2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2017年12月 Page 3 of 4

新たなスタート

20171213(水曜日:晴れ)

お伊勢マラソンの会場です。スタート前に多くのランナーが準備をしています。

■月曜日にアテロームの提出手術を受けてから走ることは止めています。昨日はガーゼ交換に昼休みに出かけました。幸い経過は順調ですが、金曜日に診察を受けて許可が出てば、創を閉鎖する方向になります。

■昨日はTakuから連絡があり、司法修習の最終試験に無事に合格したとのこと。来年から、いよいよ弁護士として仕事に就くことになりました。思えば長い道のりでした。法科大学院に入ると決心してから一年間準備をし、法学部出身ではありませんから入学してから三年。そして三回目の挑戦で司法試験に合格ですから、6年間プラス一年の修習となります。

 高校時代からの念願でしたが、気持ちが切れずに挑戦を続けてきたことに、我が子ながら本当に頭の下がる思いです。これからどんな人生が待っているのか、私には想像もできませんが、持っている力を発揮して社会のために貢献してほしい、と願っています。

 

長い晩年

20171212(火曜日:晴れ、強風)

雪の十勝平野です。きっと今日も大雪なのでしょう。

■昨日から強い風が吹いています。天気予報では、

日本付近は強い冬型の気圧配置となるため、北日本や日本海側では13日(水)にかけて大荒れの天気となる。海上を中心に雪を伴った非常に強い風が吹き、海は大しけとなる見込みだ。

 また長い時間、雪が降り続くことで平野部でも大雪になるおそれがあり、交通機関が大きく乱れることが予想される。猛ふぶきによる交通障害や高波に警戒し、大雪やなだれにも警戒・注意が必要だ。

 と、なっています。この時期、こうした強風が吹いていると日本海側では大雪のことが多いのです。同じ日本と言っても、まさに別世界。乾燥した風が吹き抜ける地域もあれば、周囲一面が雪景色で家の中では押し入れに除湿機が必要な地域もあるのです。

■さて昨日は友人の萩野先生に背中にできたアテロームを摘出してもらいました。麻酔もよく効いて痛みはありませんでした。体質なのです。まぶたにできる腫瘍で霰粒腫がありますが、あれと同じだな、とつくづく思いました。

 歯の治療も定期的に行っています。最初は単なるクリーニングのつもりで出かけたのですが、歯肉が後退して色々不都合が生じていることが分かりました。きちんと手入れをしてもらうと、沁みることもなくなりましたし、本当に楽になりました。さすがは餅は餅屋です。

■家の大掃除をしています。昔々の写真が出てきました。

亡き父とNonちゃんAyaちゃんです。

 

 退職後に長い晩年を過ごした父でしたが、こうして可愛い孫に囲まれて幸せな時間がありました。人間として立派な父でした。

アテローム手術(粉瘤摘出)

20171211(月曜日:曇)

伊勢神宮を泳ぐ錦鯉です。

■今朝は走りました。昨日は久しぶりの新沼津カントリークラブの月例。凸凹の激しいプレイでした。しかし何事も前向きに考えるしかありません。良かったショットを思い出して、その確率を挙げているべく鍛錬するしか無いのです。

 今朝は 6.15km を走り総計 39.70km となりました。残り20日ですから余裕はあるのですが、右肩甲骨付近にできたアテロームが炎症を起こしてきています。昨日友人の先生に相談したところ切除した方が良いのでは、と言われ覚悟を決めました。今日の午後に切ってもらうつもりです。となると、数日は走ることができなくなりそうです。しかも来週は北海道へのスキーの旅が待っています。走る機会が減ります。何とか今月も目標を達成して連続記録を伸ばさなければなりません。

■午後から友人の病院に向かいました。右肩甲骨近くに出来たアテロームを摘出してもらうためです。

三年前に同様の腫瘤を手術してもらいましたが、今回は小さいうちに処置してもらいました。

麻酔も効いて痛みは感じませんでした。こんなことなら早く決断すれば良かったと後悔したほどです。

中に滲出物が溜まらないようにガーゼドレナージしてありますので、お風呂はしばらくすると御法度です。

今週一杯は走ることもできません。

行きつ戻りつ

20171210(日曜日:晴れ)

鳥羽湾の様子です。真珠の養殖が行われていました。

■今日は久しぶりの新沼津カントリークラブの月例です。手塚さん、野口さんとご一緒でした。午後からは風が強まり、いささか辛い天候でしたが、快晴で寒さも気にならず、文句を言ったらバチが当たるような一日でした。

 手塚さんに教えてもらっている改善点が、見事に修正されたかと思うと、また失敗の繰り返しということで、結局は100回を切れずに元の木阿弥でした。それでも前向きに考えて、今までできなかったショットが打てるようになった、と思えばずいぶんと成長しました。次回までに練習をするしかありません。

■今年の日曜日も数えるほどになりました。来週の日曜日は休日当番日。そして、その次の日曜日は北海道から帰ってくる予定です。日曜日にしか休めないという仕事は、割が悪いとしか言いようがありません。二日続けて休めないと心から休む時がありません。

 世の中は週休二日だ、三日だと喧しいのですが、そうでない人も多いことでしょう。ただし休日は増えるばかり。世界でも稀なほど日本は休日が多いそうですが、過労死と休日の多さがアンバランスに思えてなりません。

 休日が増えるのは助かる反面、誰かが休日当番医をしなければならないことを考えると、喜んでばかりはいられないのが、因果な商売というところでしょうか。

歴史

20171209(土曜日:晴れ)

伊勢神宮の鳥居です。

■今朝は走りました。二日休みましたので疲れも取れたようです。このぐらいが自分にはふさわしい間隔なのかもしれません。6.181km をキロ6分9秒で走り、総計 33.55km を積み重ねました。一週間としては悪くありません。

■今夜は医師会の忘年会。去年の忘年会が昨日のことのように思い出されますが、本当にあっという間です。昨年思い出すことと言えば、Ayaちゃんがオーストラリアへ留学に出かけたこと。Takuが司法試験に合格したこと。そして12月に高野コーチと袋井クラウンメロンマラソンを走ったこと、などです。

 そんなことがあった昨年一年間。そして平成29年です。Nonちゃんが静岡に戻ってきました。おかげで時々食事を一緒にすることができるようになりました。今は二人だけで食事をとるテーブルも、以前は家族五人でワイワイガヤガヤと食事をしていたなんて、今では想像することもできません。本当に楽しく、そしてあっという間の出来事でした。

 今年一年の反省は、またゆっくりとすることにして、あと一ヶ月ケガや事故の無いようにしなければなりません。

■昨日の日米開戦についての記事の中で、以下のものに強く納得させられました。元中国大使の丹羽宇一郎さんの主張です。

 こうした良質の知性が、安倍政権になってからは潮が引いたように彼方に消えてしまった気がします。私利私欲の塊か、ヤクザかゴロツキみたいな連中が幅を利かせるようになりました。本当に残念なことです。しかし、それは国民の心の反映なのです。国民がそれで良しとしていることに思いを致さなければなりません。以下のアドレスで読むことができます。

 丹羽宇一郎 現代史を語る

 要旨は以下のとおりです。

私は「あの戦争は正しかった」という発言があってもよいと考えている。問題は正しかったか、間違っていたかではないからだ。

アメリカは広島、長崎への原爆投下を正しかったとしている。しかし、原爆投下の判断がどんなに正しかろうとも、原爆がもたらした惨状を肯定できるはずがない。正しかろうと、正しくなかろうと、人々を不幸のどん底に突き落とす戦争をしてはいけない。戦争が引き起こす悲惨さを、戦争なのだから仕方がないで済ませるようであれば、世界は日本国民を歴史から学ぶことを忘れた愚か者と言うだろう。

戦争に近づいてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、日本国民の叫びであり、われわれが現代史を学ぶ意味とすべきだ。これが開戦の日である今日12月8日に私が言いたいことである。

日米開戦

20171208(金曜日:晴れ)

伊勢神宮の紅葉です。

■今朝は走りませんでした。というか、起き出だせませんでした。いささか疲れが溜まっているようです。まぁ、無理をしても致し方ありません。のんびり楽しく行くしかありません。

■さて今日は日米開戦から76年です。東京新聞の社説も、こう問いかけています。

問い直す「なぜ戦争を」

 最初に引用されているのが、真珠湾での日本海軍の大勝利の知らせに歓喜雀躍している評論家の亀井勝一郎氏の言葉です。

嘗てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべき時とき来たのである

 亀井氏だけの思いでなく、ある意味では全国民の思いでもあったのでしょう。そして私が驚くのは、この内容が、まさに岸田秀氏が「ものぐさ精神分析」の中で語られた内容そのものだったことです。さらに私が大切だと思うのは、未だにこうした精神状況は解決されていないように思えることなのです。岸田氏も、かつてインタビューの中で冗談半分に、もう一度アメリカと戦争して勝つしか解決策は無い、と語られていたことを思い出します。

 日本にとって、まだ近代の課題は解決されていない、というべきなのでしょうか。

多様性

20171207(木曜日:晴れ)大雪

今年の1月に出かけた北海道サホロスキー場の様子です。

■今朝は休みました。走らずにゆっくりと休みました。今日は大雪。

雪が激しく降り始めるころ。『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。

鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころ。

 

 と、あります。北陸地方に住んで驚いたことの一つは、冬に雷が鳴ることです。鰤起しです。雪景色の中で雷鳴を聞くのは、それまで住んでいた太平洋側ではあり得ないことなので、最初は驚きました。それまで太平洋側ばかりで住んでいましたので、これほど気候が異なるとは実感できませんでした。

 昔、昔アメリカ人と話していて、日本は国土は狭いし小さな国だから、と自嘲気味に言ったら、いやいや日本は南北2千キロ。とても変化に富んだ大きな国なのだ、と言われて驚いたことがあります。日本各地を旅したり住んだりすると、なるほどとても気候や生活習慣など変化に富んだ国土なのだ、ということが実感できます。

 変化と多様性に富むということは、とても大切なことです。それを一色で塗り固めようとするところから退化が始まるのです。

小高い丘

20171206(水曜日:晴れ)

伊勢神宮の紅葉です。静謐な空間でした。

■今朝は走りました。日曜日にハーフマラソンをTakuと一緒に走ってから中2日。まだ筋肉痛は残っているのですが、のんびり走れば良い、と5時に起きて準備を始めました。やはり思っていたとおり筋肉が固く、スムーズに前に進むことができず往生しました。それでも何とかキロ6分11秒で6.15km を積み重ねて、今月の総計は 27.37km となりました。

 お伊勢マラソンの最後の難所、伊勢自動車道での苦しさを乗り越えた自信は、自分なりに大きなものがあります。以前だったら歩いてしまったであろう状況で、しっかりと自分の脚力で走り続けることができたという自信は、とても大きなものでした。明日につながる経験でした。

■東京新聞の「私の東京物語」、現在の連載は歌手の小林幸子さんです。代々木上原にあった古賀政男さんの自宅にレッスンに通っていた小林さんが、古賀さんの家の大きさに度肝を抜かれたそうです。通りに面した門から玄関までが遠く、まるで小高い丘に登っていくような気がした、と書かれています。

新しい人生

20171205(火曜日:晴れ)

伊勢神宮の紅葉です。川面にも映し出されています。

■さて今日からまた日常が始まります。週末の伊勢への旅は、本当に楽しい時間でした。ひょっとするとTakuと二人きりで出かける最後の旅だったかもしれません。来年はTakuも新しい家庭を持ち、社会人として自分が望んだ道を歩き始めるからです。文字通り新しい人生が始まるのです。

 父親との時間など、優先順位のリストから消えかかっているのです。

 (●^o^●)

 それで良いのです。これから様々な難題に直面して呻吟することもあるでしょうけれど、それこそが人生です。彼ならきっと真摯に立ち向かってくれるでしょう。様々な手続きが必要です。そのための帰沼です。

一夜明けて

20171214(月曜日:曇のち雨)

伊勢神宮の紅葉です。

■さてさて一夜明けました。昨日は三重県まで出かけて、野口みずき杯お伊勢マラソンをTakuと一緒に走りました。ネットによれば、私達が出場したコースは、

(三重県営サンアリーナ~朝熊IC~伊勢IC~浦田橋折り返し~おはらい町~宇治橋前~倉田山公園野球場(野口みずき金メダルロード)~伊勢IC~二見JCT手前折り返し~朝熊東IC~三重県営サンアリーナ)

 ということですが、

2017年お伊勢マラソンのコース図です。

10キロ過ぎに立ち寄る、「野口みずき金メダルロード」が難所です。まずそこへ行くまでがかなりの上り坂なのです。これは苦しかったのですが、野口みずきさんがランナーを待ち受けてハイタッチで私達を励ましてくれました。スタート直後にも励ましてもらいましたので、通算二回もハイタッチで励ましてもらったことになります。

 そして最後の難関は、15キロ過ぎからの伊勢自動車道です。何しろ延々と上り坂なのです。いつ果てるともしれない上り坂を走るのは、とても辛いものでした。それでも以前なら歩いていただろう道のりを、しっかりと自分の筋肉で脚を前に出して走ることができたのは、とても嬉しい限りでした。

■さて今日は二人で伊勢神宮詣でです。Takuは始めて、私は二回目です。ホテルから送迎バスで近鉄の鳥羽駅まで行き、そこから電車で五十鈴川駅へ、そしてバスで内宮に向かいました。団体客がバスで大勢詰めかけていたのには驚きました。月曜日の平日。それでもこれだけの人出ですから、週末ともなると大変なのでしょう。曇り空でしたが雨にも遭わず、二人でのんびりと境内を歩きました。

 

 

 

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