2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

日: 2017年12月30日

利益相反

20171230(土曜日:晴れ)

サホロスキー場の様子です。スノーボードを楽しむ人が、とても多かったのです。

■昨日は仕事納め。無事に何とか一年を終える事ができました。明日は休日だ、と思ったものの、今朝はやはり起き出して走ってしまいました。28日に3時間走を完遂することができ、大きな自信につながりました。3時間走り続けることができたのだから30分走るくらいは大したことではない、と考えることができるようになったのです。

実際に今までとは桁違いに早く走ることができるようになったわけでもなんでもないのですが、気持ちの問題はとても大きいのです。自信とは、そうしたものなのでしょう。つまりは一つ壁を乗り越えることができた、と言えそうです。そうした意味でも、今年はとても良い年でした。昨年の12月に行われた袋井クラウンメロンマラソンの後で、高野コーチからアドバイスをもらって一年が経ちました。ようやくアドバイスを実行できたような気がします。

100キロを走る高野コーチからすれば、42.195km などは余裕の範囲内なのでしょう。3時間に対する30分のようなものです。レベルが違いすぎますが、目標とする方向は間違っていない、という確信を得ることができただけでも、とても大きな収穫です。高野コーチに感謝、感謝です。

これで今年最後の月は、107.50km を走り、今年一年で 171回走り 1357.33km を積み重ねることができました。エプソンのランニング・ウォッチで記録を取り始めたのが 2014年。きちんと年間の記録が残っているのは 2015年からですが、それを見ると、1212.98km、1288.15km、そして今年が 1357.33km と少しずつですが距離が伸びていることがわかります。

大切なのは続けること。そして少しずつ成長することです。その意味では悪くありません。怪我も病気もせずに続けることができたのが一番の収穫です。来年が楽しみです。来年は、どの大会にTakuと一緒に参加できるかも、大きな楽しみの一つです。

■さて今年の新聞も今日を含めて、あと二日。今朝の東京新聞の一面は、「就農外国人 高まる期待」です。今年決まった国家戦略特区で解禁する外国人の農業労働を活用しようという流れについてです。現在11地域で活用を目指している、という調査結果です。

人手が足りないのは事実です。しかし、ここで安易に安い労働力として外国人を導入すると、結局はメキシコからの何千万という移民の流入によって大きな社会問題を背負い込むことになったアメリカの様になるのです。ここは我慢してでも、ロボットを始め可能な限り自動化を進めて、世界最先端の農業を目指すべきなのです。安易な道を選択してはなりません。

当初は研修生という名目で始まっても、やがては派遣化していくのは目に見えています。以下の引用は、とても大切な点です。安倍内閣の本質が露骨に出ている事例です。

 

特区諮問会議のワーキンググループで検討が始まった一昨年末から、規制官庁の法務省と厚生労働省は解禁に慎重な姿勢を貫いていた。ところは昨年10月、諮問会議の民間議員が連名で「議論の入り口にすら入れていない」と圧力をかけると一転、昨年末の諮問会議で導入の方針が固まった。

委員の一人は派遣大手パソナグループの会長を務める竹中平蔵氏。安倍晋三首相とも親密で、民進、共産など野党からは「規制緩和でビジネスチャンスを得る人物が公然と諮問会議に参加しており、利益相反だ」と非難する声も上がっている。

 

アメリカでは当たり前のことなのでしょうが、こんなことをしていると確実に日本も分断された社会に行き着いてしまうのです。

■午前中は大掃除の中の担当部門、窓拭きをしました。暖かな天候に救われました。洗剤を使っての水拭きですので、寒さは大敵です。

終わってから洋服ダンスの後片付けをしました。使われていなかった娘達の整理戸棚を拝借しました。

昼ごはんに、お餅を食べて一休み。それから久しぶりにゴルフの練習に出掛けました。暖かな日和に誘われました。

バンカーショットとアプローチを一時間ほど練習。満足しました。左手の使い方に関して大事な点に気づきました。

実際にコースで試してみないと確信は得られませんが、かなり良い線を行っていると自分では感じました。

何事も練習して始めて楽しさが分かるものです。こうして練習する度に新たな点に気付き、次回への挑戦が新鮮なものになります。

連続34ヶ月達成

20171230(土曜日:晴れ)

 

■昨日で仕事も終了。何とか無事に一年間の診療を終えました。大過なく過ごせたことを、本当に感謝するばかりです。

 

継続して走り始めたのが、5年前の7月。59歳の時でした。「還暦で走るフルマラソン」を目標に走り始めました。ちょうどテレビで「三ヶ月で走るフルマラソン」という番組を放映していました。

 

以前から長距離を走ることに興味があったのですが、何しろ一番の苦手でした。小学校の頃は、これでも短距離は早い方で、よくクラス対抗のリレーの選手に選ばれました。小学校4年生の時の運動会が、私の人生で最もスポットライトが当たった一瞬でした。第一走者を務め一番でバトンを渡しました。

 

あれから、どう控え目に見ても、あんな華やかな時はありませんでした。

 

(●^o^●)

 

一方、長距離走は苦手でした。本当に苦手でした。そんな自分が還暦にフルマラソンとはお笑い草なのですが、そんな自分だからこそ、父の死を目の当たりにして、挑戦する気が起こりました。無謀です。今思えば、それほど父の死は大きな衝撃を私に、もたらしたに違いありません。その時点から自分では終活が始まった気がします。

 

 

 

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