2010 年 04 月のページ


4月1日(木曜日:雨)

 今朝のウォーキングで里山からウグイスの鳴き声を初めて耳にしました。ウォーキングを以前は夜していたのですが、物騒だということと、こうした季節の変化を、より敏感に感じることができるので早朝に変えました。

 本当のことを言えば、年をとると自然に目覚めが早くなるからです。ヘミングウェイの「老人と海」の中で、主人公サンティアゴが少年に向かって、「 Age is my alarm clock. 」という場面がありますが、確かにそのとおりに違いありません。

(●^o^●)

4月3日(土曜日:晴れ)

 今日は地元の白隠祭り。沼川沿いの桜並木が見頃です。と言っても、まだまだ3分から5部程度でしょうか。毎年第一土曜と日曜日に催し物が開催されます。

 今年も仲良し鶴橋夫婦と一緒に散策と楽しい飲み会を開催しました。

例年の場所で

毎年原駅に向かうこの橋の上で記念撮影をします。沼川と菜の花と、そして桜並木です。


沼川沿いの桜と菜の花

毎年のことながら自然は本当に偉大です。


楽しい飲み会

今年も近所の居酒屋で一杯。実に楽しい一時でした。よく食べました。



 ご近所に仲良し仲間がいてくれるのは有難いものです。お互い元気で末永く楽しくやりましょう、と誓い合って分かれました。

4月4日(日曜日:曇り後雨)

 朝のウォーキングで梅の実を見つけました。可愛い赤ちゃん梅です。

赤ちゃん梅

 ウォーキングからの帰りがけに見つけました。いずれ美味しい梅酒になって喉を潤してくれるのでしょうか。


4月7日(水曜日:曇り後雨)

 先日NHK BShiで放送された番組、「世紀の大発見 謎の小型人類 もう一つの指輪物語」には驚きました。Wikipediaによれば、

 ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、約1万2千年前まで生息していた小型のヒト属の新種の可能性が取りざたされている生物。身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。そのサイズからホビット(トールキンの作品中の小人)という愛称が付けられている。しかし、新種説に対しては、多くの反論もある。

 同島には、3万5千年から5万5千年前頃より人類が住んでいたと考えられており、その場合、ホモ・サピエンス(現生人類)とホモ・フローレシエンシスが共存していたことになる。1万2千年前に起こった火山の爆発で、ステゴドン等と共に滅んだと考えられるが、その後も生き残っていた可能性もある。

 現地にエブ・ゴゴ (Ebu Gogo) という小さく毛深い洞窟人の伝説があり、16世紀にオランダ人が到着した際もその伝説を聞いており、19 世紀ごろまで目撃したという話があった。近くのスマトラ島にもオラン・ペンデク (Orang Pendek) という同様の伝説・現代での目撃例がある。付近の小島にホモ・フローレシエンシスが生き残っている可能性があると考える人もいる。



 とあります。これまで猿人、原人、旧人、新人とひたすら脳を大きくすることで進化してきたと考えられてきた現生人類が、何と脳を小さくすることで環境に適応して生き抜いた可能性が出てきたのです。

 それでは同じ容積の脳を持つチンパンジーと人間とを分かつものは何か、という疑問が出てきます。番組の中で、京大霊長類研究所 松沢哲郎 所長は、こう述べていました。多数の実験、観察からチンパンジーは、いま、ここを生きているのであって、過去や未来と現在を関連付ける、言い換えると想像する、あるいは遠い時間や空間を越えて「思いをはせる」という行為ができない、というのです。それこそが人間が人間であることの原点だ、というのです。

 私たち人間には、想像すること、そして想いをはせる、ということができることで人間たり得ているのです。実に興味深いお話でした。

4月11日(日曜日:曇り)

 今日は一日大忙し。午前中は沼津西RCの仲間と、そして加藤学園高校のインターアクト部のみなさんと一緒に千本浜の清掃奉仕作業をしました。たのしくバーベキューをした後に、FM沼津に駆けつけ出演。明日から始まるベトナム枯葉剤被害者写真展の取材を受けたのです。

 パーソナリティーの高橋さんとは、以前医師会関係の番組で10年ほど前にご一緒したことがあったのですが、高橋さんも覚えていてくれたようです。高橋さんの進行がお上手なおかげで、スムーズに楽しく録音が完了しました。さすがプロですね。

 終了してから、良かったら自分が担当している他の番組にも出演してください、と依頼されました。うれしい限りです。「思い出音楽館」。思い出の三曲を選んでお話を進めるようです。

 どうなりますことやら。

 その後すぐに写真展の会場に駆けつけ、澄代と一緒に展示の準備をお手伝いしました。何事も準備は大変です。みなさん、本当にご苦労さまでした。

4月12日(月曜日:雨)

 寒い一日でした。まるで冬が逆戻りしたような一日。

 18日の講演に向けて資料を作っていますが、ベトナムの歴史、さらに欧米列強による植民地支配の歴史を読むと、本当に腹が立ちます。「道徳を説く男は偽善者であり、説教する女は不器量だ」と言ったのはオスカー・ワイルドだったと思いますが、欧米の指導者達が自由だ民主主義だと言い始めたら要注意です。

 アフリカは、戦後60年を過ぎても結局経済的に離陸できませんでした。欧州諸国の植民地支配が大きな原因です。わざわざ内部対立を引き起こす火種をたっぷり仕掛けた、その支配方法はルワンダで見られるように、それ以前は平和裏に生きてきた部族間に深刻な対立をもたらし、内部抗争ばかりを繰り返す歴史でした。本当に悲惨です。

 中国がアフリカに進出し、一部の新聞には危機感を煽る報道が目につきますが、果たしてどうなのでしょう。アフリカの国民が平和で豊になってくれることを祈るばかりです。

4月14日(水曜日:雨)

 昨年のベトナム支援の旅に同行してくれた愛ちゃんと真希ちゃんが写真展を見学に、わざわざ沼津まで来てくれました。夜は三人で美味しい「ひろ繁」の料理に舌鼓を打ちました。二人とも元気でなによりでした。

 去年の思い出、近況などを報告しあいながら楽しく時が過ぎました。浜松と海老名に帰らなければならないので、なかなか時間的にはきつかったのですが、本当にあっという間の時間でした。

三人で

美女に囲まれてご満悦の私。二人とも今が女盛り。美しい盛りです。(●^o^●)


4月16日(金曜日:雨)

 午後から名古屋にきました。学会出席のためです。夜は拓とのんと三人で一杯やりました。あやは職場の歓迎会と重なってしまい残念ですが来られませんでした。次回のお楽しみです。

 のんは実習の後で疲労困憊。たぶん来られないだろうな、と思っていたのですが、20時近くになって駆けつけてくれました。三人でしたが、本当に楽しい一時でした。二人ともずいぶんと大人になって考え方もしっかりしてきたし、その分父親との距離も近づいたようです。話も弾みました。

のんが駆けつけて

 のんちゃんが駆けつけてくれて、再度乾杯。本当に楽しい一時でした。帰りのことを考えると来るもの嫌だったと思いますが、よく来てくれました。感謝、感謝です。

 でもこののんは、かなりお疲れモードですね。

 (●^o^●)


4月18日(日曜日:快晴)

 今日は早起きして学会場に行き、モーニングセミナーを聞いた後、30分ほど他の発表を聞き、名古屋駅に向かいました。サンウェル沼津での講演会「ベトナム枯葉剤被害者を訪ねて」でお話をするためです。

 同会場で12日から25日まで開催されている、愛のベトナムさわやか支援隊の活動報告写真展に合わせて企画していただきました。三階の会議室は45名の定員でしたが、みんなの努力で、と言っても家内がかなり頑張ってくれましたが、30名ほどの方が集まってくれました。友人の鶴橋ご夫妻が参加してくださったのは望外の喜びでした。また澄代の友人がたくさん来てくださり、うれしい半面、つまらない話で友人を失望させたらどうしよう、とかなりプレッシャーがかかったのも事実です。

(●^o^●)

 金原 昇さんと新谷文子さんのお陰で、講演に使用するパソコン、プロジェクターなどの事前準備は完璧でした。ただ会場の間取りがパソコンでのプレゼンには不向きで、採光の関係で室内の電灯を全て消してもスクリーン部分が明るすぎ、聴衆にはとても見にくい画面になってしまいました。事前のチェックが甘かったと反省しました。

 マザーテレサの言葉、「愛の反対語は憎しみではない。無関心だ」を紹介し、とにかく関心を持っていただきたいこと。そして私たち人間は時間的、空間的に遠く離れた場所を想像できる、あるいは心をはせることができる、それがチンパンジーと人間との違いなのだ、という京都大学霊長類研究所所長の松沢哲郎先生の指摘を紹介し、遠く離れたベトナムの、さらに辺境の農村で誰からも関心を持たれず、人知れず暮らす被害者の生活に思いをはせて欲しいとお願いしました。

 スライドに無い部分、例えばまくらの部分の話は、徹底的に原稿を頭に叩き込み、できるだけ自然に話が進んでいるように見えるように努力しました。話に特有のつなぎ言葉、例えば、「あー」とか「えー」とかが少なくて聞きやすかった、と友人が後で言ってくれたのは、たぶんこの努力のお陰でしょうか。とにかく、ずいぶんと練習しました。人前で意味のある話すのは大変です。

 私のお話では、どれだけ聴衆の心に響いたかは疑問ですが、残りの時間の中で行われた参加者との質疑応答、あるいは支援隊創立当時の思い出を語った櫻井恵美子さんの感動的なお話により、心の交流が図られたと思っています。宮尾和宏会長以下、みなさんのご努力の賜物でした。本当に有難うございました。

新谷さんのお孫さんから

新谷さんのお孫さんから花束を頂きました。本当にうれしく、感謝の気持ちで一杯です。


4月22日(木曜日:雨)

■昨日の晴天から今日は冷たい雨。夏日になったり冬に戻ったり、洋服ダンスの整理がいつになってもできない今年の春です。まるでジェット・コースターに乗っているような毎日です。

■自民党からの離党者が後を立ちません。舛添さんが離党し新党を立ち上げることを表明。これで一段落でしょうか。政権を持たない政党の悲しさです。夏の参議院選挙は、いったいどんな結果が待ち受けているのか。

■先日新しいエネルギー源としての藻類が取り上げられていました。油を放出する藻類があるのです。水と太陽の光さえあれば、ほぼ無限に増殖しますのでトウモロコシのようにエタノールを取るために食料供給分が不足することもありません。まるで夢のような話ですが、アメリカでは国家をあげて巨額の資金を投じているのに比較して、優れた研究者が細々と取り組んできた日本。彼我の違いをまざまざと見せつけられました。

 いったん、その研究者がノーベル賞でも取れば、たちどころにお金が集まるのでしょうが、他国の権威から認められないとみんなが振り向かないのが日本の国情です。寂しい限りです。目利きがいない、というのが日本という国の特徴なんでしょうか。


■今日は夕方FM沼津の「思い出音楽館」という番組に出演させていただきました。「ベトナム枯葉剤被害者を訪ねて」の講演会のための宣伝に、新谷さんのご尽力で先日出演したのですが、パーソナリティーの高橋恵子さんが今回誘ってくださったのです。

FM沼津


 三曲を選び、それにまつわる思い出を語る、という番組。「嵐を呼ぶ男」、「街の灯」、そして「荒野の決闘」の三曲を選びました。川口での幼年時代、母が映画好きで末っ子だった私を連れて、川口東映という映画館によく通ったものです。当時は東映の時代劇が全盛時代。壁一面に大友龍太郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵といった当時の大スターの顔写真が飾られていました。しかし東映の時代劇には、残念ながらこれといった音楽はなく、結局その次の時代の日活映画から裕次郎の曲を選びました。

 そして最後は、「あなたが義手をつけるのを、私が手伝うわ」という映画「我等の生涯の最良の年」からの引用で締めくくりました。荒野の決闘でヘンリー・フォンダが演じたワイアット・アープ。強くてシャイな彼のような男に憧れていた自分から、完璧な人間などいない、補い合い、助け合えば良いのだ、というメッセージへの転換。年を取るということ、あるいは28年の結婚生活が自分を変えたのかもしれません。

4月23日(金曜日:雨)

 朝、目が覚めると小鳥の声が聞こえました。カーテンを開けて空を見ると、今にも降り出しそうな雲行き。それでも小鳥に誘われてウォーキングに出かけました。ここ数日は雨のためにウォーキングもせずじまい。さすがに雨の中を歩くことはしていません。

 桃沢神社まで無事に往復できました。家族の健康、両親の健康、願うのはそればかり。アヤも社会人として無事に船出してくれるといいのですが。何事もスタートが肝心です。

●映画「我等の生涯の最良の年」は、第二次世界大戦での帰還兵の社会への再適合の苦闘を描いた作品です。傷病兵士ホーマーは、戦争で両肘から先の腕を失ってしまいます。帰国したものの、幼なじみの許嫁ウィルマとはしっくりいきません。幼なじみになぜ結婚できないのか、と問い詰められて彼は始めて両腕の義手を外して、こう言うのです。

 「これで僕はなにもできない。一人ではドアを開けることも、トイレに行くこともできない」とつぶやく。それをじっと見つめていたウィルマが言う、

 「あなたが義手をつけるのを、私が手伝うわ」

 結婚して28年になりますが今思うことは、完璧な人間などいない、お互い補って暮らしていけば良いのだ、ということです。街の灯、荒野の決闘と年とともに変遷してきた自分の精神の歩みも、この言葉で一つの終着点を向かえたように思います。もちろん、この先どこへ向かう路線に乗り換えるのか、それはこれからのお楽しみです。

4月26日(月曜日:快晴)

 昨日、今日と気持ちの良い春らしい天候です。土曜日に澄代と一緒にお揃いでトレーニング・ウェアを買いました。毎朝ウォーキングに出かけるときに着ているものは、もう10年以上着ているでしょうか。肘がほころんでいました。

 今朝は新品でウォーキングに出かけました。天気のためででしょうか、新品のためでしょうか、爽やかな気分でした。

 心なしかすれ違う人々の私を見る目が違っていたように見えました。人は見た目が9割と言いますから。

(●^o^●)

新茶の葉です

新茶が刈り取られるのを待っています。


牡丹の花が咲きました

牡丹の花が咲きました。与謝蕪村が愛した花です。



 4月もいよいよ最後の週になりました。弥生5月は目の前です。

4月28日(水曜日:快晴)

 ベトナム枯葉剤被害者写真展のページを作りました。支援隊のみなさんの力で今年も開催することができました。18日は一時間に渡ってお話をさせていただきました。

 その中で私は欧米諸国の植民地統治について触れました。未だにそうした分割統治の後遺症に悩んでいる国々はたくさんあるのです。欧米諸国はまるでそんなことは無かったかのように知らん顔をしていますが、400年ぶりとも500年ぶりとも言われる歴史の転換点に我々はいるのだ、という強い思いを持たなければなりません。

 アジアの平和を中国とともに我々は築いていかなければならないのです。

柿の葉

 4月に入り見る見るうちに新しい枝が伸び深い緑の葉が広がりました。その生命力には驚くばかりです。


柿の葉

 柿の葉は一年で人の一生を表現しているように見えます。今はまるで赤ちゃんのほっぺのように艶々しています。そして花を付け秋には渋い色合いに変身して散っていくのです。

 その変化を見ているだけで一年が楽しくなります。自分もやがて土に還るわけですから。


4月29日(木曜日:雨のち晴)

 今日は友人の鶴橋夫妻と散策を楽しみました。最初は愛鷹山に登ろうと計画。水神社まで車で行き、そこから歩いて池の平まで、と考えていたのですが、あいにくの雨模様。水神社でしばらく待機したのですが、さすがに雲が厚く、これではダメだと見切りをつけて、今日は千本浜遊歩道を歩くことにしました。

 計6キロほど歩きました。2万歩の散策でした。帰りがけに、帯笑園の前を通るとたまたま今日は一般に開放している日でした。さっそく立ち寄って当主の植松さんから直に植物の説明をしていただきました。本当に貴重な沼津市原の財産だったのですが、戦後の流れの中で地所を維持するのが困難となり切り売り状態から往時の数分の一まで縮小してしまいました。

 幸い昨年でしたでしょうか、沼津市が地所を買い上げ管理下に置きました。これで更なる庭園の縮小に歯止めがかかりました。しかし惜しいことをしたものです。

今日の様子はこちらをご覧ください。

4月30日(木曜日:晴)

 今日で4月も終わり。いよいよ皐月5月です。春とはいえ寒さに凍えた4月でした。野菜は高騰し冬物のコートが飛ぶように売れたそうです。アイスランドの火山の爆発が冷夏をもたらすのではないか、と心配されています。どうなるのでしょうか。