箱物教育(1998年4月掲載)

 11年前に、こんな経済対策が発表されたんですね。昨年後半からの100年に一度の金融危機で政府が打ち出したのが、一人12,000円の定額給付金。2兆円もの金を使うのなら、これからの日本を支える産業の育成に投資すべきだ、と私は思うのですが。

 私がもし総理大臣なら、半分は太陽光発電パネルの各家庭への設置の補助金に。そしてもう半分は、三菱重工が計画しているMRJと呼ばれる国産初のジェット旅客機の開発に投資するでしょう。

 飛行機は車の約100倍の部品数があるようです。まさに自動車産業が現在日本を支えているように、将来は飛行機産業が日本を支える基盤産業に育って欲しいと思うのです。

 自動車はもちろん大切ですが、複雑な内燃機関を駆使する現在の自動車から電気自動車に移行する時、果たして現在のように日本車が絶対のブランドとして生き残れるかどうかは疑問です。

 やはりリスクを分散する意味でもジェット飛行機は極めて重要な気がします。通商産業省もこのMRJにもちろん援助をしていますし経済的な支援も行っています。しかし、ここはちまちました援助ではだめです。何しろ日本の将来を支えるプロジェクトなのですから。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント

 緊急経済対策と称して、従来型の公共事業と趣を異にした情報分野への投資が発表されました。学校への光ファイバーの敷設とPCの導入です。取り扱いが難しすぎるPCが売れないのは自業自得とも言うべきなのですが、この発表でNECや富士通などのパソコンメーカーは色めきたっています。そればかりか従来は問題にしていなかった外資系のIBMやデルコンピューターなども、その額の大きさから積極的な取り組みを計画しているようです。

 これ自体はもちろん素晴らしいことです。何といってもこれからは情報産業が日本を引っ張るしかないのです。自動車産業などの従来の産業が重要なのはもちろん論を待ちませんが、残念ながらそれだけでは雇用を確保できないのも、自明のことなのです。何としても新産業を育成しなければなりません。それには社会的基盤としてのネットワークは必須のものです。こうした物にこそ、国家が100年の計を持って取り組むべきなのです。

 しかし話しはそう簡単ではありません。物だけあっても人を育てなければ、画竜点睛を欠くことになります。物を活かすも殺すも人次第です。そんな思いで書きました。

 新聞報道によると、景気対策の一環として学校への光ファイバーの敷設が進みそうです。さらに学校へのパソコン(以下PC)導入台数を増やし、子ども達の習熟度を上げるとともに、それにより家庭への導入を促す意味もあるようです。学校でのインターネット(以下IN)体験が、日常生活でのIN利用を容易にするわけです。景気対策の一環としてやにわに決定されるところが、いかにも日本らしいのですが、このこと自体は喜ばしいことに違いありません。電話料金の高さから、費用を気にせず心静かに家庭でINを楽しむのは現在のところ不可能ですので、せめて学校で時間を気にすること無く楽しめる環境を作ってやろう、という親心は心憎い配慮に違いありません。

 しかし物事はそう単純ではありません。景気対策と称して豪勢な建築物が全国に氾濫したのは、皆さんもご存知のとおりです。閑古鳥の鳴くその建物の維持管理に、分不相応な費用を強いられ四苦八苦している自治体は、ごまんとあります。さて学校にごっそり導入されるであろうPCは、いったい何に利用されるのでしょうか。宣伝に乗せられて購入したものの、やがてホコリを被って安楽死している家庭のPCは、いまや公然の秘密です。PCは決して簡単な道具でも、それほど楽しいものでもありません。習得には難行苦行の修行が待っています。基本操作があまりに難しいために、絵本のようなマニュアル本が500万部も売れた、などという泣くに泣けない事実もあるのです。

 問題点はいくつもあります。情報化社会とはなんのか、アメリカで現在起きていることは世界をどこへ導こうとしているのか、パソコンに今何ができ、将来何ができるようになるのか。そうした問題を子ども達に、誰がどうやって教えるのでしょうか。ただ数だけ揃えれば一夜にして日本が情報先進国になる、と思うのはあまりに軽薄です。しかもPCの寿命は3ヵ月単位、したがって1年もすれば、粗大ゴミになりかねません。ハードの寿命とはそんなものです。それを生かせるだけの知識や技術が、学校現場にあるのでしょうか。適切な指導者が必須なのです。子ども達は自然に習熟するだろう、などと期待するのは、免許の無い子どもに車を買い与えるようなものなのです。箱物行政の愚を教育現場に持ち込んではなりません。



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