■ いいたい放題

 二〇〇八年から続けているベトナム枯葉剤被害者支援の旅に昨年も出かけました。初めての訪問施設、バクザン省職業訓練センターを中心に活動しました。施設では医薬品、運営費の寄贈、仲間の音楽療法士による訓練、眼科検診、そして子ども達との交流を行いました。一歳から四十六歳までの障害を持った、主に子ども達が施設に住み込み様々な教育、訓練を受けていました。枯葉剤に含まれていたダイオキシンによる被害は遺伝子を介するために、第三世代、第四世代にまで被害が及んでいます。施設長のホン・ティ・ツゥイさんは、二十年間軍医として活動し、この施設を全て寄付で立ち上げました。彼女の長男も枯葉剤による障害を持ち、治療が欠かせません。

 被害者協会が選んでくれた家庭を一〇軒訪問し、通訳を通じて家庭の状況、枯葉剤による被害の経緯などを確認し、医薬品や経済状況に応じて仲間から集めたお金の中から生活支援金を寄贈しました。前回も訪問した千九百七十五年生まれグエン・ヴァン・ティンさんは重い障害のため生まれてから寝たきりの生活。千九百七十九年に父親が亡くなってからは、三十七年余り母一人の手で面倒を見てこられました。前回訪問した時には褥瘡が酷く、今回は予防のためのマットを届けようと準備しました。一年の間に、母も子も一回り小さくなっているように感じました。三時間ごとの体位変換もあり、母親には二十四時間休む暇がありません。自分が死んでしまえば、息子の面倒を見てくれる施設も親戚もいない、と涙ながらに語っていました。

 施設長のツゥイさんのお宅も訪問し、ご家族と懇談しました。長男は筋肉が次第に萎縮する病と血友病も合併され、アメリカ製の高価な医薬品治療が欠かせません。アメリカ軍が散布した枯葉剤のために、このような病を背負い込み、同時にアメリカ製の高価な医薬品によって命を永らえている、という実に不条理な状況を知りました。

 多くの被害者家庭では障害を持って生まれた子ども達の世話を母親がしています。枯葉剤被害への周囲の無知から、その障害の責任を押し付けられ、辛い思いをしたと涙ながらに語る母親も少なくありません。戦争の犠牲者を実際に目の前にして思うことは、ただひとつ。こんな辛い思いを、我が子や孫たちにさせてはならない、というその一点です。それは被害者の母親の思いであると同時に、世界中の母の願いでもあるはずです。