残日録由来
(金曜日:雨)
■今朝は雨。昨日、一昨日と走りましたので、今日は休養日です。今年の人間ドックでは、別宮啓之先生に鋭い指摘を受けました。『最近はテニスはしていないのですか。上半身の筋肉が昨年より衰えています。』本当に別宮先生は名医だと思いました。今の若い先生方は、患者さんの体に触れて確認することを怠りがちです。何かというとレントゲン、CT、MRIと、なりがちです。
内科診断学の基本中の基本。問診、聴診、打診。こうした手順を省いてしまう先生が、とても多いように思います。自分が患者になってみると、こうした基本を怠ること無く診察してくれる先生って、本当に信頼が持てます。
ということで、筋トレも腹筋だけでなく、上半身も加えないといけないかな、と反省した人間ドックでした。
■さてさて残日録とは、言うまでもなく「『三屋清左衛門残日録』(みつやせいざえもんざんじつろく)に由来します。作品は藤沢周平著の連作短編時代小説。『別冊文藝春秋』1985年夏季号から1989年新春号に連載され、1989年に文藝春秋から単行本が刊行された、とはネットにあるとおりです。藤沢さんの作品に一時期夢中になりました。手に入る作品は、ほとんど読みました。
その中にこの作品があったのですが、昨年父を亡くしてから、作品が更に身近に感じるようになりました。作品の中では、確か主人公は 54 歳で家督を息子に譲って隠居したはずです。人生 50 年の時代ですから、決して早すぎる隠居ではなかったとは思うのですが、今から見ると少し早すぎるように見えます。
私自身は自営業なので、元気な間は現役で仕事をするつもりですが、父の死によって、いよいよ順番が回ってきた、という実感が湧いてきたのです。次は当然息子ではなくて自分だ、という思いです。そんな思いの中で、この作品を再読すると、また別の味わいがあるから不思議です。
作品名は、これまたネットによれば、
これは嫁の里江が心配したような「死ぬまでの残りの日を数える」という意味ではなく、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」という意味で名付けたものである。
とのこと。まだまだ娑婆からおさらばするわけには行きそうにありません。