立秋

木曜日:曇

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■今朝はゆっくりと休みました。午前7時4分の段階では、窓を閉めていても暑さを感じることもないほどの天候ですが、これからが大変です。昨日は館林市でも、再び 39 度超える気温を観測しましたし、今日は名古屋でも 35 度を超えそうです。まさに立秋とは名ばかりの暑さです。

■何とかホームページの引越しも無事に終わりそうですが、昔々のファイルに、なぜかアクセスできずに表示できません。あなたのサーバーでは、このファイルにアクセスする権利がありません、と表示されて拒否されます。以前のサーバーでは、そんなことは無かったのですが。これから原因を調査して解決しなければなりません。

■今日の写真は先日Takuと一緒に行った東京駅八重洲北口の様子です。1914年(大正3年)12月20日に開業し今年の12月で開業 100 週年を迎える東京駅。Wikipediaによれば、

 駅舎の保存・復原に関しては、当初の駅舎に使用されていた炭殻コンクリートについて圧縮試験の結果から、安全性の問題によりやむを得ず撤去することになった。また戦災を受けた鉄骨については、火災の影響が小さく再活用が可能と判断されたため、一部変形が激しいもののみ補強材を入れるのみで基本的に再利用が行われた。復元する3階部分については鉄骨鉄筋コンクリートで建設され、屋根組も基本的に現代の材料と技術により復原されている[382]。線路側外壁のモルタルは撤去して、この部分と3階の外壁について化粧煉瓦、花崗岩、擬石により復原を行った[218]。

 屋根は、創建当初は雄勝産の天然スレート約7600平方メートルで葺かれていたが、戦災復旧に際して鉄板葺きとなり、1952年(昭和27年)、1973年(昭和48年)、1990年(平成2年)と3回にわたって天然スレートでの葺き替えが行われてきた。復原工事前のスレートは登米産のもので、ドーム部と中央部は魚鱗葺き、切り妻部は一文字葺きとなっていたが、復原に当たって創建当初の一文字葺きに統一された。復原にあたって必要とされたスレートは45万7350枚(8790平方メートル)で、13万5450枚(2160平方メートル)は登米産のものを再利用し、雄勝産2万2800枚(430平方メートル)とスペイン産29万9100枚(6200平方メートル)で補う計画とされていた。しかし東日本大震災により宮城県で出荷準備中のスレートが流失・破損し、3万2120枚が不足したことからこの分もスペイン産で補われた。最終的に雄勝産1万5000枚(250平方メートル)、登米産11万1130枚(1480平方メートル)、スペイン産33万1220枚(7060平方メートル)となり、被災したスレートのうち使用可能と判断されたものは南北ドームや中央部など象徴的な場所を選んで配している[383]。

 ドーム内部の設計図は1枚しか残っておらず、写真も白黒のものだけであったことから、深井隆東京芸術大学教授の監修により古写真の分析などを用いてレリーフを復原した。南ドーム3階壁面南東側のレリーフのみは、戦災後も一部残存していたことからこれを樹脂を含浸して補強し石膏パーツで強化補強してそのまま取り付けている[383]。
こうして2012年(平成24年)10月1日に復原工事が完成しグランドオープンとなった。復原駅舎は地上3階(一部4階)、地下2階建、延べ床面積約4万3000平方メートルで、このうち駅施設およびトラベルサービスセンターが約7800平方メートル、ホテルが約2万800平方メートル、ギャラリーが約2900平方メートル、地下駐車場が約3600平方メートル、設備室などが約7900平方メートルとなっている[218]。

 2013年9月20日には、八重洲側に建設中であったグランルーフがオープンとなった。同時にグランルーフ直下の地下1階の商業施設「キラピカ通り」もグランルーフフロントとしてリニューアルオープンした。グランルーフは、地上3階地下3階建て総面積約1万4000平方メートルで、全長約230メートルの膜状の大屋根を備えている。2階のデッキはノースタワー、サウスタワーそれぞれの2階に直結している。さらに駅前広場の工事が続けられており、2014年秋にバス、タクシー乗り場、一般車乗降場を備えた約1万700平方メートルの交通広場が完成することになっている。外堀通り沿いには、サウスタワー建設時に出土した江戸城外堀の石垣の一部を活用した石垣が設けられる


 駅前広場は、未だ改築中ですが、上記の記載によれば秋には新装オープンするようです。Takuと一緒に、また行ってみたいものです。


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