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(日曜日:雨)

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■今年も沼川沿いの桜並木が満開になりました。午後8時17分現在、満開と言って良い状態です。いささか冷たい雨に打たれていますが、風の無いおかげでしょうか、辛くも花びらは散らずに、まさに花の雲の状態です。

 明日は地元の小中学校の入学式。雨も上がって、子ども達の門出を花々が何とか祝ってくれると良いのですが。

■今日は久しぶりの、のんびりした休日になりました。休める日は日曜日・祭日しかありませんので、どうしてものんびりしているのがもったいなくて用事を入れてしまいます。でも考えてみれば、少しゆっくりと物事を考えるには、ちょうど良い時間なのです。

 今日も新聞を取り出して隅から隅まで読みました。そして残して置きたい記事を切り抜いてスキャンしたり、大きすぎて A4 に収まりきらない記事は写真に撮って保存しました。そして、Everenote へ入れておくわけです。同時にグーグル・ドライブにも保存しますから、二重に安全を担保しておくわけです。

 同時に蔵書の自炊もしました。「肉食が地球を滅ぼす」と「歴史を旅する」です。

 さて今朝の東京新聞の記事の中では、哲学者 内山 節さんの「世界に築いた日本の存在感」が心に残りました。内山さんは、「存在感はあるが大国ではない国」、それが戦後の日本だった、と言われています。

 以前北海道のスキー場でオーストラリアから来ていた看護師さんと言葉を交わす機会がありました。彼女は小児科専門看護師さんでしたが、日本のことを、「 modest and reverved 」な国だ、と形容していました。慎み深く、内気な、という意味でしょうか。もちろん、これは賛辞だと思います。

 Made in Japan は、最高の賛辞の一つです。たぶん、こうした賛辞の対局にあるのが、司馬遼太郎さんが著書の中で戦前の一時期の日本を形容した、「夜郎自大」というあり方ではないでしょうか。いま日本が、「 modest and reverved 」から「夜郎自大」に傾きかけているような気がしてならないのですが、どうなのでしょうか。

 戦前も気付いている人々は、もちろん気付いていたのでしょうが、いわゆる日本的な空気に押し流されて、知らず知らずに庶民までもが「夜郎自大」になっていったに違いありません。そのことに一刻も早く気付き、二度と同じ道を歩んではならないのです。

 日本は大国になるべき国ではありませんし、それは決して卑下してのことではないのです。個人も国も、それに相応しい役割というものがあるはずです。「 modest and reverved 」でありながら世界から憧れを持って見つめられる国。それこそが日本の歩むべき道だと私は信じているのです。



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