1997-1998年度

 子ども達とのメイルの交換を1996年に始めたということを、このホームページの更新過程で改めて知りました。当時のメイル交換は、現在のように携帯電話での交換ではなく、一台のパソコンの中でやりとりしたのです。

 あの当時リナックスと言っても知っている人は、ほとんどいませんでした。確かLASER 5という会社が、リナックスの一配付版であるSlackware のCD版を発売していました。はね ひでやさんらによる、「るんるん Linux(アスキーブックス)」といういわばリナックスのバイブル本を片手に設定した思い出があります。

 今こうして利用しているのはネット・ブックパソコンにインストールされる事で世界的に有名になったUbuntuという配付版ですが、その導入の容易さには感嘆するばかり。使い勝手はウインドウズと何らかわりありません。我が家では家内も子ども達もリナックスでことを済ませています。

 あの当時は、毎朝子ども達宛に私がメイルを入れておきます。子ども達は、学校から帰って時間のある時に、それに対して返信する、という具合です。パソコンの中でやりとりしますので簡単その物でした。

 現存する最古のメイルは、Tue, 14 May 1996 17:45 に末娘の彩香宛に書いたメイルです。つまり、1996年5月14日火曜日午後5時45分というわけです。当時子ども達は、長女の希実が13歳、拓磨11歳、彩香が9歳でした。324通が現存しています。そんな子ども達も全員成人式を終えました。もうすぐ拓も大学を卒業です。324通のメイルは私にとって掛け替えのない財産です。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント(1998年)

 1996年は子ども達との電子メイルのやり取りを始めた年でした。98年末で三千通にも達しました。毎日、毎日書き続けるのは、とにかく大変ですが、すごく楽しみでもあります。ただ、最近は長女はさっぱり書こうとしません。面倒くさいのかおやじが鬱陶しいのか、そのあたりは定かではありませんが、今は忍耐の時と諦めずに書き続けています。

 12月に書いた「自分の好きなこと」は、今になると先見の明があったかな?、とすこし自慢したい気持ちです。失業率が戦後初めてアメリカのそれを上回るのではないか、という御時世に、本当に大切なのは、自分が好きなことに打ち込む勇気ではないか、と思ったのです。自分を殺して会社のために犯罪を犯しつづける日本の会社人間達の、その異常さに我々はもっと早く気付くべきです。組織を離れることは覚悟と勇気が要りますが、それでも一度しかない人生、冒険してみる勇気も大切です。

 1998 年はオランダへ行ったこともあり、投稿原稿の数が増えました。参議院選挙もありました。年末には自自連合が焦点になっています。やはり小沢さんは自民党の中でこそ輝くのでしょう。曖昧にしておいてはいけないことをきちんと議論しよう、というのが彼の一番の論点ではないか、と考えています。そしてそれは極めて重要だと思います。なし崩しが一番危険なのです。

1997年度



1998年度