20090201

2009年2月01日の記録

 早くも二月。一日(日)は小春日和。午後から風が出てきたものの、本当にこれが二月かと思われるほどの天候。今朝は実に気持ちの良い夜明でした。途中、見事な紅梅の写真が撮れました。

見事な紅梅


ウォーキングの途中で見つけた見事な紅梅

 

爽やかな夜明け


いつもながら夜明けは気持ちが晴れ晴れします。

3日

 今日は節分。夜、東西南北の窓から「鬼は外、福は内」と豆を撒きました。今年は福が来てくれることを祈っています。

 網走では平年より二週間遅く流氷が観測されました。海水温が高いために、この様に遅くなったとのこと。地球温暖化が影響しているのでしょうか。地球温暖化については、諸説あるようですが、少なくとも地球環境に負荷をかける生き方は避けねばならないでしょう。

7日(娘二人と名古屋で一杯)

 明日名古屋で第28会東海北陸眼科医会生涯教育講座が開かれるのに合わせて、この週末は名古屋に遊びに来ました。もちろん、お目当てはのんとあやと一杯やることです。

 名古屋駅で降りたのは初めてでしょうか。地下鉄藤が丘駅、そしてリニモと電車を乗り継いで愛・地球博に行ったのは、2005年8月のことでしたが、名古屋駅周辺を見て回ることはありませんでした。

 昨年後半からの金融危機で、さすがのトヨタも小休止、といった状態でしたが、それでも名古屋駅前は立派なものでした。友人の話に出てきた景気後退から来る治安の悪化も、表通りだけ歩いている分には気付くはずもありません。娘二人と海鮮居酒屋で四方山話に花を咲かせながら一杯やりました。最高の一時でした。二人の娘も、それぞれに社会経験を積んで、会う度に成長しているのが実感できます。しばらくは父として話す材料にも苦慮していたのが嘘のようです。有難い限りです。

さあ、居酒屋で乾杯です

父としては、とにかく娘たちの幸せを祈るばかりです。



 週末の様子は、名古屋での週末でご覧下さい。

11日(二人で舞台を楽しむ)

 建国記念日の今日は、澄代と二人で舞台を観に出かけました。沼津文化センター大ホールで上演された、ドライビング・ミス・デイジーです。ホームページの記載によれば、

 2008年各地公演 劇団民藝+無名塾

ドライビング・ミス・デイジー

 アメリカのまだまだ黒人差別意識が色濃く残るアトランタ。裕福なユダヤの未亡人、72歳のデイジーはカクシャクと一人暮らしを続けている。しかし年のせいか車の運転が不得手になってきた。母を心配した息子は、嫌がるデイジーを説得し黒人のホークを運転手に雇い入れる。最初はぎくしゃくしていた二人だが、いつしか奇妙な友情が芽生えて…。 第60回「芸術祭・大賞」受賞作品。


 デイジー・ワーサンを奈良岡朋子さんが、そしてホーク・コールバーンを仲代達矢さんが演じました。やはり現実の、生身の俳優が目の前で演じる舞台は格別です。劇団こまつ座の公演を、紀伊國屋ホールで見るのを楽しみにしているのですが、沼津でもこんな素晴らしい演劇を堪能できる事は大変うれしいことです。

 ただ、この演劇の内容を本当に理解するのは、日本人にはいささか難しいのではないでしょうか。ユダヤ人の女主人と黒人の運転手、という組み合わせの意味を私たちが真に理解することは、やはり至難の技です。それでも、生身の舞台は十分堪能で来ました。あっという間の上演時間でした。

あゆみ橋から見た沼津の夜景

 駅から歩いて文化センターまで行きました。途中あゆみ橋から見た狩野川越しの夜景は綺麗でした。

橋の上で

 綺麗な夜景でした。今年は本当に暖冬です。寒さに震えた日は一月に2度ほどありましたが、このまま春になってしまうのでしょうか。

14日(拓のご苦労さん会)

 拓が卒業試験をパスし国家試験も無事終了し、ほっとしました。本当によく頑張りました。この週末は澄代と一緒に東京へ行き、拓と三人でご苦労さん会をしました。例によって、拓が宿と居酒屋を予約してくれました。

 この日は、静岡で何と真夏日となる異常気象。ビールが旨い、はずだったのですが、前日のロータリークラブテーブル会でいささか悪酔いしてしまい、今日は昼にお茶を一杯飲んだきり。拓には悪いことをしてしまいました。それでも、三人で本当に楽しい一時でした。

15日(辻堂の両親と)

 日曜日は、拓磨と二人で湯島天神梅祭りを見学したのち、変貌する秋葉原に立ち寄り、その足で東京駅まで歩き、辻堂の両親に報告に行きました。

 辻堂には、ちょうど日曜日の昼前に到着しましたので、駅前のスーパーで両親に昼ご飯を、と探し回ったのですが、お寿司以外に適当なものが無く、どうしようかと思案していると、「それなら、自分がカレーライスを、おじいちゃん、おばあちゃんに作ってあげるよ」と拓が提案してくれました。

 昼時は、楽しく歓談したのち、拓がキッチンに入り、カレーライスを作り上げました。淡々と調理する拓の姿には、私心無く人のために働く人だけが持つ気高い美しさが溢れていました。我が息子ながら、本当に素晴らしい青年に育ったものだと感激しました。こんな息子に育ててくれた家内には、感謝するばかりです。

辻堂の両親と

辻堂の両親、拓と私。両親は今年で85歳と82歳。様々な病を抱えながらも元気でやってくれています。今年はどこの温泉に行こうか、と澄代と思案しています。



→ 週末の様子はこちらを

19日(柿田川ロータリークラブとの合同例会)

 今夜は柿田川ロータリークラブとの合同例会。沼津西ロータリークラブとの合同例会は今年で11回目になります。開会の挨拶で杉山了さんが、この合同例会の始まった経緯を紹介されていましたが、私は知りませんでした。体調を崩され現在は退会された、我がクラブ8代目の会長 植松秋彦さんが、柿田川クラブの皆さんと相談されて始められたとの事。秋彦さんのお元気な頃のお顔が、次々と脳裏に浮かんできました。

 ロータリアンとしての基本的な心構えを教えていただいた植松さんには感謝するばかりです。一日も早い快癒を祈念するばかりです。

 懇親会では、柿田川クラブの鈴木さんと色々じっくりと話すことができました。家族のこと、子育てのこと。家族構成が我が家と似ていることもあって、話が弾みました。こうしたお話を気兼ねなくできるのも、ロータリークラブの特権でしょうか。

22日(東海大学とテニスマッチ)

 中山 博司先生と東海大学開発工学部部長 西山幸三郎先生のご尽力により、沼津医師会テニス部と開発工学部テニス同好会の第一回対抗戦が開発工学部テニスコートで行われました。5チームずつの対抗戦。

 午前中は風も無く穏やかな天候で、絶好のテニス日和。私は昨年末からのテニス肘で出場を迷ったのですが、中山先生に誘っていただいたせっかくの機会ですから、ちょっと無理して出場しました。

 2-2から最後は大将戦に持ち込まれ、雑賀先生と私のペアが6-5の大接戦を制して医師会の勝利となりました。最後のゲームは私のサービスゲーム。何度も何度もジュースを繰り返し、マッチポイントを何度も握られながらの逆転勝利。もう諦めるか、と投げそうになる心に襲われながらも、気を取り直してプレイしたのが効を奏しました。

 しかし帰ってきてからは鎮痛剤を服用する始末。完治は当分先でしょうか?

 夜、写真の整理をしていて、1987年の写真を発見。懐かしさで胸が一杯になりました。

 → 1987年のページへ

25日(リチャードさんとスカイプで)

 今朝久しぶりにアイルランドのリチャードさんとスカイプでお話をしました。明日ロータリークラブの例会でオーストラリア在住のジャーナリスト北村 元さんがネットを利用して「ベトナムと私」という講演をしていただくことになっています。昨年8月家族で出かけたベトナム支援の旅の支柱である北村さんとは、その後もメイルで交流し、先日はスカイプでの試しの会話も楽しみました。パソコンと回線の調子を確認すべく今朝スカイプを立ち上げたところ、リチャードさんがたまたま接続中でした。

 1998年アムステルダムでの国際眼科学会に出席したついでに、リチャードさんに会いにアイルランドへ行ったのが、つい昨日のような気もします。その様子は、こちらをどうぞ。

 → アイルランドへの旅へ

 その後、交流も途絶えがちでした。何しろ英語で意思の疎通を図るのは、私にはなかなかストレスのかかる作業なのです。

 それでも、いつも忍耐強く私の拙い英語に付き合ってくれるリチャードさんには感謝の気持ちでいっぱいです。私とは一回り以上年配の彼は、経験も知識も教養も、私とは段違いのインテリです。毎回話すのがとても楽しみなのですが、何しろ英語は辛い。

(●^o^●)

 それでも、久しぶりに話して、本当に楽しいひと時でした。これからは、億劫がらずにトライしてみるつもりです。いつの日か、家族でアイルランドに行けたら最高ですね。

26日(オーストラリアからの北村 元さんのご講演)


北村 元さん



 今日のロータリークラブの例会では、オーストラリアから生中継をしました。昨年私ども家族がご一緒させていただいたベトナム支援の旅の中心的存在オーストラリア在住ジャーナリストの北村 元さんにご講演いただいたのです。

 会場であるブケ東海のご厚意でインターネットを無料で使用させていただき、Skypeというインターネット電話で行いました。例会場には例会開始10分前に到着し、植松 正さんが前もってセット・アップしてくれてあった私のノートパソコンからSkypeを立ち上げ、さぁ始めるぞ、と思いきや、インターネットに接続できません。

 二週間ほど前に接続試験をしていたので間違いなくスムーズに行くと信じていたので慌てました。何が原因か分からないからです。回線に問題があるのか私のパソコンに問題があるのか、原因が特定できません。開始時刻が刻一刻と迫ってきます。どうしよう、どうしよう、とパニックになりましたが、結局モデムに問題があったようで、原因不明のまま接続開始しました。

 北村さんを紹介し、さぁ講演開始と思いきや、またもや断線。参りました。もう開始時刻の13時を過ぎています。結局ダメだったか、と諦めかけたその時、13時3分回線が再開しました。講演開始です。

 講演では、ベトナム戦争でアメリカが散布した枯れ葉剤のために、ベトナムの人々がどれほど苦しい生活を今だに強いられているのかを、ご自分が実際に面会し取材した人々を例に上げながら、力強い言葉で、淡々と語られました。

 昨年私も、そうした被害者の方々と実際にお会いしていただけに、その様子が今にも目の前に現れてきそうな錯覚に陥りました。

 21世紀はアジアの世紀といわれながら、今だに欧米諸国の暴虐に苦しんでいる現実があるのです。原爆を二度も投下された日本とて例外ではありません。

 北村さんは、さすがにアナウンサーとして鍛えただけあって、その美しい発声には聞き惚れるばかりでした。それは、ちょうど古今亭志ん朝の落語を聞くような歯切れのよさ心地よさを感じさせてくれました。

 決して面白おかしい内容ではないのですが、会員の皆さんも真剣に聞いてくれました。心に強く迫るものがあったのでしょう。これが何かのきっかけになってくれれば、と願っています。何事も関心を持つ、ということから全ては始まるのですから。

 本当に有意義な卓話でした。北村さんには、心から感謝致します。

 ただ一つだけ残念だったのは、北村さんのWebカメラの調子が悪かったのか、お顔が中継できなかったことです。テレビ朝日元ハノイ支局長としては、内心忸怩たる思いではなかったでしょうか。北村さんには、「今日はラジオ朝日で行きましょう」と申し上げましたが。

 (●^o^●)

 また機会を作ってお話をしていただけたらと願っています。

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27日(27回目の結婚記念日)

 1982年東條会館で結婚式をあげました。曇り空でしたが薄日も差していたように思います。あれから三人の子宝に恵まれ、山あり谷ありでしたが、幸せな結婚生活でした。

 2009年2月27日は、雨の一日。記録的な暖かさを記録したこの冬も、まもなく終わります。

 今日は拓も帰ってきます。明日は二人でテニスをして居酒屋で一杯やる予定です。今日は控えめかな? 夕食には、拓の好きな煮物が待っているよ。

(●^o^●)

2008年の家族


昨年勢ぞろいした我が家族

28日(拓とテニス)

 昨日までの雨も上がり、拓と二人で午後からテニスをしました。年末以来でしょうか。テニス肘の具合がまだまだなのですが、それでもサポーターをして、バックハンドストロークは極力両手打ちでしよう、と心がけて臨みました。

 実に楽しい一時でした。愛鷹運動公園はテニスを楽しむ人たちで週末は満員の状態。三ヶ月前に何とか予約を取っておきました。4番コート。一番下段の西よりのコート。気兼ねなく楽しくできました。

 スコアは、7-9で拓の勝ち。粘り強いテニスは拓の性格そのまま。

 テニスの後は、サンウェル沼津、以前の厚生年金休暇センターの温泉に行きました。露天風呂に入って、サウナを楽しんで、お互い背中を流し合って、心からリラックスできた一時でした。拓には、感謝するばかりです。

 その夜は、澄代と三人で居酒屋へ繰り出しました。本当に楽しい歓談を重ね、同時に杯も重ねました。日本酒おいしかったですね。こういう時は不思議と悪酔いしないのですね。次回は、いつになりますことやら。拓も忙しくなるからね。

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