2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2018年1月 Page 3 of 4

幸せになること

20180111(木曜日:晴れ)強風

メルボルン大学、「Old Metallurgy Building」とあります。冶金学です。

■今朝はゆっくりと休みました。とは言っても、5時を過ぎた頃からでしょうか、どうも暑くなって眠れなくなりました。今朝は今季一番の冷え込みになる、との予想でしたので、最高度の防寒をして眠りについたのですが、そうでもなかったようです。

昨夜は医師会の役員新年会。友人の先生が昨年、めまいから転倒して骨折した、という話をされていました。スポーツマンで運動神経の塊のような先生ですが、たぶん自律神経の一過性の乱れが原因だったのでしょうか。高血圧もなく持病も無いとのことでした。自律神経の乱れ、というのは高齢者になるにつれて重い負担になってくるのかもしれません。

■さて今朝の東京新聞文化欄には、「時代を刻む ベストセラーで読む 平成」として、『嫌われる勇気』が特集されています。

2013年に出版され168万部を売り上げた大ベストセラー。未だに売れ続けています。いわゆるSNSで、「いいね」によって示される他者の承認。それを得んがために、それを他者と競うになっている現状。そればかりを追い続けると人生は苦しくなってしまう。嫌われることを恐れるな、というこの本の指摘は、すべての人が自分が幸せになることを自分で選択できるのだ、ということを私達に教えてくれている、というのです。

もう一度、読み直してみたくなりました。

■ 月曜日に2時間走を 行いました。 今日久しぶりにsunと一緒にニューウェルサンピアのお風呂に行ったのですが途中で 左目の外側に光が飛ぶことに気づきました。

光視症です。 最初は眼鏡にライトが反射しているのかと思いました。 本当に稲光が走るように見えるのです。 そして今日からでしょうか、 輪ゴムのような黒い輪っかが見え始めたのです。Weiss ringです。

これで左右両眼とも真ん中に輪っかが見えるようになりました。 完全後部硝子体剥離です。 右目は山秋先生に精密検査をしてもらいましたが左目は今のところ放置しています。

 

ラジオ英会話

20180110(水曜日:晴れ、強風)

メルボルン市内の、とあるフードコートです。ホノルルのフードコートを思い出しました。

 

■今朝は走りました。今までよりも30分遅く起床して準備を始めました。昨日からラジオ英会話を聞き始めたのですが、番組が始まるのが夜の11時からなのです。つまりは寝る時間が今までよりも遅くなる分起床時刻を遅くした、というわけです。

Ayaちゃんとの約束で英語の勉強を始めたのですが、これがなかなか大変です。まず教材は何にすべきか、という第一歩が難しいのです。毎日となると、やはりラジオが良いのかと思い調べてみると、NHKラジオ第二で多くの語学講座が放送されています。ただラジオなるものを、そもそも持っていません。でもインターネットがあります。今ではスマホでラジオ放送を聞くことができます。

ということで、NHKのホームページからアプリをダウンロードして確認してみると、例えば今の時間、午前7時36分ですと「まいにちフランス語」という講座を聞くことができます。英語には山のようなプログラムがあり、どれが良いのか分かりません。ただ何事もそうですが、続けないと駄目ですから続けることのできそうな番組を選んで、とりあえずは一ヶ月聞き続けようと思っています。

■今朝は 6.14km を走り、総計 37.64km となりました。目標ラインは一応超えています。今朝は割りと軽快に進むことができました。強風でたじろぐこともありましたが、思ったほどは障害になりませんでした。

仕事始め

20180109(火曜日:雨)

メルボルン動物園のための駅です。右の停留所がトラムの Royal Park Station 。左の電車は、トラムとは別の路線です。

■昨年からの長い休みも終わり、今日は仕事始め。通常では年末と違って混雑することはありません。多くの患者さんが年末に診察を済ませていることが多いからです。

昨年からの隣接地の工事も終わり、駐車場と院外薬局が運営開始です。いままで患者さんに大変な不便を掛けていたことを、本当に申し訳なく思っています。隣にあった消防署の分遣所が移転したために、その跡地が公開入札に掛けられました。かなり高めの価格で落札しましたが、これは致し方ありません。某学園のように国有地を破格の値段で手に入れることは私の力では無理でした。

(●^o^●)

■これから長い一年が始まります。今年も無事に終えることができるように注意深く毎日を送るしかありません。明日からは新年会が続きます。みなさんと顔を合わせるのは久しぶりですが、そこでいよいよ新年が始まったのを実感するのでしょう。

2時間走

20180108(月曜日:曇)

 

メルボルンで宿泊したホテルの前の歩道で画家が描いていました。フェルメールです。

 

■今日は成人の日ということで休日です。昨日、今日と連休で先週からのメルボルンへの旅の疲れを癒やすには、ちょうど良い具合でした。とは言え、先週の火曜日、1月2日に走って以来、走るチャンスがありませんでしたので、ここは頑張らないと目標の月100キロ走が遠のいてしまいます。今朝は6時に起きて準備を走り始めました。この時間ですと、もうライトは持たずとも足元が暗いということはありません。つまりは安全に走ることができる、ということです。

今朝は2時間35秒、18.18km を積み重ね、総計 31.49km とすることができました。エプソンのサイトにランニング・ウォッチを繋ぐと、記録を取り始めてから総計 4,000 km 走を達成しました、おめでとうございます、という表示が画面に現れました。2014年11月に記録を取り始めましたから、3年3ヶ月目というになります。まさに積み重ねです。この前のランニング・ウォッチはガーミン社製で今のは二代目です。よく続きました。

ずっとこれまでは、Takuが司法試験に合格するまでは続けるのだ、と自分に言い聞かせていたのですが、その目標が達成された今となると、自分を奮い立たせる目標が外されてしまいました。なんだか元気が出ないのです。でもメルボルンに行ってAyaちゃんに会って帰ってきたことで、新たな目標ができました。Ayaちゃんが夢を叶えるまでは父も走り続ける、という目標です。

考えてみれば毎日1万歩のウォーキングという目標で過ごしていた頃は、Nonちゃんの入学試験合格が支えでした。走り始めて、還暦でフルマラソン完走、という時期はTakuが支えでした。そして今、Ayaちゃんが支えになってくれています。子ども達を応援しているようで、実は自分が支えられていることに、こうしてみると気付かされます。もちろん子ども達には恩着せがましく、応援しているよ、なんてメールしていますが。

(●^o^●) (●^o^●)

結局家族みんなが、それぞれ支え合って生きているわけです。それで良いのでしょう。誰が上でも下でもなく、同じ地面の上を前を向いて共に歩んでいる、というイメージでしょうか。

そう、さっそくAyaちゃんに連絡しましょう。

思い出

20180107(日曜日:晴れ)

ビクトリア州立図書館です。内部の素晴らしさは、驚くほどです。

■昨日はメルボルンから帰国して、久しぶりにニューウェルサンピア沼津へお風呂に行きました。現地の天気予報では、昨日のメルボルンの最高気温は41度。前日が25度程度でしたから、一日で10度以上変化したようです。全豪オープンが間もなく彼の地で開催されますが、テレビで観戦していると、時々40度を超える気温の中で、という説明があります。確かに、そのとおりになるのだ、と実感しました。

明日も成人の日で休日のため、今日はゆっくりと静養中です。ゴルフにでも行こうか迷ったのですが、依頼されている原稿や資料の作成もあり、しなければならないことを、まずは片付けていくのが良いだろう、と判断しました。

あやちゃんと過ごした楽しかったメルボルンの思い出も整理する必要があります。放っておくとどんどんと劣化してしまい、色あせてしまいます。それで良いのかもしれません。でも記録だけは整理しておいた方が良さそうです。

■ということで、何とかまとめることができました。後は訂正と加筆だけです。年賀所の整理も終わりました。7日の今日までに出さないと年賀状は料金不足なるようです。

■娘が異国で苦労しながら勉強している、という初めての経験に戸惑っています。べつだん健康を損ねたわけでもトラブルに巻き込まれたわけでもなく、思っていた以上に逞しく生活していることにホッとしたのですが、でもなんだか切ないのです。帰りの飛行機の中で夜中に目が覚め、娘のことを思った途端、涙が止めどもなく流れてきて驚きました。

年老いて涙もろくなっただけなのか。多分そうなのでしょう。夢を叶えてほしい、と願うばかりです。

帰国

20180106(土曜日:晴れ)

メルボルン空港に飾ってあるパンダの像です。陶器製でしょか。

 

■今朝 0時45分発のJAL便でメルボルンを発ちました。昨夜は9時にホテルのフロントで待ち合わせて、迎えの車で空港へ到着。出国手続きを済ませて無事にメルボルン空港を後にしました。以前SunとNonと三人でジーロングのパパのところにお邪魔し、帰りにママに空港まで送ってもらいました。入場口は覚えていたのですが、入ってから搭乗口まで行くのに、あんなに長くショッピング街を通り抜けたことは覚えていませんでした。とにかく長いのです。しかも搭乗口への案内がありませんので、本当にこのまま進んでよいのだろうか、と不安になりました。

でも、それでよかったのです。予定通り朝の8時35分に成田空港に到着しました。メルボルンでは25度だった気温が、成田ではマイナス3度との放送。さすがに飛行機を出ると寒さを感じました。行く時にはパンパンに詰め込んだキャリーバックも、お土産を入れても帰りは13キロ程度になりましたから、20キロ近く軽くなった計算です。

空港からはバスに乗り東京駅へ向かいました。これは便利です。私は始めて利用しました。料金は1,000円です。満員でした。到着は東京駅八重洲北口、新装なった大丸百貨店から歩いて2分ほどのところです。以前よく通った丸善へ向かう小道へ曲がるところの少し先でした。新装大丸百貨店は外からは始めてみました。あまりに立派なことに驚きました。

大学時代に、この地下街にある割烹店で孝平ちゃんと二人でバイトをして、そのお金で夏、金沢へバス旅行をしたことがありました。思い出の場所です。

八重洲北口で切符を買って、すんなりと新幹線入り口から入ることができました。電車の中で、今回の旅を思い出していました。メルボルンの気候は、ちょうどハワイのようでした。日差しは強いものの日陰に入ると心地よいのです。ひんやりするほどでした。いったい雨はいつ降るのだろうか、と思われる毎日でした。

Eureka skydeck 88 から見た限りでは、高い山は見当たりませんでした。調べてみるとオーストラリアで最も高い山は、

コジオスコ(コジオスコ山、Mount Kosciuszko)2,228m は、オーストラリアの山で、オーストラリア大陸の最高峰(七大陸最高峰)である。

とあり、2千メートル以上の山は、7つしか無いのです。コジオスコ山はメルボルンとシドニーの中間あたりの海岸沿いにあります。ここには雪が降りそうですが、湧き水にメルボルンが恵まれる、という話は無さそうです。ジーロングのパパのところは水は自給自足。雨水を溜めて生活していました。シャワーも殆ど浴びないようでした。それがNonちゃんがホームステイした時の一番のストレスだったようです。

こうして無事に家に辿り着きました。本当に過ぎて見れば、あっという間でした。二日間Ayaちゃんと一緒に過ごすことができたのは、本当に良い思い出になりました。何気ない営み。一緒に食事をして、一緒に動物園に行って、一緒にトラムに乗って。大したことではないのですが、一時一時が愛おしいのです。以前は毎日家庭で、そのように過ごしていたはずなんですが、今となっては貴重なひとときなのです。

とにもかくにも娘に幸せになって欲しい、という父親の単純な願いに過ぎません。本当に、いとおしいのです。幸せを願うしかありません。

Ayaちゃんとの別れ

20180105(金曜日:晴れ)

メルボルン動物園のキリンです。

■今日もAyaちゃんに付き合ってもらいました。メルボルン動物園に行きました。トラムを乗り継いで到着です。駅前にはゴルフ場が広がり、カートを引いたゴルファーがプレイを楽しんでいました。のんびりしたものです。

 

  • メルボルン動物園の入り口です。檻のような箇所はありませんでした。

 

  • 何の動物か忘れました。

 

■さて見学も終わり昼食を取りに、またトラムに乗りました。夕方からはバイトがあるため、Ayaちゃんとは食事を取ったらお別れです。最初に目指した日本食のお店は、まだ年始のお休みでした。ぶらぶら街を歩いた後に、タコスの店を選んで入りました。

 

昼食を取った街の様子です。

 

食事後にトラムに乗ってホテルに戻りました。Ayaちゃんとは、ここでお別れです。夕方からはバイトが待っています。長い時間よく付き合ってくれました。異国での生活は、本当に大変だと思います。目標があっての生活とはいえ、精神的にも辛いことが多々あるはずです。若いからこそ乗り越えることができるのでしょう。父親としては、何もしてやることができません。ただただ信じて応援するしかありません。

■さてホテル前で分かれてから、トラム駅のベンチで、これからどうするかSunと相談しました。帰る途中にあった美術館へ行ってみよう、と決まりました。無料トラムなら乗り放題ですので、気軽に出かけることができます。

ところが無料トラムに乗ったのですが、一駅で無料区域を外れました、という放送があり、慌てて降りました。そこから歩いてホテルに戻る途中にビクトリア州立図書館がありました。ホテルは午前中にチェック・アウトしてあるので、部屋の鍵が無いとトイレにも入れません。そんな時でしたので、図書館は渡りに船でした。さっそく入ることにしました。

当初はトイレを利用させてもらった後、玄関ホールで昼寝でもしよう、と思っていたのですが、せっかくだからと中に入ってみました。入ってみて、その壮大さに驚きました。

 

  • ビクトリア州立図書館の正面玄関です。入場は無料です。読書室にはパソコンが何十台も並んでいました。

 

楔形文字の説明です。いかに貴重な資料かが分かります。

 

■夜の9時に迎えの方がホテルに来てくれ、空港まで送ってくれることになっていました。ホテルの内部は冷房が効きすぎていて寒いのです。長くは待てませんでしたので、ホテル前のトラム駅のベンチで時を待ちました。行き交う人々を眺めるのも興味深いものでした。何しろ同じような人が一人としていないからです。アジア系の人の多さにも驚きました。

しかし一番驚いたのは今日たまたま動物園で会ったアフリカ系と思われる家族の皆さんでした。体型が凄いのです。あまりのスタイルの良さに目が点になってしまいました。ちょうど動物園で見たキリンが、そのまま人間に変身したような感じ、と言えば分かりやすいでしょうか。美しいのです。人間離れした美しさ、というのでしょうか。本当に驚きました。

さて21時になりました。フロントで20分ほど前から待っていたのですが、一向に迎えが来ません。パンフレットを見ると、10分以上来ないようなら電話してください、と書いてあります。15分待っても来ませんので電話で確認しようかと思った、その瞬間、ドアから入ってきた日本人らしき中年女性と目が合いました。資料を持っていたので、そうかなぁ、と感じたのです。案の定、迎えの方でした。

話を聞くと何度かフロントには来ていたようです。ただし名前を呼んで確認することもしていないので、仕事する人間としては失格です。相手がこちらを確認していくれるだろう、と勝手に思い込んでいるのでしょうが、どう考えても手抜き以外の何物でもありません。

さっそく車に乗って空港に向かいました。23時発ですので時間は十分あります。順調に到着することができました。ビジネスクラスは手続きも簡単なように思えました。パスポートを機械に入れて顔写真を撮って照合するようです。今回初めての処理法でした。あっという間に終わりました。

特別ラウンジを探しましたが、とても分かり難いところにありました。女性係員に尋ねたのですが、この方向です、と言ったきり取り付く島もありません。勝手に探せ、といった塩梅です。何とか辿り着き飲み物を探しました。トイレに入るとシャワー室があり驚きました。スマホの充電をしようと思ったのですが、プラグが合いません。受付に戻って話をすると説明してくれました。USB接続タイプなのです。

オーストラリアは電源のプラグタイプが日本と異なり三ツ口になっています。線路のような二本足タイプの日本のプラグは使えません。ホテルでは変換器を借りることができました。10ドルするそうですが無料で借りることができました。昔は変換器を持参していたのですが、最近はベトナムでも韓国でも必要になってことがありません。油断していました。

やがて時間になりラウンジを後にしました。

■飛行機に乗ってからは、眠剤を飲んでいたこともあり、座席を完全ベッドタイプにして眠りました。こんなに真っ平らになるとは知りませんでした。

Ayaちゃんとメルボルン

20180104(木曜日:晴れ)

Eureak skydeck 88 から見たメルボルンの街並みです。

 

■昨日は夜の11時過ぎにメルボルンに着き、手配してくれてあった迎えの方の車でホテルに到着しました。The Swanston Hotel   です。目の前がトラムの駅( Burke Street Mall: Stop 10) という便利な場所でした。朝9時前にあやちゃんがホテルに迎えに行きてくれ、そのまま一日今日は付き合ってくれることになっています。トラムから降りてきたAyaちゃんとは、一年ぶりの再会でしょうか。

 

Aya ちゃんとは一年ぶりでしょうか。元気そうで安心しました。

 

  • 朝の通勤時間帯でしょうか? とにかく次から次へと乗客が行き交います。山手線以上の便数です。

 

■さて、まずはあやちゃんの家に寄って、Sunと二人でカバンに詰め込んで日本から運んだ 31kg 分の日本食を届けました。トラムの駅からカバンを引きずって、家までは10分ほどありましたが、なかなかの重労働でした。でも喜んでくれたあやちゃんの顔を見たら疲れも吹き飛びました。

でも入国の際は心配でした。なぜならオーストラリアは植物などの持ち込みに、とても厳しいからです。もろもろの持ち込み禁止物が書類に列記されています。飛行機の中の説明でも、その厳しさが強調されていました。申告書に正直に書き込みました。

空港では別のコーナーに連れて行かれて質問をされました。何が入っているのか、という質問です。正直に答えて説明すると、意外や意外、カバンを開けようとしてにも関わらず、それを制して通過して良い、と言われ、ほっとするやら、肩透かしを食らったような心境でした。

それから今度は市場の見学と昼食です。Queen Victoria Market です。Federation Square の中にあるのでしょうか? トラムを乗り継いで到着しました。

 

  • チェリーです。これは美味しかったです。

 

  • 中庭を囲むようにお店が並んでいます。

 

 

 

 

フィッシュ・アンド・チップスを食べました。美味しかったです。

 

  • メルボルン市内を流れるヤラ川です。ベンによれば汚染が酷く、とても泳げる状態ではないようです。

 

■さて無事に昼食も取り終わり、メルボルンの街を一望できるユーレカ・スカイデッキ88に向かいました。日本でも放映されたメルボルン街歩きの中でも紹介されていました。

ユーレカ・スカイデッキ88はネットによれば、

ユーレカ・スカイデッキ88へようこそ! 南半球で一番高いこの展望デッキはメルボルン市街地にある297メートル (975フィート)を誇る超高層ビル、世界的に有名なユーレカ・タワーの88階にあります。

ユーレカ・スカイデッキは、メルボルンで最も見晴らしの良い展望台で、市街とその周辺地域の全景を360度眺望することができます。当タワーのエレベーターは南半球一の速度、秒速9メートルを誇っています。またここは、世界初のエッジ体験、88階の側面からせり出すガラスキューブの中に入るとまるで地上300メートル近い高さに宙吊りになったようなスリル体験が味わえる唯一の場所でもあります。

メルボルンの中心を流れるヤラ川の河岸、サウスバンク地区に位置する当タワーへは、徒歩、自転車、バス、自動車、およびメルボルンの広範な公共交通機関網 (電車、トラム、路線バスのご利用情報は Metlink をご検索ください)でおいでいただけます。

88階からはメルボルン・クリケット場(MCG)、フリンダース・ストリート駅、アルバート・パーク湖、ポート・フィリップ湾、ダンデノン丘陵およびその遠景が望めます(備付けのビューファインダーや無料の双眼鏡をご利用になれば、さらに展望が開けます)。

 

と、あります。ガラスチューブにも入りました。ところが周囲はガラスに囲まれているためか、恐怖感が全然ありませんでした。上海でTakuと登った環球ビルを思い出していました。あそこで見た足元の光景も、こんな感じでした。

見晴らしを楽しんだ後、ヤラ川河畔を散策しました。その様子は隅田川を思い出させました。川は茶色がかっていましたが、硬質という違いもあるかもしれませんが、ベンによれば汚染もかなりあるようです。昔は泳ぐこともできたそうですが、さすがに今でも無理とのこと。どこの国も一緒です。

この旅で気になったのは、若い人のホームレスが、ここかしこにいたことです。そしてお恵みを、と器を置いていました。川沿いにも、そしてホテルの玄関脇にもいました。アメリカでも、こうした傾向は同じで社会的に大問題になっているようです。経済のグローバル化は極端な格差を産んでいて、いずれ臨界点に達するのは時間の問題のように私には思えました。

 

  • ヤラ川に掛かるプリンセス橋の上で。馬車が通りました。

 

さて、お土産を買うためにスーパーに寄ってもらいました。どこにでもある光景なのですが、レジに並んだ自動精算機の列に驚きました。日本でも自動になってきている、とはSunの言葉でしたが、私は驚きました。20台以上の精算機が並んでいる光景には始めて出くわしたからです。少なくとも日本やベトナムでは見たことがありませんでした。

これでは必要な人手が減るはずです。AIの発展で職を失う人が急増する、とは最近記事でよく見かけるタイトルですが、この光景を見ると、まんざら大げさでもない、と実感しました。人手不足だ、と言われる反面、確実に人手が機械に置き換わっています。10年後が、どうな世界になっているのか想像もできません、

 

  • スーパーでお土産を買いました。レジで自動精算機が列をなしているのに驚きました。

 

■さて一旦Ayaちゃんと分かれて、私たちはトラムに乗って、メルボルン大学に向かいました。トラム駅の目の前にあり、のんびりと散策がてら構内を歩きました。Wikipedia ネットによれば、

1853年に設立され、2005年5月に創立150周年を迎えたメルボルン大学は、世界大学ランキングでもトップクラスにランクされ、同国の高等教育と研究分野において非常に重要な役割を果たしている。創立以降、計17名のノーベル賞受賞者(内、卒業生の受賞者は8名)[3] [4]や、首相3名・司法長官4名等々の歴史的人物を数多く輩出している。2005年タイムズ誌の世界大学ランキングによると、メルボルン大学はオーストラリア国内で1位、また世界ランキングで19位にランク付けされた。[5]また2010年のQS社の世界大学ランキングでは総合ランキングで世界38位、雇用者評価で世界9位にランク付けされた。[6] 医学分野では特に評価が高く、2014年タイムズ誌の世界大学ランキング(Clinical, Pre-Clinical&Health)でメルボルン大学は16位[7]にランク付けされている。

同大学はオーストラリア国内のネットワークだけでなく、米国に位置するアイビーリーグ校と呼ばれる大学や他さまざまな世界有数の大学の交換留学プログラムなどを含めて、共同研究や人的交流を推進しており、専門分野において多岐にわたる研究は、学術的にも世界的に非常に高い評価を受けている。[8]約3万5千人の学生のうち、8千人を超える優秀な留学生が世界100カ国から集まっている。また、同校の位置するメルボルンはロンドン、ニューヨーク、パリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ、有数の国際学術都市である。

1992年までRMIT大学に学位を認定していた。

1997年に同大学がイニシアティブを執りUniversitas 21という研究に力を注いでいる大学間(デリー大学・香港大学・シンガポール国立大学・グラスゴー大学・早稲田大学等々)での単位交換や教授及び学生などの相互交流により、世界の大学の国際的ネットワークにも貢献している。

日本の交換留学プログラムの主な提携大学は、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学、東京外国語大学、慶應義塾大学、大阪市立大学、上智大学、同志社大学、立命館大学、日本女子大学、学習院女子大学等。

 

 と、あります。ノーベル医学生理学賞を6名もの方が受賞しているのに驚きました。建物はレンガ造りのものが多いようで、落ち着いた雰囲気はイギリス譲りでしょうか。我が家の孫の誰かが入学してくれるかな、と二人で話したのはご愛嬌でした。

 

  • 書かれてあるのは、「光学と視覚科学」です。

 

■さて夜はAyaちゃんの彼氏 ベン・ローソンさんと四人で会食です。予定していたレストランが、何箇所かお休みで、散々アチラコチラを訪ね歩いた末に日本食居酒屋さんに辿り着きました。日本人女性が店員さんとして働いていました。料理は、まぁまぁでした。日本料理は寿司を始め、とても人気があるようです。ベンも日本食は大好物だそうで、生魚も納豆も食べることができることに驚きました。

日本には何度か旅行をしたことがあり、北陸、金沢、富山にも行ったことがあるそうです。中国、インドネシアにも旅行しており、アジアに対する偏見は少ないようです。メルボルンの街を歩いて感じるのは、とにかく様々な人種の人々が行き交っている、ということです。日本の様に、同じ服装をし同じような顔つきをした多くの人間が黙々と歩いている、という光景は、メルボルンでは見られません。本当に多種多様です。

そんな中でもアジア系の人々の数の多さが目立ちました。

 

  • ベンと一緒に。

 

■こうして楽しかった一日も終わりました。ベンとは当然のことながら英語を通しての意思疎通ですので、思うようになりません。それでも誠実で、真面目な彼の性格の一端を知ることができたことで一安心しました。文化の違う人間が一緒に暮らすというのは、本当に大変なことです。当たり前が当たり前でないからです。

もっと英語を学ばないといけない、という実感をあらためて持ちました。

オーストラリアへの旅

20180103(水曜日:晴)

成田空港もお正月飾りです。

■昨日はノンちゃんが来てくれて、三人で夕食を取りました。楽しいひと時でした。いつまで、こうした時を過ごすことができるか、悩ましい問題です。

■いよいよ今日からAyaちゃんに会うためにオーストラリア、メルボルンに向かいます。

午前三時半に起きて沼津駅北口へ向かいました。成田空港バスに乗るためです。午前四時半出発です。

あやちゃんへのお土産、日常品や食料ですが、総受重量が 31 キロにもなりました。電車ですと荷物を運ぶのが、とても大変そうですのでバスを選択しました。

高速道路も帰省の車で大混雑かと思いきや、肩透かしで、順調に走り予定より早く、7 時には成田空港第二ターミナルに到着しました。

北ウイングのカウンターで旅券をもらい搭乗手続きに向かいました。手続きの開始が7時30分に始まったばかりなのでしょうか、長蛇の列でした。

現地での万が一の事故に備えて保険に加入し準備万端です。

成田空港ではサクララウンジという特別な部屋で寛ぐことができます。夕食として私は特性ビーフカレーを食べました。ただ品揃えは思ったほどのこともなく、Sunはがっかりしていました。同様の特別室がメルボルンにもありましたが、こちらにはシャワー室があって驚きました。出発の手続きを終えて、11分05分出発ですから、午前8時51分現在、食べ終わっても、まだ十分な時間があります。

食事をした三階のダイニングルームが混雑しているのに驚きました。コーヒーを飲み終えても、午前9時2分ですから、まだ二時間以上余裕があります。

窓際の暖かい席に移動して、こうして入力しています。昨夜は冷え込みも弱く、厚手の布団や毛布では暑いほどでした。日本は冬ですがオーストラリアは真夏ですので、衣類が真逆になります。

あやちゃんへの荷物に悩みます。オーストラリアは持ち込みが厳しいからです。特に食料品がうるさいようです。植物は無いのですが日本食の食材がどうなのか。現地に行ってみないと分かりません。

今の時期、大変混雑していて、オーストラリアへの航空券も、ノンちゃんが何とか取ってくれた今回のものしか手に入りませんでした。現地には実質二日しか居ることができない、忙しない旅程なのですが、致し方ありません。

■午前10時23分、71番搭乗口に到着。案内があり、気流の関係でシートベルト着用が必要なので、搭乗前にトイレに行っておいて下さいとのこと。

窓の外には青空と何機もの白い機体が並んでいます。11時00分、離陸予定です。メルボルンへは10時間ほどの旅。現地時間夜の11時過ぎに到着予定です。さすがに歳のためでしょうか、長い飛行は辛いので今回はビジネスクラスにしました。

離陸後は、ゆったりとした座席を堪能しました。行きは昼間ですので、あまり寝てしまうと現地に着いてからが眠れなくなります。映画を見たりスマホに録画したNHK韓国語講座のビデオを観たりして過ごしました。思ったよりは短い時間に感じました。

メルボルン国際空港には予定取り23時過ぎに到着。気温は20度以上ですので寒い日本とは大違いです。到着後に関門の持ち込み検査がありましたが、正直に申告したのが良かったのか、思いの外あっさりと通してくれました。バックの中を検められることもなく、すんなりと入国できました。

入国も無事に済んで玄関に向かうと、手筈してくれてあった迎えの方が来ていました。オーストラリア人の女性と結婚して現地に住み着いた、とのこと。埼玉県川越市の方で埼玉の話で話が弾みました。道路工事の箇所が多く、進入禁止やら一方通行やらで、ずいぶんと遠回りをしましたが、無事にホテルに到着。チェック・インも終わり部屋に入りました。

駐車の関係で裏口から入りましたので、夜でもありホテルの様子は分かりませんでした。Wi-Fiがありますのでスマホでメールだけ確認して、床に入りました。もう夜中を過ぎていました。明日はいよいよ、あやちゃんと会って、こちらでの短い滞在が始まります。

 

年賀状

20180102(火曜日:晴れ)

今朝の我が家から見た富士山です。

■今朝も穏やかな夜明けでした。昨日はNonちゃんとTakuと、そして新しい家族のYukoさんが来てくれて、本当に我が家にとって新しい元日でした。昼間からお酒を飲んで寝こけてしまいました。

そして今朝も走りました。6時に目覚ましを鳴らして準備を始め、のんびりと走りました。キロ7分程度で 6km 強を走り、これで今月は 13.30km を積み上げました。

今日は箱根駅伝の日。午前8時33分現在、どのようになっているのか。この作業が終わったらテレビで確認するつもりです。

昨日いただいた年賀状を整理する必要があります。昨年は喪中はがきが25枚も届きました。

■明日からは、いよいよオーストラリアへの旅です。今はオーストラリアは夏時間で、日本との時差は2時間だよ、とAyaちゃんが教えてくれました。世界一住みやすい街メルボルンだそうですが、果たしてどんな旅になるのか楽しみです。

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