20091202(水曜日:晴れ)

 いよいよ師走。今夜は月がとても美しい夜でした。ほぼ満月でした。デジカメで雲と月を捉えようとするのですが、うまくいきません。デジカメの夜景という設定で撮ったのですが、三脚を使用し数秒の露光を経て撮影しましたが、月の輪郭が不鮮明でピンボケです。星空の設定ですと10秒近く露光し、画像が流れてしまいます。やはり一眼レフの高級機が必要でしょうか。

満月と雲

我が家の屋上から見たお月様。師走の月です。


20091203(木曜日:雨)

 打って変わって寒々しい一日。今日から県立東部看護専門学校の講義が始まりました。今日は一学科78名の皆さん相手に三階の視聴覚教室で90分話しました。日本眼科医会から先日メイルで送られてきた資料を利用させてもらいました。「視覚障害がもたらす経済的損失」という内容で、とても分かり易くPDFファイルにしてくれてありました。

 14時40分からと眠たい時間帯。それでも半分は最後まで聞いてくれたでしょうか?

(●^o^●)

■20世紀は映像の世紀ということで、映画の話も交えました。先日観た「マジソン郡の橋」の話をして、観たことのある人は、と尋ねましたが、手を上げたのは一人だけ。若い人の観る映画でないことは確かそうです。

 映画の中ではテレビではなくて、むしろラジオがとても魅力的に使用されていました。ラジオから流れてくるうっとりする音楽が重要な役割を演じているのです。二人きりの四日間にはラジオから流れる音楽しかありませんでしたが、家族が戻ってきてからはテレビが団欒の中心に座るのです。とても象徴的に思えました。

 まだご覧になっていない方のためにWikipedia から引用させていただくと、映画は

 世界的ベストセラー(およびロングセラー)となったロバート・ジェームズ・ウォラーによる同名小説(日本語訳・文藝春秋刊)を、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務めて映画化。この項目では主として映画について記載する。不倫をテーマにした大人のラブストーリーであり、米国のみならず世界的大ヒットを記録した。撮影は、小説に描かれた実在の場所、アイオワ州マディソン郡ウィンターセットに造られた特設スタディオ『フランチェスカの家』(Francesca's House)にて、延べ42日間に渡って行われた。


 とあります。あの映画を見て一番記憶に残った台詞は、メリルストリープ演じるフランチェスカの夫の言葉でした。病で余命いくばくもない夫がフランチェスカからベッドで投薬を受けた後、こう妻に伝えるのです。

 「君にも色々夢があっただろう。それらを叶えさせてあげることができなくて申し訳なかった。心から君を愛しているよ。」

 この台詞のおかげで映画が単なる不倫ものを越えて、観たものに感動をもたらしたのではないでしょうか。フランチェスカに対する夫の愛情が、いわば通奏低音として映画の中に流れていることに、この場面で気づかされたのです。夫の愛があったからこそ、4日間があれほど美しかったに違いありません。

■また昨年2008年は記念すべき100周年の年でした。自動車会社GMが設立された年であるとともに、ハリウッドで初めて映画が撮影された年でもあったのです。どちらもまさに視覚に依存した世界。視覚障害者にとっては、それ以前のどの世紀より辛い世紀だったに違いありません。

 講義は三月まで続きます。人前で話すことや資料の整理など自分自身の勉強のために引き受けたのですが、いささか負担になってきました。西のはずれから東まで一番遠い私が出かけるのも、ちょっと不自然かもしれません。それでも、もうしばらくは続けるつもりです。どうなりますことやら。

20091205(土曜日:雨)

 今日は午後から鶴橋ご夫婦と一緒に箱根に行きました。宿が無事に取れて久しぶりの箱根です。天気予報どおり午後から雨。雷雨の予報もあったので、仕事が終わり次第早めに家を出ました。

 箱根坂を上る頃から雨が強くなってきましたが無事に到着でき、さっそく温泉に浸かりました。17時から晩餐を始め24時近くまで食べて飲んで語り合いました。自治会の子供会でご一緒して以来、交流を重ねてきた仲ですが、話が弾みました。今夜は奥様の手作り料理を堪能しました。野菜中心のヘルシーメニューでしたが、とても美味しくいただきました。感謝、感謝です。

 週末の様子はこちらからどうぞ。

20091208(火曜日:晴れ) 

 今朝はウォーキングの際に、カワセミを見ました。時々見かけるのですが、今朝はアパート脇の排水路で見つけたのです。思わずデジカメでシャッターを切りましたが、あまりうまく撮れませんでした。しかし網膜反射が綺麗に写っているのはご愛嬌です。

 カワセミは飛んでいる後ろ姿が、やはり一番美しいようです。

排水路脇のカワセミ

排水路脇のカワセミ


20091209(水曜日:晴れ)

 ネットで大変興味深い記事を読みました。米で人気の電子ブック「キンドル」について以前書きましたが、その続編です。ある人がアメリカから個人輸入し日本語が表記できるように改造しました。そして「青空文庫」からファイルを取り込んだのです。ただし、そのままではなく、縦書きで振り仮名もふってあるPDF形式に製本したファイルを取り込んだのです。このPDFへの変換を自動的に行ってくれるサイトを有志の方が立ち上げてくれました。

 つまりこうなのです。もし夏目漱石の「坊ちゃん」をキンドルで読みたければ、「青空文庫」から「坊ちゃん」のページに飛び、そのアドレスを自動変換サイトにコピーします。すると自動的にPDF版「坊ちゃん」が完成します。それをキンドルに取り込みます。私自身はキンドルを持っていないので体験したわけではないのですが、記事の執筆者によると大変読みやすく手放せなくなった、というのです。PDF版を読んだ限りにおいても、大変読み易いものでした。

 キンドルは、Wikipediaによれば、

 他の電子ブックリーダーと同様、電子ペーパーの一種であるE Inkを使う。最大の違いはEV-DO(携帯電話網を利用した高速通信)を利用することで、PCを介さずに電子書籍や新聞記事がダウンロードできる点にある。携帯電話会社との契約は不要で、アマゾン・キンドルのサイトとウィキペディアのサイトであれば無料で接続できる(通信料をAmazon.comが負担する)。それ以外のサイトは有料となる予定であったが、2009年8月現在無料である。また、ニューヨーク・タイムズなどの新聞、タイムなどの雑誌、各種ブログをそれぞれ有料で購読できる。購読しているコンテンツのダウンロードは自動的に行われる。2009年8月時点では対応フォントは英語とギリシア文字のみ。

 またキーボードによる入力が可能であり、内蔵されている辞書での検索やノートをとるのに使える。

 USBケーブルでコンピュータと接続してファイルの移動が可能だが、HTMLやPDF、Microsoft Wordのドキュメントファイルなどのフォーマットを直接読むことはできないため、Mobipocket社が配布する無料ソフトかアマゾン・キンドルのサイトでの変換が必要になる。



 ということですが、上記の方法で版権の切れた古典が自由に読めるようです。これは画期的です。視認性の優れた端末の上、ほとんど無限量保存できますので、いつでもどこでも読むことができます。購入可能なら、いつでも買いたいと思っています。

 出版業界は、大変な時代にさしかかっています。

20091211(金曜日:雨)

 一日寒々しい雨が降り続きました。ニュースによれば、ベトナム政府が日本の新幹線を採用すると発表したようです。以下は日経新聞の報道です。

 ■ベトナムの高速鉄道、日本の新幹線を採用 総事業費5兆円

 ベトナム政府が東南アジア最大規模の交通インフラ整備事業「南北高速鉄道」に日本の新幹線方式の採用を決めたことが11日明らかになった。11月の日越首脳会談でグエン・タン・ズン首相が鳩山由紀夫首相に表明した。海外での同方式採用は台湾に次ぎ2番目。日本政府は近く、計画の推進を目指した次官級協議を提案する予定。総事業費560億ドル(約5兆円)の大規模事業が具体化に向けて動き出す。

 南北高速鉄道はベトナム北部の首都ハノイと南部の商都ホーチミン間(1560キロメートル)を結ぶ計画。事業規模が大きいため、ベトナム政府は一部区間を優先して着工する案を検討する。具体的には北部のハノイ―ビン間(280キロメートル)、南部のニャチャン―ホーチミン間(380キロメートル)の2区間で整備を先行する構想が浮上している。 (16:00)


 今年の夏、ベトナム支援の旅でハノイからダナンまで夜行列車に乗りました。計画されている南北高速鉄道が、どのようなルートを取るのか知りませんが、たぶんかなりの距離トンネルの中を走ることになるのでしょう。ハイバン峠付近は交通の難所。日本で言えば富山と新潟間の「親知らず子知らず」のような場所です。

 ベトナムで新幹線に乗れるまで元気でいたいものです。

20091212(土曜日:晴れ)

 昨日の寒々した天候から今日は一転してポカポカ陽気。半袖でも寒くないほどでした。

 ふだんパソコンではUbuntu を使用しているのでウインドウズはあまり使用しません。どうしてもウインドウズを使用しなけれならない時は年賀状の印刷です。これだけは残念ながらリナックスではできません。ということで、年末恒例の年賀状印刷のためにウインドウズを立ち上げ、せっかくですのでグーグル日本語入力を導入してみました。

 ネットで使用されている語彙を、得意の統計分析することで使用者が望んでいる語彙を提案してくれるタイプの仮名漢字変換ソフトです。色々批評が書かれていますので今さら私が付け加える事などないのですが、なるほどこの提案型変換はなかなか便利です。例えば有名な、「きしゃのきしゃはきしゃできしゃした → 貴社の記者は汽車で帰社した」と一発で変換されます。あまりにも有名なのでしょうね。今まではATOKでしたので、個人辞書の取り込みが大切なのですが、今のところ結構面倒です。自動的に探して取り込みができるといいですね。

 専門用語、例えば糖尿病網膜症は初回時には、「とうにょうびょうもう」まで入力しなければ候補として出てきませんが、二回目からは、「とう」まで入力すると正しく候補として提案されます。さらに凄いのは、「黄斑上膜」、「黄斑浮腫」、「黄斑円孔」などの専門用語。他の仮名漢字変換ソフトでは、まず出てこないような用語もきちんと候補が提案されます。これは凄いです。文章を書くのが、なんだか楽しくなってくるから不思議です。

 まだまだATOKには及ばないので個人的には使用に耐えない、とネット上では言われていますが、個人によって違いそうです。みなさまも一度使われてはいかがですか。個人的にはリナックス版があれば最高なのですが。

20091214(月曜日:曇時々晴れ)

 先日放映されたNHKドラマ「天城越え」を見ました。佐藤慶、大谷直子主演の松本清張原作のドラマです。以前映画を見た記憶があるのですが、今回は清張生誕100年記念という事で再放送されました。

 出演者は、名優ぞろい。見ていて飽きることがありません。一番記憶に残ったのは、佐藤慶演じる土工が少年に殺害される場面。命尽きる時に彼が漏らした言葉は、「これで、やっと終わる」という言葉でした。再婚した父に疎まれ、崖から父の手で一度は捨てられた彼が、ようやく安らぎの中に眠ることができる時が来た、という意味です。。

 親に愛されない子どもたちほど不幸なものはありません。いったい今現在どれほどの子どもたちがそのような境遇で悲しみのどん底で暮らしているのか。心痛むばかりです。

銀杏の木

銀杏の木がすっかり色づき楓の木と好対照をなしています。


20091216(水曜日:曇時々晴れ)

 今日から冷え込みが厳しくなるようです。俳人の黛まどかさんがネット上で読者からの俳句コンペを開催しています。今月のお題は、「行く秋」。当選句と解説をご覧ください。

 私が感じたのは、作者の心の余裕というものでした。静かに時間を見つめる心の余裕。誰にでも持てるものではないでしょう。世知辛い世の中だからこそ、心の余裕が大切ですね。俳句の素晴らしさが少し私にも分かる気がしました。

【今月の一句】(最優秀賞)

コーヒーに 純白の渦 秋惜しむ

周平

≪選評≫

 コーヒーにミルクを注ぐと、みるみる純白の渦が生まれました。

 その瞬間をそのまま切り取った一句ですが、句の余白に晩秋の静けさが広がり、一杯のコーヒーに秋を惜しむ作者の姿が浮かびます。

 俳句は″もの″の文学です。作者の思いは直接的には述べず、″もの″に託します。その分かえって余情が生まれるのです。

 日常の何気ない景ですが、作者の感性がそこに「行く秋」を見出だしました。類型のない、新鮮な一句です。

(黛まどか)


20091218(金曜日:晴れ、木枯らし)

 日本海側では大雪のようです。大陸から寒気団が南下し厳しい寒さが到来です。ということは、大陸ではこの時期、いつもこんな厳しい寒さに襲われているのでしょうね。静岡とは、よく言ったものです。寒いと言っても高が知れています。

 さて、懐かしい大スターの訃報が報じられました。

 ■慕情・終着駅…俳優ジェニファー・ジョーンズさん死去

 AP通信によると、ジェニファー・ジョーンズさん(米俳優)が17日、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去、90歳。1940〜50年代のハリウッドを代表する俳優の一人だった。

 オクラホマ州生まれ。舞台俳優だった両親の地方巡業に同行し、幼少時から舞台に立った。「聖処女」(43年)でアカデミー賞主演女優賞を受賞。グレゴリー・ペックと共演した「白昼の決闘」(46年)、モンゴメリー・クリフトと共演した「終着駅」(53年)、香港を舞台にした恋物語の「慕情」(55年)などに出演した。



 私にとっては香港を舞台にした映画、「慕情」が忘れられません。主題歌(サミー・フェイン作曲)は映画音楽史上の名作と言われますが、何度聴いても素晴らし名曲です。品のある美しさ、とは彼女のような女優さんのためにあるのでしょう。

 さっそくWikipediaで検索してみると、12月17日死去、とすでに書かれていたのにはびっくり。そして彼女が映画「風と共に去りぬ」のプロデューサーとして有名な、デヴィッド・O・セルズニックと再婚していたことを初めて知りました。気難し屋で有名なセルズニックとはおしどり夫婦だったようです。

 スカーレット役を誰にするのか、散々悩んだ末にビビアン・リーを抜擢したエピソードはあまりにも有名ですが、「第三の男」のプロデュースも手がけていたことを初めて知りました。数々の名画を生み出していたのですね。

 ご冥福を祈りたいと思います。

20091220(日曜日:晴れ、木枯らし)

 午前中は穏やかな天候でしたが午後からは木枯らしが吹き荒れました。今日は年末の掃除と年賀状の準備で一日終わりました。自分の分担は窓拭きと便所掃除。午前中窓拭きと洗車をし、午後からは年賀状印刷を始めました。昨年いただいた年賀状をもう一度チェックして住所録の変更を確認しパソコンに入力。喪中の案内も確認しました。

 あと残っているのはやり残した便所掃除だけです。

(●^o^●)

 いよいよ残すはあと二週間。最後まで気を引き締めて事故の無いように注意です。もうすぐ子ども達も戻ってきます。何よりの楽しみです。

20091222(火曜日:晴れ)冬至

 今日は冬至。宮城からの便りにはこんなものがありました。

■ユズ湯温か 風邪知らず きょう冬至

 露天風呂でゆったりとユズ湯を楽しむ利用客

 22日は二十四節気の一つ「冬至」。一年で最も昼が短いとされ、ユズ湯に入ると風邪をひかないと言われる。白石市鎌先温泉の旅館「湯守木村屋」では21日、一足早く露天風呂でユズ湯がサービスされた。

 用意されたユズは男湯と女湯合わせて約100個。湯船に浮かべられたユズはさわやかな香りを放ち、利用客はとっぷりと湯に漬かっていた。

 家族4人で訪れた埼玉県上尾市の中島君夫さん(59)は「香りに癒やされ、肌もすべすべになった。来年も健康に過ごせそうです」と喜んでいた。木村屋は22日もユズ湯を提供し、日帰り入浴客も利用できる。

2009年12月22日火曜日



 今日一番昼の時間が短いということは、明日からは毎日昼の時間が長くなるということです。冬来たりなば春遠からじ、ということでしょうか。ものは考えようですね。

(●^o^●)

我が家のお風呂に入れた柚子

 我が家のお風呂に入れた柚子。ネットに入れて楽しみました。体の芯から温まりました。


20091225(金曜日:晴れ)

 穏やかな一日でした。

 さて今年のベトナム枯葉剤被害者支援の旅では、15名の方に奨学金を贈りました。蓮の花奨学金です。年二回近況を送ってくださいね、と切手を貼った封書を手渡してあるのですが、この秋届いたのは6名(当初三名だったようですが、北村 元さんのお話では6名に増えたようです)からでした。

 郵便局自体がほとんど見当たらず、日本のようにどこにもポスト、という状況にはベトナムはありませんので、便りを送る、ということ自体が稀なのかもしれません。

 何はともあれ、その6名の中の一人が、たまたま私が贈呈役を仰せつかった、クアンガイ省のレ・ティ・キム・チュンからのものだったのです。きれいな、そして一番長文のお手紙でした、とは北村 元さんのお言葉です。

 今年の旅も猛暑の中きつい日程でしたが、こうした便りをもらうと、そんな辛さも喜びに変わります。来年も、ぜひ訪れようと決心した次第です。お便りをご覧ください。

宮尾和宏(注:支援隊 会長です)様

 手紙をお送りするのが遅くなった事をお詫び申しあげます。

 私は高校三年ですので勉強が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。

 皆様お元気ですか? 皆様にお会い出来ることを願っています。お会いしたいです。支援隊から奨学金を頂いて、沢山の励ましを頂戴しました。そして頑張る力も与えて頂きました。

 学校の友達には、日本人の優しさ、親切さ、人を愛する心について話をしました。そして友だちには、あの時下さった富士山の写真を自慢して見せました。友だちは皆、日本の素晴らしさと日本人の事を感心してくれました。

 私の故郷はとっても貧しいです。両親は二人とも軍人でした。兄弟は5人です。女三人男二人です。しかしお兄さん二人は枯れ葉剤の影響を受けて普通の生活はできません。全ての事は誰かにやってもらわなければなりません。私が中学二年のとき兄が一人亡くなりました。

 家族は少しの水田を耕作しています。両親は戦争の時負傷しています。しかし両親は私を養うのに一生懸命です。生まれつき障害を受けている子供達を悲しく思っているようですが、それにもかかわらず負ける事無く私達を養って、教育も受けさせてくれています。

 両親を悲しませないようにしようと考えています。そして自分自身何時も願っていることは、早く大人になって家族を助けられるようにしたい、そして、何時か日本に行ってみたい、ということです。

 日本人はとっても親切な人たちだと思います。

 あまり長く書くと皆様の貴重な時間を潰してしまうので、ここで終わります。

 最後に皆様のご健康と仕事が順調でありますように、そして今後意義のある活動を続けてくださる事を心から願っています。

 特に名古良輔先生には感謝致します。皆様の素敵な笑顔を、今でもはっきり覚えています。近いうちにお会いできれば・・と願いつつ。

敬具


証書を受け取るキム・チュンさん

 私から証書を受け取るキム・チュンさん。凛々(りり)しい瞳です。どうか、強く生きて、そして日本に来てほしいと心から願っています。


20091226(土曜日:曇のち晴れ)

 一日一日と年の終りが近づいて来ます。今朝は明け方雨が降ったのですが、ウォーキング時には上がって鶴ちゃんと二人で楽しく歩きました。

 夜はオーストラリアの北村さんとスカイプでお話。来年のベトナム支援の旅の予定を相談しました。何しろベトナムは遠いところですから、相手と相談して予定を立てるといっても大変。北村さんがテレビ朝日ハノイ支局長として築かれた人脈が無かった、たぶん何一つ決まらないのは間違いありません。国際支援と言うは簡単ですが、お茶碗一つ運ぶのにも大変な苦労があります。実際に関わってみないと分からない事だらけ。

 人生何事も、本当に勉強です。

20091227(日曜日:晴れ)

 暖かな一日。平成21年最後の日曜日でした。先週の日曜日に私の大掃除分担の殆どをし終えましたので、今日は仲間のゴル友と今年最後のプレイをしました。他の三人はシングル・プレイヤー。私だけがヘボですので、気が重かったのですが、一日楽しくプレイできました。上手な仲間とプレイすると、自然と良いプレイができるようです。

 人生何事にも当てはまるのが、論語の言葉。「学而時習之、不亦説乎」です。日本語読みでは、一般的には「学んで時(とき)に之を習う、又、悦ばしからずや」と読まれることが多いようです。これはもちろん学門ばかりでなく何事にも当てはまります。私はスポーツも習い事も手術も、大変似ている気がします。

金谷 治 訳注 「論語」(岩波文庫;1963年) 

 ・学んで時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。

 ・学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。(そのたびに理解が深まって向上していくのだから。)



 ある本では、「時」を適当な時期に、ではなく、機会あるごとに繰り返し繰り返し、と書かれていました。私には、この方がぴったり来ます。上達に王道はありません。学ぶ、つまりはまねぶ、上手な人の真似をする、ということから始まり、機会あるごとに繰り返し練習する。すると不思議なことに今までできなかったことが出来るようになる。そう、いかにも心嬉しいことなのです。自分自身が成長している、という確信を得る瞬間ほど、心嬉しい時はありません。

 読書も同じです。読む以前には知らなかった世界が自分の前に広がる。自分自身が成長した、と実感できます。自分自身がとても豊になった気がします。

 今年は、ついに念願の「カラマーゾフの兄弟」を読み終えました。何度かトライしながら挫折の連続でした。しかし残念ながら、私にはこの小説の素晴らしさが理解できませんでした。またいつか読み返してみましょう。まだその素晴らしさを理解できるほど、私は人間的に成熟していないようです。

 二年前から始めた筋トレも、ようやく成果が出てきたようで、筋肉が付いてくると血液循環も良くなり代謝が活発になりますから、老廃物の排泄も早まり、疲れの蓄積が少なくて済みます。そう言われてみると、そんな気がします。気のせいでしょうか。

(●^o^●)

 来年も、色々なことがあると思いますが、少しずつ自分自身を成長させていきたいと願っています。毎日少しずつの努力を積み重ねて行くと、あら不思議、今までできなかったことが出来るようになります。だから生きることは止められません。その瞬間の充実感が何にも換えがたいからです。

 明日は子ども達が帰ってきます。帰ってくるのは盆と正月になってしまいました。だからこそ、貴重な数日なのです。お正月が待ち遠しいとは、お年玉が楽しみだった子どもの頃に戻ったようです。来年も健康で良い年にしなければなりません。

20091228(月曜日:晴れ)

 今日で我が家は仕事納め。31日が当番日ですので完全に終わりという訳ではないのですが、とりあえずはご苦労様でした、というところです。

 さて録画してあったNHKの番組に昭和の歌、「ムード歌謡 フランク永井と松尾和子」というのがありました。昭和30年代にふるさと歌謡とともに一世を風靡したムード歌謡のスターを特集したものです。

 フランク永井さんは19歳で上京。進駐軍で運転手をしながらジャズを聞く毎日。しかし事故を起こし仕事を失いました。失意のどん底でしたが、ちょうど東京に出てきていた姉からもらった一枚のレコード、「My Baby's Coming Home」を擦り切れるまで聞き丸暗記。ラジオのコンクールで優勝しプロとしてデビュー。しかし録音し発売したレコードはさっぱり売れませんでした。

 そんな時に出会ったのが、作曲家 吉田正さん。二人の出会いが数々の名曲を世に送り出すことになります。彼の人生そのものが一編のドラマ。テレビから流れる低音の歌声は、まさに都会に憧れる当時の日本人の心を魅了しました。

 「有楽町で会いましょう」とキャッチフレーズを打ったそごうデパートも今は無く、時代の移り変わりを痛感しました。昭和は遠くなりにけり。

 昨年10月に亡くなられたフランク永井さんのご冥福を祈ります。

20091229(火曜日:晴れ)

 昨夜、子供達も戻ってきて、今日は家族忘年会。まずは拓とテニスをしてからです。前回は夏でしたでしょうか。帰ってくる度に逞しくなる拓ですが、こちらは衰えるばかりです。

 その様子は、こちらからどうぞ。

 あと二日で新年です。

20091230(水曜日:晴れ)

 昨日から年末休暇ですが、今日は知り合いのUさんのお見舞い兼往診に行ってきました。Uさんは、私がロータリークラブで会長を務めた時に大変お世話になった恩人です。

 脳出血で寝たきりの生活を余儀なくされています。残念ながら意思の疎通は未だに難しいのですが、今日は呼びかけたところ、こちらを振り向き私だと分かってくれて必死に何かを語りかけようとされました。元気だった頃の事をよく覚えている自分にとっては大変辛い対面なのですが、来る度に回復されているのが何よりの救いです。

 一日も早い快癒を願っています。

20091231(木曜日:晴れ)

 日本海側は大雪のようです。こちらは朝から強風が吹き荒れています。今日は当番日。大晦日というので大混雑が予想されました。予想通り通常の休日当番日よりは混雑しました。それでも、午後3時過ぎには落ち着きました。このまま無事に一年が終わってくれることを願うばかりです。

 昨夜は久しぶりに家族揃って手巻き寿司を楽しみました。手巻き寿司というと、富山時代を思い出します。子供達が食べ盛りで家計も苦しかったあの頃、スーパーで買出ししては週末、手巻き寿司をみんなで食べました。

 今では整理整頓の家元みたいな拓も、あの頃は食べ散らかしのチャンピオン。子供用のポケット付きの前掛けをさせて食べさせていました。ポケットはこぼしたご飯ですぐに満杯。本当にテンヤワンヤでした。新鮮で美味しいお魚が手軽に手に入る富山は、魚好きの家族にとっては天国でした。

 あれからもう20年以上の月日が流れました。家族揃って食卓を囲める機会も年々減少しています。来年からはどうなることやら。

 今年は拓が来年は彩が社会に巣立ちます。本当に今思えばあっという間の出来事でした。幸い家族全員が大病もすることなく月日を送ることができました。子供達も健康に注意して夢に向かって着実に歩んで行って欲しいものです。

 来年も良き年であることを祈って、今年のホームページを締め括りたいと思います。