2009年8月20日(晴れ) 前半

 午前中にクアンガイ省のVAVAにおいて奨学生6名にさわやか支援隊から蓮の花奨学金を贈りました。私が贈呈役を仰せつかったのはチュンさんという女子高生。将来は国語の先生になりたい、と夢を語ってくれました。

 北村 元さんはご挨拶の中で奨学生たちに向かって、「君たちは私たちに恩返しをしようと考える必要は全くありません。どうか皆さんの次の世代、ベトナムの次世代に恩返しをしてください。その時に皆さんの義務は果たされるのです」という趣旨のお話をされました。

 また切手を貼った、さわやか支援隊宛の封書を配りながら、「春と秋、年に二回皆さんの様子を、この封書に書き入れて私たちに送ってください。私たちは皆さんをいつも応援しています。」とお話をされました。ただお金をあげるのではなくて、ベトナムの子ども達と支援隊が繋がりつづけているのだ、という点が大切なのだと感じました。

 また北村修治さんが撮影した清水から見た富士山の写真を皆さんに贈りながら、私たちはこの富士山が見える場所に住んでいるのです、と説明されていました。美しい富士山の写真を見る度に私たちのことを奨学生の皆さんが思い出してくれることを願いました。

VAVA本部にて

 枯れ葉剤に含まれるダイオキシンによる被害者の写真の貼られたパネルを背景に最後の打ち合わせをする宮尾和宏会長、櫻井恵美子さん、北村 元さん


チュンさんへ奨学金を贈呈

チュンさんに奨学金を贈呈する私


瞳輝くチュンさん

 瞳の綺麗なチュンさん。未来に夢を持った美しい瞳です。彼女の夢が実現する事を心から願って止みません。


チュンさんと並んで

夢を持つことの大切さを彼女から逆に教えられた気がしました。


日本への便りを説明する北村 元さん

 切手を貼った封書を手渡しながら奨学生たちに日本への便りをお願いする北村 元さん。寄付して下さった方々と奨学生たちが、こうして繋がりを保っていくことが大切なのでしょう。


2009年8月20日(晴れ) 後半

 本日後半はクアンガイ省ソンミ村ミライ集落で起きたアメリカ軍による虐殺事件の跡に開設されている虐殺博物館を見学しました。今は平和そのもののこの地で想像を絶する虐殺が起きたとは容易に想像できませんでした。しかし案内役の女性の説明を聞き北村さんの解説を受けると、まさにこの地で罪もない女性や子ども達が命を落としたことが理解できました。

 Wikipediaによれば、

 ソンミ村虐殺事件 --- 1968年3月16日に、南ベトナムに展開するアメリカ陸軍のうち第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・バーカー機動部隊隷下、第20歩兵連隊第1大隊C中隊の、ウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソンミ村ミライ集落(省都クアンガイの北東13km 人口507)を襲撃し、無抵抗の村民504人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子ども173 人)を機関銃の無差別乱射で虐殺。集落は壊滅状態となった(3人が奇跡的に難を逃れ、2008年現在も生存している。最高齢者は事件当時43歳)。



 戦争というものが、いかに人間を狂わせるかの一例です。映画 殺人狂時代の中でチャップリンが言った、「一人を殺せば殺人者だが、100万人を殺せば英雄だ」という台詞は、いつの時代も真実です。人間はこれまでも、またこれからもきっと、「平和を構築するために戦争をする必要がある」という政治家の言葉に突き動かされて、同じ過ちを繰り返し続けるに違いありません。馬鹿は死ななきゃ治らない、とは誰が言ったか知りませんが、戦争を止められないという意味においては、人類は滅亡しなくちゃ悟れない、のかもしれません。

虐殺博物館

虐殺博物館に到着


平和を祈る:ベトナム支援隊の植樹

平和を祈る:ベトナム支援隊の植樹


住民が無造作に殺され投げ込まれた用水路

住民が殺され無造作に投げ込まれた用水路


虐殺された村民の名簿

虐殺された村民の名簿


記録写真

当時の様子を伝える写真の数々


生存者の証言

生存者の生々しい証言を聞きました。


 こうして一日の日程も終わり、バスに揺られてホイアンまで辿り着きました。本当に長い長い一日でした。充実した一日でもありましたが。辿り着いたのはホイアン・ホテル。古都ホイアンに相応しい落ち着いた佇まいのホテルでした。やっと一息つくことができました。

ホイアン・ホテル

ホイアン・ホテル