20171007(土曜日:雨)

世界遺産の河回村の様子です。ハングル文字では(하회마을)と書きます。何とか読めるようになりました。

■今朝は休養日。昨夜から、かなりの雨が降りました。午前7時11分現在雨は上がったようです。連休は何とか晴天に恵まれそうです。

■さて今朝の東京新聞4面には、「文庫本の世界」と第する特集記事が掲載されています。今年は岩波文庫が創刊されて90年になるそうです。本屋さんに行けばありとあらゆる文庫本が棚を飾っている今日では想像もできませんが、私が中学生の頃は、文庫本といえば岩波文庫でした。

 友人と岩波文庫を語り合ったのではなく、岩波文庫の目録をネタに書名を言って値段を当てるクイズを楽しんだりもしました。

 紙面では三人の方が語っておられます。女優・作家の中江友里さん、関西大東京センター長 竹内 洋さん、そしてちくさ正文館書店本店店長 古田一晴さんです。それぞれの方々が、それぞれの立場から語っておられ、興味深いものがあります。

 竹内さんが話されている、今こそ「真の教養主義を育む」という指摘はなるほどな、と思いました。岩波文庫を有難がっていたのは、東京の偉そうな先生が外国物を訳していて立派そうだ、読んでいることで他者とは違うという気分に浸れるブランド主義だった、というのです。いまや岩波文庫を頂点とするヒエラルキー(階層)は完全に消失した。そして、こう述べています。

こうして教養主義が崩壊した今こそ真の教養主義の可能性があるといえると思います。例えば、ここ数年、いろんな文庫から名作の新訳がでています。岩波文庫の権威主義がなくなって、人を見下すため、格好付けるための読書でなく、しみじみ楽しむための読書、本物の教養主義が出て気がします。

 なるほど、と思います。また本に触れ合う前に人との触れ合いがあった、という竹内さんの指摘も得心するばかりです。昔は先輩から勧められたり、同級生と話が繋がらなかったりしたのが読むきっかけだった、というのです。

そういうインフラとなる人間関係、公共圏と呼ばれるようなものが必要なのです。それは、今求められている熟議民主主義をも形作ると思います。

 とも語られています。

 最近は老眼のためもあって、電子書籍で読むことが殆どになってしまいました。本の携帯は文庫本でなくてはならないわけではありませんので、大切なのは本そのものに触れることであることは間違いありません。