■ いいたい放題

 沼津、三島に住む仲間とともに、ベトナム枯葉剤被害者支援の旅に、今年も出かけました。新しい仲間も一人加わり初めて10月に訪問しました。これまでは八月の猛暑の中での活動でしたが、それがいかに過酷だったのかを、あらためて実感しました。今回は五日間という短期間に絞り、ハノイから車で二時間ほどの距離にある障害児療育施設バクザン省ハンディキャップ・チルドレン村を中心に活動しました。さらに被害者の家庭を六軒訪問し支援活動を行いました。

 ハンディキャップ・チルドレン村では、これまで通り音楽療法と眼科検診を行い、子ども達と交流しました。この施設では、通いの子どもさんも含めて現在五十名ほどが在籍しています。肢体不自由児、聴覚障害児、知的障害児などが学んでおり、教育訓練の質および障害児の社会参加を含めた療育の向上を図るという目標で、施設は運営されています。まだまだ在宅で生活している障害者が多く、家族の負担は大きなものです。

 被害者の家庭では、それぞれの家庭が、それぞれの問題を抱えており、支援のあり方も難しいものでした。障害児が生まれたと知り、父親が家を出てしまった家庭が二軒ありました。遁走し再婚した夫が、再婚後に生まれてきた子ども達には障害がなかったのだから、原因はお前にあるのだと責められた、とある母親は語っていました。

 そんな中で印象深かったのは、キム・カィンさん宅への訪問でした。一人息子が障害を持って生まれたキムさんは、私と同じ歳。私が大学での生活を始めた頃、彼女は軍隊に志願し、後方支援の活動を行っていました。活動地域には多量の枯葉剤が撒かれました。帰省後に結婚。生まれた息子に障害があることを知った夫は、その後に家を出てしまい、母一人子一人で生活してこられました。会社勤めで何とか育て上げましたが、右半身に麻痺があり車いすでの生活をする息子さんは知的障害のため、母親としか意思の疎通が出来ません。それでも最近、地域の支援もあり小さな雑貨店を開くことが出来ました。街の主道路に面した店には、地域の人々が買い物ついでに立ち寄り、何くれと無く息子さんに声をかけてくれるそうです。それが何よりも嬉しい、とキムさんは語っていました。地域社会との関わりが、いかに大きな支えとなるのかを再認識しました。

 活動を終えて思い起こしたのは、トルストイの作品、アンナ・カレーニナで語られる以下の言葉です。『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』。アメリカ軍により八千万リットルもの枯葉剤がベトナムの各地に散布され、被害者の総数は、四百万人とも言われます。現在では従軍した第一世代ばかりか、第三世代、第四世代にも障害が及んでいます。それぞれに不幸な家庭に少しでも幸あれ、と願いながらベトナムを後にしました。