■ いいたい放題 ■

 2008年から続けているベトナム枯葉剤被害者支援の旅に、今年も出かけてきました。ハノイからバスで一時間半ほどの所にある、ハンディキャップ・チルドレン村という施設を中心に活動しました。施設では仲間の音楽療法士による訓練、眼科検診、そして子ども達との交流を行いました。


 6歳から16歳までの障害を持った子ども達 41 名が施設に住み込み、保育園から小学四年生までの様々な教育、訓練を受けていました。炊事場を始め衛生面では、まだまだ不十分と思われる設備があり、支援できる部分の多さを痛感しました。


 施設が選択してくれた被害者の家庭を今年は10軒訪問し、通訳を通じて家庭の状況、枯葉剤による被害の経緯などを確認しました。医薬品や経済状況に応じての生活支援金を贈呈しました。


 様々な家庭がありましたが、中でも心に残ったのは、37歳の障害を持つ息子と、母ひとり子一人の家庭でした。73歳の母親は関節痛、高血圧に苦しみながら、一人きりで家事、農作業、そしてほとんど身動きのできない寝たきりの息子の身の回りの世話をしているのです。三時間ごとの体位変換もあり24時間休む暇がありません。自分が死んでしまえば、息子の面倒を見てくれる施設も親戚もいない、と涙ながらに語っていました。これからも継続して何とか支援をできないものか、と仲間で語り合いました。

 さて、ある家庭を訪問した際に驚きました。テレビカメラが持ち込まれ、六名のお連れを伴ってチュオン・クオン・ハイ人民委員会副会長が同席されたのです。挨拶の中でハイ副会長は、こう語りました。「バクザン省インゾン地区(人口19万)だけで3,000名の枯葉剤被害者がいる。戦争が終わっても被害者は絶えていない。被害者の状況を、ぜひ日本に伝えて欲しい」。これほど心のこもった挨拶は、かつて無かったことでした。その疑問も通訳の解説を聞いて氷解したのです。


 彼は、こうも語っていたのです。「私は一度、広島に行ったことがある。原爆の被害者の様子を見て、日本はベトナムと近いと思った。日本とベトナムは助け合っていくべきだ。いまこそ、連帯が必要だ。」


 これからの日本の進路を考える上で、とても大切な言葉だと私は思ったのです。