人を愛するということは 知らない人生を 知るということだ
(月曜日:晴れ)
■昨日は一日雨でした。Sunは東京での研修会に出席。私は一日家でゴロゴロしていました。滋賀県ではびわ湖毎日マラソンが行われ、静岡では静岡マラソンが開催されました。びわ湖毎日マラソンは日本で最も歴史あるマラソン大会だそうですが、私は昨日まで知りませんでした。瀬古利彦さんが、琵琶湖からオリンピックへ、と語られていましたが、そういえば瀬古さんもソウル五輪への出場を決めたのは、この大会だったと記憶しています。
両大会とも雨の中の開催で、今朝の新聞によれば、静岡マラソンでも約88%の方が無事に完走したそうです。もしもエントリーしていたとしても、昨日の天候では私は出場はしなかったと思います。もう年寄りですから、無理をして風邪でもひいたら大変です。昔々、ロータリークラブの仲間と駿府マラソン時代に、雨の中を激走したのは良かったのですが、その後に風邪をこじらせ肺炎になって、危うく旅立つところでした。その経験から学ばねばいけません。
ということで、びわ湖毎日マラソンをテレビ観戦して、「チーム」をもう一度読みなおしていました。人は何のために、誰のために走るのだろうか、という素朴な疑問があります。この本の中で語られる、「誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ。」という言葉は、その一つの回答に違いありません。一ヘボ市民ランナーですが、自分もそんなことを考えるようになったということは、走るようになったお陰だ、と感謝しています。
さらに前回「チームby 堂場 瞬一」を読んだ時には印を付けなかったのですが、「チームは絶対に自分より大きい。そういう大きなもののために頑張ろうって思えば、自分のためだけに走るよりも大きな目標になるんじゃないか?」、という言葉には、アドラー心理学でいう「共同体感覚」に近い意味があるのではないか、ということに気付きました。
■さて今日の言葉は、灰谷 健次郎さんの『ひとりぼっちの動物園』からです。
あなたの知らないところに いろいろな人生がある
あなたの人生が かけがえのないように
あなたの知らない人生も また かけがえがない
人を愛するということは 知らない人生を 知るということだ
まことに、その通りに違いありません。