20180104(木曜日:晴れ)

Eureak skydeck 88 から見たメルボルンの街並みです。

 

■昨日は夜の11時過ぎにメルボルンに着き、手配してくれてあった迎えの方の車でホテルに到着しました。The Swanston Hotel   です。目の前がトラムの駅( Burke Street Mall: Stop 10) という便利な場所でした。朝9時前にあやちゃんがホテルに迎えに行きてくれ、そのまま一日今日は付き合ってくれることになっています。トラムから降りてきたAyaちゃんとは、一年ぶりの再会でしょうか。

 

Aya ちゃんとは一年ぶりでしょうか。元気そうで安心しました。

 

  • 朝の通勤時間帯でしょうか? とにかく次から次へと乗客が行き交います。山手線以上の便数です。

 

■さて、まずはあやちゃんの家に寄って、Sunと二人でカバンに詰め込んで日本から運んだ 31kg 分の日本食を届けました。トラムの駅からカバンを引きずって、家までは10分ほどありましたが、なかなかの重労働でした。でも喜んでくれたあやちゃんの顔を見たら疲れも吹き飛びました。

でも入国の際は心配でした。なぜならオーストラリアは植物などの持ち込みに、とても厳しいからです。もろもろの持ち込み禁止物が書類に列記されています。飛行機の中の説明でも、その厳しさが強調されていました。申告書に正直に書き込みました。

空港では別のコーナーに連れて行かれて質問をされました。何が入っているのか、という質問です。正直に答えて説明すると、意外や意外、カバンを開けようとしてにも関わらず、それを制して通過して良い、と言われ、ほっとするやら、肩透かしを食らったような心境でした。

それから今度は市場の見学と昼食です。Queen Victoria Market です。Federation Square の中にあるのでしょうか? トラムを乗り継いで到着しました。

 

  • チェリーです。これは美味しかったです。

 

  • 中庭を囲むようにお店が並んでいます。

 

 

 

 

フィッシュ・アンド・チップスを食べました。美味しかったです。

 

  • メルボルン市内を流れるヤラ川です。ベンによれば汚染が酷く、とても泳げる状態ではないようです。

 

■さて無事に昼食も取り終わり、メルボルンの街を一望できるユーレカ・スカイデッキ88に向かいました。日本でも放映されたメルボルン街歩きの中でも紹介されていました。

ユーレカ・スカイデッキ88はネットによれば、

ユーレカ・スカイデッキ88へようこそ! 南半球で一番高いこの展望デッキはメルボルン市街地にある297メートル (975フィート)を誇る超高層ビル、世界的に有名なユーレカ・タワーの88階にあります。

ユーレカ・スカイデッキは、メルボルンで最も見晴らしの良い展望台で、市街とその周辺地域の全景を360度眺望することができます。当タワーのエレベーターは南半球一の速度、秒速9メートルを誇っています。またここは、世界初のエッジ体験、88階の側面からせり出すガラスキューブの中に入るとまるで地上300メートル近い高さに宙吊りになったようなスリル体験が味わえる唯一の場所でもあります。

メルボルンの中心を流れるヤラ川の河岸、サウスバンク地区に位置する当タワーへは、徒歩、自転車、バス、自動車、およびメルボルンの広範な公共交通機関網 (電車、トラム、路線バスのご利用情報は Metlink をご検索ください)でおいでいただけます。

88階からはメルボルン・クリケット場(MCG)、フリンダース・ストリート駅、アルバート・パーク湖、ポート・フィリップ湾、ダンデノン丘陵およびその遠景が望めます(備付けのビューファインダーや無料の双眼鏡をご利用になれば、さらに展望が開けます)。

 

と、あります。ガラスチューブにも入りました。ところが周囲はガラスに囲まれているためか、恐怖感が全然ありませんでした。上海でTakuと登った環球ビルを思い出していました。あそこで見た足元の光景も、こんな感じでした。

見晴らしを楽しんだ後、ヤラ川河畔を散策しました。その様子は隅田川を思い出させました。川は茶色がかっていましたが、硬質という違いもあるかもしれませんが、ベンによれば汚染もかなりあるようです。昔は泳ぐこともできたそうですが、さすがに今でも無理とのこと。どこの国も一緒です。

この旅で気になったのは、若い人のホームレスが、ここかしこにいたことです。そしてお恵みを、と器を置いていました。川沿いにも、そしてホテルの玄関脇にもいました。アメリカでも、こうした傾向は同じで社会的に大問題になっているようです。経済のグローバル化は極端な格差を産んでいて、いずれ臨界点に達するのは時間の問題のように私には思えました。

 

  • ヤラ川に掛かるプリンセス橋の上で。馬車が通りました。

 

さて、お土産を買うためにスーパーに寄ってもらいました。どこにでもある光景なのですが、レジに並んだ自動精算機の列に驚きました。日本でも自動になってきている、とはSunの言葉でしたが、私は驚きました。20台以上の精算機が並んでいる光景には始めて出くわしたからです。少なくとも日本やベトナムでは見たことがありませんでした。

これでは必要な人手が減るはずです。AIの発展で職を失う人が急増する、とは最近記事でよく見かけるタイトルですが、この光景を見ると、まんざら大げさでもない、と実感しました。人手不足だ、と言われる反面、確実に人手が機械に置き換わっています。10年後が、どうな世界になっているのか想像もできません、

 

  • スーパーでお土産を買いました。レジで自動精算機が列をなしているのに驚きました。

 

■さて一旦Ayaちゃんと分かれて、私たちはトラムに乗って、メルボルン大学に向かいました。トラム駅の目の前にあり、のんびりと散策がてら構内を歩きました。Wikipedia ネットによれば、

1853年に設立され、2005年5月に創立150周年を迎えたメルボルン大学は、世界大学ランキングでもトップクラスにランクされ、同国の高等教育と研究分野において非常に重要な役割を果たしている。創立以降、計17名のノーベル賞受賞者(内、卒業生の受賞者は8名)[3] [4]や、首相3名・司法長官4名等々の歴史的人物を数多く輩出している。2005年タイムズ誌の世界大学ランキングによると、メルボルン大学はオーストラリア国内で1位、また世界ランキングで19位にランク付けされた。[5]また2010年のQS社の世界大学ランキングでは総合ランキングで世界38位、雇用者評価で世界9位にランク付けされた。[6] 医学分野では特に評価が高く、2014年タイムズ誌の世界大学ランキング(Clinical, Pre-Clinical&Health)でメルボルン大学は16位[7]にランク付けされている。

同大学はオーストラリア国内のネットワークだけでなく、米国に位置するアイビーリーグ校と呼ばれる大学や他さまざまな世界有数の大学の交換留学プログラムなどを含めて、共同研究や人的交流を推進しており、専門分野において多岐にわたる研究は、学術的にも世界的に非常に高い評価を受けている。[8]約3万5千人の学生のうち、8千人を超える優秀な留学生が世界100カ国から集まっている。また、同校の位置するメルボルンはロンドン、ニューヨーク、パリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ、有数の国際学術都市である。

1992年までRMIT大学に学位を認定していた。

1997年に同大学がイニシアティブを執りUniversitas 21という研究に力を注いでいる大学間(デリー大学・香港大学・シンガポール国立大学・グラスゴー大学・早稲田大学等々)での単位交換や教授及び学生などの相互交流により、世界の大学の国際的ネットワークにも貢献している。

日本の交換留学プログラムの主な提携大学は、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学、東京外国語大学、慶應義塾大学、大阪市立大学、上智大学、同志社大学、立命館大学、日本女子大学、学習院女子大学等。

 

 と、あります。ノーベル医学生理学賞を6名もの方が受賞しているのに驚きました。建物はレンガ造りのものが多いようで、落ち着いた雰囲気はイギリス譲りでしょうか。我が家の孫の誰かが入学してくれるかな、と二人で話したのはご愛嬌でした。

 

  • 書かれてあるのは、「光学と視覚科学」です。

 

■さて夜はAyaちゃんの彼氏 ベン・ローソンさんと四人で会食です。予定していたレストランが、何箇所かお休みで、散々アチラコチラを訪ね歩いた末に日本食居酒屋さんに辿り着きました。日本人女性が店員さんとして働いていました。料理は、まぁまぁでした。日本料理は寿司を始め、とても人気があるようです。ベンも日本食は大好物だそうで、生魚も納豆も食べることができることに驚きました。

日本には何度か旅行をしたことがあり、北陸、金沢、富山にも行ったことがあるそうです。中国、インドネシアにも旅行しており、アジアに対する偏見は少ないようです。メルボルンの街を歩いて感じるのは、とにかく様々な人種の人々が行き交っている、ということです。日本の様に、同じ服装をし同じような顔つきをした多くの人間が黙々と歩いている、という光景は、メルボルンでは見られません。本当に多種多様です。

そんな中でもアジア系の人々の数の多さが目立ちました。

 

  • ベンと一緒に。

 

■こうして楽しかった一日も終わりました。ベンとは当然のことながら英語を通しての意思疎通ですので、思うようになりません。それでも誠実で、真面目な彼の性格の一端を知ることができたことで一安心しました。文化の違う人間が一緒に暮らすというのは、本当に大変なことです。当たり前が当たり前でないからです。

もっと英語を学ばないといけない、という実感をあらためて持ちました。