違いを超えて(1999年12月掲載)

 今でもこの原稿は色褪せていないと思います。いやむしろ今こそ再度訴えたい心境にかられます。

 「ーーー米国でさんざん語られながら実現にほど遠い簡素な生活と、自然を愛する心と他人への思いやりだ」というほぼ100年前にチェイピンが書いた内容が、今の日本において引き継がれているのでしょうか。

 地球環境問題が待ったなしの現在、私たちは自分たちの生活を改めて見つめ直す必要に迫られていると感じています。

(2009年2月)

ホームページ掲載時コメント(1999年)

 まもなく千年紀(ミレニウム)が終わろうとしています。ナショナル・ジオグラフィック誌1999年8月号では、「ミレニウム特集:国境を超える文化」と題して、特集号を組んでいます。

 その中で、1世紀、10世紀、そして20世紀の代表的な都市をあげています。それぞれエジプト・アレクサンドリア、スペイン・コルドバ、そしてアメリカ・ニューヨークです。

 20世紀に生きるわれわれは、ともすると現在の繁栄が以前からのものであり、永遠に続くかのごとく、錯覚します。しかし千年という単位で歴史を見れば、決して今の繁栄が永遠のものでないことが分かります。

 その時、残るものは何でしょうか。そんな思いで書きました。

 千年紀の終わりを目の前にして、文明の衝突が声高に叫ばれる今日この頃、先日放映されたNHKスペシャル、シリーズ「イスラム潮流」は大変興味深いものでした。イスラムといえば、イスラム原理主義という言葉に代表される過激で異質な人々というイメージが、日本人の抱いている一般的なものではないでしょうか。

 しかし1,000年前には、文明の流れは現在とは明かに異なっていました。イスラム・スペインの首都コルドバは、世界で最先端の文化を謳歌し、「知識の実がなる庭」、「地中海の花嫁」と称えられていました。清潔さと優美さにおいて、ヨーロッパの国々を凌駕していたのです。そして学問は、この都市を通して進歩の遅れていたヨーロッパへ伝わり、ルネサンス運動の下地ができたのです。

 番組の中では、ザカート(喜捨)と呼ばれるイスラムの互助システム。利子を否定するイスラム銀行。そしてニューヨークにおいて、社会から見捨てられた底辺の人々の間で静かに広がるイスラムの様子など、内容は大変新鮮なものでした。最終回では、「文明の対話」を掲げる改革派、イランのハタミ大統領の苦難に満ちた戦いが描かれていました。

 さて、この百年を振り返ると、ベルリンの壁が崩壊するまでの二十世紀は、いわば違いを押しつぶした時代でした。白か黒かの二元論の世界でした。壁の崩壊後、相互の違いにわれわれは愕然とします。そして民族紛争が頻発します。違いが声高に叫ばれます。ユーゴスラビアがその典型です。

 20世紀の勝者であるアメリカは、自国の文化、システムを世界に広げようとします。画一化しようとする力と独自性を守ろうとする力の、それは熾烈な戦いです。

 そうした中、21世紀における日本の役割は何なのでしょうか? 神々の優劣を論じる事では、もちろんないはずですし、優れた工業製品の輸出元、というだけは少し淋しい気がします。

 「世界でこれほど幸福で満足した人々が見いだせるだろうか。幸福を支えるこの国の特質は二つ。米国でさんざん語られながら実現にほど遠い簡素な生活と、自然を愛する心と他人への思いやりだ」

 この文章は、ウィリアム・チェイピンが明治43(1910)年、米国ナショナル・ジオグラフィック誌に寄稿したものです。長い歴史の中で様々な文明を取りこみ、自家薬籠中の物としてきた日本人。独自の文明を育み、自然と共生してきた日本人。彼が賛美した、簡素に、そして美しく生きてきた日本人の生き方こそ、21世紀において日本が世界に貢献できる道だと、私は信じるのです。



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