盛人式

(2003年10月掲載)

 作家で評論家の森本哲郎さんが、「生き方の研究」という本の中で、こんな風に書かれています。

■孔子は論語の中で「50にして天命を知る」といい、「70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」と語った。私はこの20年こそが人生の真骨頂であり、それ以前は、そのためにあるといってもいいような気がする。

 私もその通りだと思うと同時に、自分の人生もそうありたいものだと強く願うのです。

(2009年3月)

ホームページ掲載時コメント

 数十年ぶりに川口で、竹馬の友の鈴木孝平ちゃんと会いました。

 学会のついでに会ったのです。当日は生憎の土砂降り。薄暮ゴルフでもしようか、相談していたのですが、残念ながら薄暮の期間は過ぎていました。それならば、一緒にテニスを、とも考えたのですが、天候には勝てません。

 それでも、孝平君の家族共々ボーリングを楽しみました。

 そして、二人きりでゆっくり話した際に、実に興味深い話を聞かせてもらいました。せっかくですので、まとめて投稿しようと思い立ちました。

 自分が50歳になるなんて、想像も出来ませんでした。頭の毛は日々減少するばかり。こんな事になるとは、本当にただただ驚くと共に、いささか悲しくなるのも事実です。

 しかし、嘆いてばかりはいられません。そんな思いをまとめました。


 先日、埼玉県川口市で数十年ぶりに、竹馬の友と再会しました。その際、彼との間に大変興味深い会話がありました。

 友人「今度、セイジンシキに出席するんだ」私「成人式?もう30年も前のことだろ」

 友人「そうじゃないんだ。川口では、盛人とは50歳の成熟した盛んなる人をさし、50代の人とその家族を集めて、盛人式を11月に開催しているんだ。論文も募集しているので、応募したよ」

 どうやら川口市独自の取り組みのようです。

 ところで、50歳と言えば、論語の一節が思い出されます。「五十而知天命」。論語では50代は、「天命、知命の歳と言われていて、これは天が己に与えた使命を悟る年代」とのこと。しかし、私のような小人には「てんめい」を悟るのは、とうてい及びも付かぬ話。江戸っ子の勝海舟なら、ひょっとするとこんな風に読み下したかもしれない、と私などは一人で悦に入っている始末。それは、「50にもなったら、いい加減・てめい・を知れ」。そう、自分自身を知っても良いのが、50代かもしれません。

 ある時、大学一年生の息子とカラオケをしていて、初めてある曲を最初から最後まで聴きました。スマップの「世界に一つだけの花」です。200万枚も売れたこのヒット曲を、先日初めて聴いたという浮世離れした自分に驚くと共に、たかだか18歳の息子が悟ったように、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」などと歌っている様子に、いささか奇異な感じを持ちました。

 一人一人が個性を持った一つだけの花であることに、もちろん異論はありません。しかし、自分自身が50歳になってみて思うのは、個性とは、きちんとした基礎の上に花咲くのであって、まだ基礎の基の字も学んでいない息子が、悟ったように口にするようなものではない、ということです。それは、悪戦苦闘、七転八倒の末に獲得するものなのです。

 成人式から30年。それぞれがかけがえのない人生を送り、己自身をようやく知った50代の人々こそ、社会人として身に付けた基礎の上に、それぞれが研いてきた個性を、今こそ花咲かせる時ではないでしょうか。

 世界に一つだけの花は、成人式ではなく盛人式でこそ歌われる歌だと、私は思うのです。

TO:随筆の部屋