2012年5月3日(木曜日:雨) 憲法記念日



■さて逗子から電車で東京へ向かいました。今夜は拓と待ち合わせて、東京スカイツリーを見学しよう、と話し合いました。

 待ち合わせまで少し時間がありましたので、銀座によって銀ブラと洒落込みました。

 歩行者天国になっていましたが、本当に久しぶりです。

 浅草線押上駅で待ち合わせました。今年の4月の学会では蔵前駅近くのホテルに逗留しましたので、土地勘は持っているつもりでしたが、やはりダメでした。

 まずはホテルにチェックインした後、押上駅に向かいました。ホテルからは浅草線に乗り、押上駅に向かいましたが、蔵前駅には大江戸線と浅草線の二つの駅があり、あやうく間違えそうでした。

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 押上駅を下りて出口を上がると、何と何と目の前に東京スカイツリーがそびえ立っていました。霧のために、残念ながら何百メーターだか、その先は雲に隠れて見えませんでした。

 しかし間近にみるスカイツリーの迫力は、さすがに圧倒的でした。ライトアップされれば、最高のナイトスポットになるに違いありません。


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 さてさて、今夜の夕食は明日に備えて軽めとしました。浅草駅前のもんじゃ焼きのお店です。

 もんじゃ焼きは初めて食べましたが、美味しかったですね。拓と一緒だったからかな?

(●^o^●)


■さてさて、食後は三人でぶらりぶらりと宿まで歩きました。

 浅草浅草寺に立ち寄りました。浅草寺は、Wikipedia によれば、

 浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は「金龍山」。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。

 元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。

 東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。


 と、あります。何十年か前に母方の祖父に連れられて、雷門前の天ぷら屋さんでご馳走してもらった記憶が、今でも残っています。

 私にとっては浅草は、天ぷらの街なのです。


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 通称「雷門」です。Wikipedia によれば、

 表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。

 慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものである。門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯がある。三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれる。

 風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年(1865年)の火災で焼失後、明治7年(1874年)に補作。昭和35年(1960年)の門再建時に補修と彩色が加えられている。門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年(1978年)に奉納されたものである。

 と、あります。


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 ライトアップされた五重塔です。Wikipedia によれば、

 再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。

 現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。

 と、あります。一度は消失したんですね。