より大きな共同体の声を聞け

(火曜日:曇)

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■今朝も走りました。今朝は起きだすのが辛かったのですが、明日は雨のようですので、走ることのできる朝に走っておかないと積み重ねができません。いつもよりもゆっくりと、いつものコースを走りました。走り始めれば、5キロの距離を走ることは、それほど辛いとは思わなくなりました。進歩したのでしょう。

 さて以下の記事には、大いに頷くと共に考えさせられました。

 お二人の対談を読んでいると、三年前から走り始めた自分の思いと共通する部分がかなりあり、「うん、そうだ、そうだ」と頷くことしきりです。

 走ることは何が面白く、何を得られるのか。

 中年期になってからランニングにはまった2人の作家がいる。作家の江上剛氏は、56歳を越えて突然、ランニングに目覚めた。一方のノンフィクション作家、辰濃哲郎氏は運動経験があったものの、中年になって本格的に走り出した。

 しかも、この2人は「仕事や生活で大きな困難に直面したときに、走ることで救われた」と述懐する点でも共通する。

「ダイエットや健康維持、そして脳と精神の活性化のためにランニングは最適だと説く」作家兼中年ランナーの対談をお届けする。


 これを読んで思い出したは、いまやアドラー心理学のバイブル、「嫌われる勇気」です。本の中で述べられていたことの一つに、「より大きな共同体の声を聞け」という内容がありました。例えば学校や会社で様々な壁にぶつかった時、我々はどうしてもそこが世界の全てだ、と考えがちです。しかし世界は学校や会社だけで成り立っているわけではありません。地域社会もあれば、NPOなどの違った組織もあるわけです。国もあれば世界もある。いや宇宙すらあるのです。

 アドラーの共同体の中には宇宙も含まれる、という記述がありましたが、あまりにも気宇壮大で、そうした主張のためにアドラーから離れていった仲間も多々あったようです。

 江上さんの『1人で走ることを僕は「走る禅」って言っているけど、自分で向き合う感じがあるんですよね』というお話に、私はアドラーの共同体には宇宙も含まれる、という主張と共鳴するものを感じます。一人きりで走っている時に対話しているのは、実は宇宙ではないか、という思いです。

 ぜひ上記の記事をお読み下さい。明日から走ろうと思われる方も、いるやもしれません。



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