選択の時 (1998年7月掲載)

 ここで語っているのは、一昨年の自民党が大敗北を喫した参議院選挙ではないのです。Wikipedia によれば、1998年の参議院選挙は以下の通りでした。

 政治家としての長寿と言えば、小沢一郎さんをおいてなさそうです。もちろん長ければ良い、というものではないのでしょうが、この寿命の長さはたいしたものです。

 今年はいよいよ衆議院選挙が行われます。最新の世論調査では、麻生内閣の支持率は20%を切る有様。日本人に元気をもたらそうとする麻生総理の姿勢はもう少し評価されても然るべきだと思うのですが、政治的にいささか稚拙な部分が目立ってしまっているのでしょうか。

 しかし、今日の麻生総理の施政方針演説で、「問題なのは、大きな政府か小さな政府か、ということではない」というくだりがあります。小泉内閣の構造改革路線への決別と新聞には書かれています。

 果たして政権の行方はいかなる方向に進みますか。

第18回参議院議員通常選挙は、1998年(平成10年)7月12日に行われた日本の国会議員(参議院議員)選挙である。

自民党幹部の顔ぶれは、

総裁(橋本龍太郎)、幹事長(加藤紘一)、総務会長(森喜朗)、
政務調査会長(山崎拓)、国会対策委員長(保利耕輔)、参議院議員会長(井上吉夫)

一方民主党幹部の顔ぶれは、

代表(菅直人)、特別代表(中野寛成)、副代表(江田五月、笹野貞子、鳩山邦夫)、幹事長(羽田孜)、政策調査会長(伊藤英成)、国会対策委員長(石井一)、参議院議員会長(菅野久光)

そして、今は亡き自由党幹部は、

党首(小沢一郎)、幹事長(野田毅)、政策調査会長(井上喜一)、国会対策委員長(二階俊博)、参議院議員会長(平井卓志)

 

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント(1998年)

 選挙前の予想を大きく裏切って、自民党が大敗北を喫しました。

 決して潰れることはない、と信じられていた大手銀行や証券会社が作年末には追いかけるように倒産し、まさに戦後の大きな曲り角を現在の日本が迎えていることは、間違いありません。誰が首相となっても、今の日本をリードする事が大変難しいのは、誰が見ても明らかです。

 戦後の日本が、その優れた製造現場をフルに活動させ、世界における大衆消費財の生産工場として大成功を収めたのは、一国民としては大変幸福なことでした。東西の冷戦など、日本を取り巻く全ての環境が日本に味方したのは、これまたラッキーの一言でした。

 しかし、1989年ベルリンの壁が崩壊し、世界を仕切ってきた2大勢力の勝負が決着した時から、幸いにも勝ち馬に乗った日本も、自立を強く求められているのです。アメリカの勢力圏にありながら、ある意味では最も進んだ一種の社会主義制度の国として、実に日本は巧妙に立ち回った、と言えるのでしょう。これほど均一で貧富の差の少ない先進国は無いはずです。それは成功物語でした。

 しかしルールが変わったのです。みんなが手を取り合って豊かになれる時代は、過ぎ去ったのです。アメリカのように勝利者が全てを独占する国になって欲しいとは、少しも思いませんが、さりとて山を削って谷を埋めるような、そんな仕組みが続くわけもないのです。

 今こそ、明治維新の時代を思い起こし、一人一人が自分の人生を計画的に設計しなければなりません。全てを御上に任せてしまい、自分自身の判断力を錆びつかせてしまった代償を、我々はまさにいま払わされているのです。

 今こそ、福沢諭吉の独立自尊の精神が求められているのです。

 参議院選挙から一夜開けて、自民党の敗北に続く波乱の日々が始まろうとしています。この激動の時代、誰が政権を担っても難しい舵取りが待っています。

 さてこれから我々は、この国をどう作り上げていったら良いのでしょうか。単に消費税率のパーセントの低さを競うようなレベルでは、日本の将来は暗いままです。1989年以降、右か左かの議論は意味がありません。なぜなら、そのどちらも行き着くところは奈落の底ですので、中道を歩く以外に道は無いからです。

 それでは右肩下がりの経済状況下で、まずきちんと議論しなくてはならない問題は何かといえば、それは我々が目指すべきは小さな政府なのか、それとも大きな政府なのかという点です。わかりやすく言えば、低い税率で済むかわりに国家が保障するのは最小限のみ、とするのか、消費税率20%以上、収入の80%近くを納税する北欧に代表されるような福祉国家を目指すのか、という点です。日本の政治における大きな問題点の一つは、こうした選択肢の提示が無いところにあります。本来なら保守政党として、個人の自助努力を基本とし小さな政府を目指すべき自民党が、補助金によるばらまき政党と化し、国民を依存心の塊にしてしまったところに大きな不幸があります。どちらがより優れているか、という問題ではありません。国情にしたがって、国民自身が選択すれば良いのです。問題なのは選択肢が明示されていない点なのです。

 私はこう思います。どんな政治も、すべての人間を満足させることはできません。山を削って谷を埋めるような、つまり国民の平均化を追求する現在の政策は、もう実現不可能です。本来求めるべきは機会の均等であって、結果の平等ではないのです。ここまでは国が保証するかわり、あとは個人の選択で自分自身の人生を設計してください、と任せるしかないのです。それにはどこまで国が保障し、どこから個人が準備しなければならないのかを、まず明確にする必要があります。それは耳に心地よい話ばかりではないのです。

 結局のところ、自民党は本来の保守政党に戻り、耳に痛くとも国民に自立を説き日本をチャンスに溢れた国にするべく青写真を示す一方、リベラル政党としての野党は、負担は多くとも安心できる福祉国家の青写真を示し、国民に選択を問うのが本来の姿です。自民党にそれだけの決断力があるのかどうか、そして野党には、いま以上のばらまき政治となり、にっちもさっちもいかなくなった、かつての革新自治体の二の舞になる心配はないのか。この素朴な疑問に、ぜひ答えてもらいたいのです。まもなく、選択の時がやってきます。


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