2009年8月23日 バクザン省子ども障害者センターにて


追越の様子

 ベトナムは右側通行ですが、追い越しが当たり前。日本人にはとても正視する勇気は無いほどの勇気ある追い越しです。バクザン省子ども障害者センターに行く途中の追越の様子です。



 後半はバクザン省子ども障害者センターにて活動しました。昨年も訪問しましたが何人かの子ども達の顔を覚えていました。友好村からバスで、どのぐらいかかりましたでしょうか。移動が大変です。やはり自分自身の体力、健康管理がボランティア活動には必須です。

センターの子ども達

全員集合したセンターの子ども達


子ども達と

子ども達の輪に入って一緒に運動です。汗だくでした。


ジャンプして

子ども達にジャンプしてヨーヨーに触ってもらいました。


ヨーヨーを作成し終えて

 ヨーヨーを作成し終えて。金原 昇さんのアイデアで今年はヨーヨーも作りました。作成器具の取扱いが当初分からず往生しましたが、理解できてからはベルトコンベアー方式で大車輪で生産し間に合いました。


子どもの手にヨーヨーを

子どもの手にヨーヨーをつけてあげる私。この子は去年も会って顔を覚えていました。


診察中の私

 昨年と同様、問題のありそうな子ども達を診察しました。器具の無い中での診察は大変辛いものがありますが、致し方ありません。中枢神経を侵されているために、ひどい眼振を持つ子がほとんどです。


診察中の私

スリットも無く肉眼だけでは、ほとんどお手上げです。

 こうしてセンターでの活動を無事に終えました。最後に所長さんと会ってお話をしたのですが、昨年贈呈した補聴器を一人の子どもも使っていない事を北村 元さんが問いただしました。贈呈したうち三台は結局使用されていないとのことで、せっかく贈ったものがなぜ使用されていないのか、日本で寄付をしてくださった方に申し訳が立たない、と問いただしましたが、結局所長さんからは明解な返答はありませんでした。

 何が原因で使用されなくなったのか。医療器具だけに故障したのかどうか。日本なら当たり前にされる維持管理が、ほとんど期待できないベトナムでは、こうした高度の医療器具を贈るのは大変難しいことを実感しました。

 通訳の力不足という問題は決定的なのでしょうが、デリケートな問題になると意志の疎通を図ることの難しさが浮き彫りになります。支援活動の難しさを再認識した一日でした。