心のキャッチボール(1997年6月掲載)

 人は言葉を操る動物である、とは様々な人間の定義の中でも得心のいくものです。「武器としての言葉」という本を鈴木 孝夫先生が書かれていますが、確かに言葉は何よりの生き抜くための武器なのでしょう。

 何とかとハサミは使いよう、と言いますが、まさに言葉ほど使い方一つで身を守ることもあれば身を傷つけることになるものはありません。

 人である限り言葉無しには良き人間関係は気づけません。一生勉強なのでしょう。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント(1998年)

 子ども達との電子メールのやりとりが1、000通を越えました。10カ月ほどかかりました。毎日、毎日子ども達3人に宛ててメイルを書くわけです。結構大変です。子ども達も、喜んでやる日ばかりではありません。眠くて仕方ない日でも、とにかく続けさせます。継続こそ力なりです。会話だけでは、なかなか伝えあうことが難しいことも、文章にすると、意外とすんなり語り合えるものです。話し合う、ということは思っているよりずっと難しいですね。皆さんはどうなのでしょう?。とくに思春期に入りつつある長女の場合は、こちらも気をつかいます。それでも書き言葉は、素直な気持ちで思いを伝えることができるので、今のところは正解だった、と思っています。まだ、多くの場合こちらからの一方通行であることが多いのですが、きちんと一応は読んでくれているようです。そんな中で、一度だけ末娘の彩香が、お父さんすてき、と書いてくれたことがありました。こんなことがあったのです。

 現在週に二日ほど往診に出かけています。沼津西ロータリークラブで一緒の別宮啓之先生に、在宅医療を受けている患者さんで眼科の診察を希望している患者さんがいるのだが、診察してくれる眼科医がいないのでお願いします、と言われたのが発端です。

 別宮啓之先生は静岡県東部での在宅医療の牽引車的役割を果たしておられます。そんな中で先日ある患者さんを往診しました。鉄鋼所を経営していた方で、事故のために頭部を打撲、脳の一部を切除したために、現在は寝たきりの生活を送っています。その方の為に家族は新しい部屋を作り、台所まで新設していました。実に恵まれた療養生活というべきでしょう。家族も実に献身的に看病しているのが、端からも分かります。

 ただ、始めて診察に訪れた時には、大変驚きました。その患者さんは、献身的な看病を続ける家族に対して、聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせているのです。本当に驚きました。一番世話になっている奥さんには、「このクソ婆、早く出て行け!!」といった具合です。本当に驚きました。もちろん、そうした行動の一番の原因は、手術によって脳の一部を切除したためだからでしょう。そして、先日2度目の往診に訪れた時、その患者さんに、なんと診察中につばをかけられたのです。本当に驚きました。医者になって20年近くがたちますが、もちろん初めての経験でした。自分も驚きましたが、家族の方もさぞ驚かれたことでしょう。いや、申し訳ないという気持ちで一杯だ、というのが良く分かりました。私もびっくりした後で、むらむらと腹が立ってきました。もちろん仕事の上ですし、患者さんは脳の一部を切除したという状態ですから、患者さんを叱っても仕方ありません。平常心を保つのに少し苦労しましたが、その日の診療は無事終了しました。

 その日のメイルに、このことを書いたのです。患者さんの状態、そして自分が今日経験したこと。思わず平常心を失いかけたこと。それでも何とか、踏みとどまれたこと。人間は一番感謝しなければいけない家族や、世話になっている人々に口汚ない言葉を浴びせるような、そうした心を脳のどこかに持っていること。それを多分切除した部分の脳が抑制していたのだろうこと。誰の心にも、そうした心の恐ろしい部分があること。それを人間らしさが包み込んで押し隠していること、などなど。子ども達にとっては難しすぎる内容だったかも知れません。長女と長男は、そのメールに対して、いつものとおりありきたりの内容の返事でしたが、次女の彩香が、先ほどの「お父さん、素敵!!」のメイルをくれたのです。いつも寝る前に子ども達のメイルを見るのですが、なんだかとても素敵な気分の夜でした。


 昨年から始めた子ども達との電子メールのやり取りが、千通を越えました。毎日三人の子ども達それぞれに宛てて、電子メールをパソコンに入れるわけです。子ども達は、寝る前に必ず自分宛のメールを開き、返事を書いてから寝る習慣が付きました。毎日書くのは結構大変です。食事をしていても、仕事をしていても、お風呂に入っていても、こんどは何を書こうか?と悩みます。毎日の献立に頭を悩ます主婦の気持ちが分かりました。中学生の長女と長男はもうすっかりパソコンの扱いに慣れ、不自由なく書き込んでいます。小学校四年の末娘には、まだ入力するのは辛いようです。

 こんな事を始めたのは、もちろん子ども達にパソコンの扱いを覚えて欲しい、という目的もありました。ただ、思い立ったきっかけは、末娘が幼稚園の頃の、こんな出来事が発端でした。元気だけは人一倍の娘は、卒園の年の運動会で鼓笛隊のリーダーに指名されました。当然喜んで、「やります!」と言うかと思ったのですが、意外にそうでもなさそうでした。迷っているようでしたが、そのうちやりたいと言い出すものと、頭から決め込んでしました。

 ところが、そんなある朝、突然目が回ると娘が訴えてきたのです。家内と二人で、ただただびっくり。頭の中に悪いものでもできたのではないか、何か神経系に異常をきたしたのではないか、おろおろするばかりでした。精密検査を受けたところ、幸いはっきりした異常は無いとのこと。一時的な疲れかな?、とほっとしていると、またしてもめまいの発作。どうしていいか、途方に暮れてしまいました。

 そんな時、ふと先の鼓笛隊の件に思い至ったのです。「彩ちゃん、本当はどうしたいのかな?教えてくれる?」と、3人でじっくり話し合ってみました。すると娘は、本当はリーダーをやりたいのではなく太鼓を叩きたい、と言うのです。「分かったよ。彩ちゃんがやりたいことをすれば良いよ。」驚くことに、それ以来めまいの発作がぴたりと止んだのです。本人は当然それをしたいだろうという先入観、自分の子どもが目立って欲しいという親心。いくつかの思い込みの結果でした。

 心の中は分からないことだらけです。その漆黒の闇の中からもれてくる、かすかな光りを見逃さないことは、大変難しいものです。毎日、毎日顔を会わせていても、本当は分かっていないのです。分かっていないということが、つくづく分かりました。そんな経験から、少しでも子どもの心の中を理解出来ればと、メイルの交換を始めたのです。分かり合っていると思っている人間同士。親と子、夫と妻、教師と生徒、そして医師と患者。実はほとんど分からないことだらけです。不断の語り合いのみが、この永遠の闇を少しでも照らし出すのではないでしょうか。交換したメイルは、私の一生の財産です。



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