ、とどこかで習ったような気がします。理想郷は作り上げるものです。そこに住む人々が知恵を出し合って、人まねでない個性に溢れた街作りをする必要があります。

 そんな意味で沼津市立図書館の試みは、誇れるものです。ただ、今のままでは画竜点睛を欠きます。やはりそこに住む人々から湧き起こるような情熱、取り組みからこそ、街の活力がそして発展が生まれてくるのです。

 先日沼津西ロータリークラブのある会員が言うには、沼津の発展は沼津駅の高架化に全てかかっている、というのです。私も確かにそれが大きなインパクトを街に及ぼすだろう事は理解できるのですが、どうもへそ曲がりな私は、何々があればなぁ、何々がありさえすればなぁ、というこの手の願望は眉唾だと信じているのです。全ては人なのです。人の心のありようが、その国の魅力を作り上げるのだし、活力とは人の心のありようであって、道路の本数ではないのです。

 おりしも参議院選挙。自民党の幹部は日本中を飛び回って、地方に予算を配分できるのは自民党だけだ、どれだけ票が入るかで予算配分が決まる、といわんばかりのいわば恫喝に近い演説をして回っています。自分のポケットマネーならいざ知らず、国民から集めた税金をこのように私物化して恥じない政治家とは、これを厚顔無恥と言わずしてなんといえば良いのでしょうか。またそうした政治家に付け込まれる選挙民の心のありようが、今の日本の落ち込みを招いたのでしょう。

 いつまでも仕送りを続ける親と、それを受取り続ける子どものように思えてなりません。自立されると困る甘ったれた親と、仕送りを断ってまで自立する独立心や気概を持てない子ども達。この絶妙の組み合わせこそ、戦後日本の50年だったのではないでしょうか。北海道のある倒産した建築業者の、「どうでもいいような公共事業に依存してきた結果がこの倒産だ。」という述懐は、結局自立できなかった典型的日本人の悲しみではないでしょうか。今こそ我々は福沢諭吉の、個人の独立があって始めて国家の独立があるのだ、という警告をかみ締めるべきです。

 テレビとインターネット(以下IN)との違いの一つに、双方向性があります。テレビは一方的に情報を垂れ流していますので、テレビばかり見ていると思考停止の状態になります。暇つぶしには最適です。一方INは利用者の嗜好や考えを取り込むことにより情報を蓄積し、利用者に提案もできるのです。

 アメリカのある書籍通販会社は、ホームページを訪れた人に分野別のお気に入り書籍を選択させます。推理小説部門なら、例えばシャーロックホームズという具合です。さらにその人が他に気に入っている本を同時に登録してもらいます。そのデータを蓄積します。すると私が訪れた時に、シャーロックホームズの愛好家は他にどんな作品を好むのだろうと疑問に思うと、それに対して統計的に回答してくれるわけです。つまり提案型ホームページなのです。このタイプが現在主流になりつつあります。しかも、そうした同好の士の間で意見交換のできる会議室まで提供しています。こうして本の売り上げが増える仕組みです。

 さて、こうした技術を利用することによって、どんなことが沼津でも可能なのでしょうか。先日紙面で紹介されていた市立図書館のホームページが有効です。全国的に見ても先駆的なこの試みを育てていくのは、市民の知恵なのです。そこで以下のような利用方法はいかがでしょうか。

(1)利用者の読書感想を自由に書き込める会議室を設置し、市民の間で本を介してのコミュニケーションを図ります。本との素敵な出会いがあります。

(2)近々学校で自由にINが利用できるようになります。いや、できるはずでした。愚かな選択をしたものです。たとえば感想文の部屋、とでも呼ぶ会議室を作り、市内全小中学校の子ども達の自由な交流を促進します。

(3)夏休みなどには感想文コンクールを、このネットを利用して全市単位で開催します。そして選考委員の選考過程や意見も公表します。それを元にそれぞれの感じ方を検証できます。その上で、自分はもっと違った場面に感動したとか、こんな風に主人公は感じたのではないか、などなど自由な投稿を歓迎します。こうして一人では気付かなかった発見ができます。

 こうした試みによって、市内全小中学校の子ども達の出会える場ができるのです。つまり「仮想広場」作りが可能となります。家庭の存在感や地域社会が希薄になっている現在、ともすると一人で抱えがちな悩みを、この仮想広場で共有したり意見交換をすることにより、子ども達は大いに触発され自分を見つめ直す良いチャンスを得るのではないでしょうか。

 子育てで大切なのは指導することより、子ども達自身が自分を見つめ触発される場を提供することではないか。一人の親として私はそう思うのです。



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