シリーズ日本新生 戦後 69 年 いま"ニッポンの平和"を考える

土曜日:晴れ

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■今朝は鶴ちゃんとのウォーキングデイ。桃沢神社までの往復八千歩。四方山話に花を咲かせながらのひと時です。こちらは、午前中は仕事ですので、これで今日は一日のんびりと、というわけには行きません。

 今年は猛暑の予想でしたが、蒸し暑さのあまり寝苦しいほどの夜は、数回しか無かったように記憶しています。お盆も過ぎて、これからは熟睡できる夜が増えてくるかもしれません。

■さて昨日は終戦記念日というこで、NHKでも特集番組を放送していました。その中に、「シリーズ日本新生 戦後 69 年 いま"ニッポンの平和"を考える」がありました。大変興味深く拝見しました。

 8 月 15 日終戦の日、戦争の惨禍を経験した日本が守るべき平和主義とは何か、改めて考える。軍事力の強化をすすめる中国など、日本を取りまく安全保障環境が激変している。

 戦後 69 年の今年 7 月、政府は集団的自衛権の行使容認を閣議決定。「積極的平和主義」のもと、日本の安全保障の新たな枠組みの構築をめざしている。2度と戦争の悲劇を繰り返さないと誓った戦後日本。21 世紀に入り、世界の枠組みが大きく変貌する中で、日本の平和をどう守っていくべきなのか。日本が掲げるべき平和主義のあり方を生放送で徹底討論する。


 異なる分野の6名の方が、それぞれの立場から意見を述べられていました。集団的自衛権の問題を中心に、賛成、反対の立場から主張を述べられていましたが、こうした番組を見る時は用心が必要です。

 田中 宇さんの記事を読むようになる以前でしたら、日本は某国に侵略される可能性が出てきたのだから、それに備えなければいけない、という側の意見を、なるほどなるほど、とたぶん受け入れたに違いありません。

 しかし、これが眉唾なのです。日本の未来を心から案じて意見を述べていると思いきや、実は自分の立場を守るために、自分の利益を守るために、虎の威を借る狐よろしく、横のものを縦にして見せている、という識者と呼ばれる人が多いのです。安部総理を取り巻く人々には、こうした方が、どうも多いようです。

 最後の一言の中で、某大学の安全保障の専門家が、日本は侵略される可能性など無い、などという非現実的な前提をもとに討論をしても意味が無い。冷静な現実的な意見を述べないといけない、という趣旨の発言をしていました。この先生は、一見すると戦前の青年将校を思い起こさせましたが、威勢が良いのは私にも分かりました。

 考えてみると、これまで日本が大陸を侵略したのは、豊臣秀吉の時代と戦前だけでも二回は間違いなくありました。ところが反対に大陸側が日本に攻め込んできたのは、モンゴル軍の元寇を除けば一度もなかったはずです。

 現実的に冷静に考えてみれば、こちらが攻め込まれるのではないか、と危惧するより、大陸側が心配するほうが必然性があるはずです。二度あることは三度ある、と言いますから。

 危ない危ないと言って、実は自分自身のことを再優先にしているから、世の中は危ないのです。ジャーナリスト鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年3月13日 - )さんの主張が、私には一番本当らしく思えました。自らを捨てている人の主張というものには、混じり物がありません。

 それに比べると、某元外交官の方は、アメリカの提灯持ち、という形容がぴったりでした。本当に、危ない危ないです。アメリカの一極支配が終わりつつある今、あらゆる手段を用いて、あらゆる国と厳しい交渉を通して、自国の安全を武力を用いること無く死守するのが外交です。アメリカだけに頼って済んでいた時代は、終わろうとしているのです。ところがマスコミには、自分自身の利益のために虎の威を借る狐たちが、うようよしているのです。

 テレビばかりを見ていると、容易に人はころりと騙されるに違いありません。それが世論と呼ばれるものを形成するのですから、国の未来というものは危ういものです。



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