オランダの旅(1998年6月)


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運河の前で運河を回るボートに乗って


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ヴァン・ゴッホ美術館前市内を走る路面電車


オランダへの旅

 1982年にスペインへ新婚旅行をしたのですが、当時は冷戦の真っ只中。ソ連の上空は飛行禁止。となると当時、東回りでまず立ち寄るのはアラスカのアンカレッジ。今ではアンカレッジがどこにあるかを知らない旅行者も多いのではないでしょうか。

 アンカレッジでどれだけ時間潰しをしたか今では思い出せませんが、ようやく第一の目的地ベルギーのブリュッセルに到着したのはずいぶんと飛行したあとでした。結局飛行機を乗り継いでマドリッドに到着したのは20時間以上経っていたように思います。

 それに比較すれば、1998年の旅行は最短航路でまっすぐ(?)ロシアを横切って北欧経由で北から舞い降りるがごとくアムステルダム一直線の旅でした。12時間ほどでしたでしょうか?

アムステルダムにて

 アムステルダムには、始めての旅でした。司馬遼太郎さんの「街道をゆく〈35〉オランダ紀行」を前もって読んでいましたので、知識が全くゼロという訳ではなかったものの、やはり聞くと見るとは違うものです。

 この本の中に確か、「この地球は神が作りたもうたが、オランダの大地はオランダ人が作った」という意味の言葉が紹介されていたように記憶しています。ほとんどの土地が海抜零メートル以下というオランダの大地は、まさにオランダ人がゼロから作り上げたのです。

 運河が網の目のように配置され、有名な風車は一時も休むこと無く排水を続けている。そうしないと、大方の土地は水没してしまうのです。日本ではなかなか想像できない状況です。

 運河に沿うように数百年前に建てられたレンガ造りの図ったように同じ高さの建物が並んでいました。そんな建物の一つ、「レンブラント・ホテル」に宿を取りました。

アムステルダム・スキポール空港

 最初に到着したスキポール空港は2007年の統計では、年間旅客数で欧州でも5番目、世界でも12番目の年間約4千8百万人が利用する大空港です。ちなみに日本の空港では羽田空港が第4位の約6千7百万人、成田空港が第24位の3千5百万人とのこと。

 何より驚いたのは交通の便がとても良いこと。市内には電車で30分以内には到着できました。この電車でも驚いたのは、切符を誰も確認しないこと。その鷹揚さには驚きました。ルールを破る人は誰もいないのでしょうか?

ホテルに到着

 アムステルダム中央駅で電車を降りて、まずしなければいけなかったのがホテルへの連絡でした。何しろホテルがどこにあるか知らないからです。駅でホテルに電話をしようとしたのですが、公衆電話の使い方が分からずもたもたしていると、現地の方が親切にも小銭を入れて使い方を実践してくれました。旅の身に取ってはこうした親切は本当に有難いものです。

 電話で所在地を確認しホテルに向かって歩き始めました。歩いて15分ほどでしょうか、運河沿いに小じんまりしたレンブラント・ホテルがありました。やっとのことで到着し安堵の思いでした。
 
 

アムステルダム雑感

 市内を縦横に路面電車が走っており、気軽で便利な公共交通機関として市民の大切な足となっているようです。日本に帰ってきてみると、東京の地下鉄や大都市は恵まれていますが、地方へ行くと車無しでは生活が成り立たない現状です。若いうちは良いのですが年を取ると、車が無いと生活ができないのは不便極まりないのです。仕事柄高齢者の視力を計る機会が多いのですが、こんな視力で運転していて大丈夫なんだろうか、という事はしょっちゅうです。しかし、本人に取ってみれば車無しの生活は足を奪われるのに等しい、と感じているはずです。

 年を取って住むなら、路面電車のある街です。

 またアムステルダムでは、自転車が多いのに驚きます。朝の出勤時間帯に街を歩いたのですが、公園と思しき場所から蜘蛛の子が湧くように自転車が飛び出してきた時は大変驚きました。

 坂の街の対極にあるアムステルダムは、自転車には絶好の生息地かもしれません。
 
TO:アンネ・フランクの家