■20180525(金曜日:曇)

 

釜山の市場です。エイでしょうか?

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は朝10キロを走り、昼休みはロータリークラブの例会に出席。それから一時間ほどゴルフの練習をして、夕食はNonちゃんと三人でお寿司を食べる予定でしたが、Nonちゃんの仕事が長引いたので、Sunと二人で食べました。

 

食後に二人でニューウェルサンピア沼津でお風呂に入り、一日の疲れを癒やしました。近くにこうした施設があることを、本当にありがたく思います。

 

さて帰ってくると、Nonちゃんが仕事を終えて家に寄ってくれました。知人から頂いた、とても甘く美味しいイチゴやワインなどを渡しました。外来が長引いて大変だったようです。仕事ですから致し方ありません。

 

■さて今朝の東京新聞を読んでいて、まず切り抜いたのが、クミコさんの「私の東京物語」。歌手であるクミコさんは、1954年生まれ。つまりSunと同期生です。第一回は、「あっちが東京」。書き出しは、こうです。

 

荒川の土手に立つと、こっちが埼玉の川口、あっちが東京の赤羽。大きな橋を車と電車が走り、二つの街を繋いでいる。「セキネ」というシューマイの店があり、そこに家族三人で行くことが子供の頃の、何よりの楽しみだった。

 

まるでクミコさんは、私と同じ街に住んでいたのではないか、とすら錯覚しました。ただし、シューマイのお話だけは、我が家には当てはまりませんでしたが。

 

吉永小百合さんをスターにした街、川口が私の幼少期を過ごした街だったのです。クミコさんの紹介欄には、水戸生まれ、埼玉育ち。歌手。としか書かれていませんので、埼玉県のどこで育ったかは分かりません。上記の内容から推察すると、川口だったかもしれません。

 

吉永小百合さんが映画、「キューポラのある街」の中で、自転車を漕いでいたのも、あの荒川の土手でした。まさに、「あっちが東京」だったのです。電車は京浜東北線。あの頃川口駅に止まるのは、それだけでした。私の中の埼玉県は、京浜東北線の沿線だけなのです。

 

高校時代同級生と、秩父の夜祭に出かけました。あの時だけでしょうか、京浜東北線以外の場所に行ったのは。

 

クミコさんは物語の中で、池袋へ出かける様子を書かれています。

 

赤羽から池袋へ。ちょっとおめかしをすると、西武デパートへでかけた。当時の池袋駅には、いつも数人の傷痍軍人が座っていた。この人たちを見るたび、胸のあたりがもやもやと苦しくなる。怖くてしかたがない。吸い寄せられるように見つめる私に、手を繋いだ母が言った。「ダメよ、そんなに見ちゃ」

 

同じ頃上野公園に出かけた時、同様の経験をしたことを私も鮮明に覚えています。つまりは同時代を生きていたのです。時が経ち、Takuが御徒町に住むようになって、何度も一緒に上野公園に行きましたが、その度に子供の頃に見た、あの光景が自然と思い出されたものです。

 

上野駅前から少し歩き、階段を登って上野公園に向かう、あの階段のところです。先日久しぶりにTakuと上野に行き、駅前の上野精養軒で食事を取りました。改装工事が終わって初めての利用でした。もう何年も改装工事をしていたはずです。私の中では、駅前はあの頃と変わっていなかったのですが、改装工事が終わって、すっかり別の駅前になりました。

 

クミコさんは最後に、こう書かれています。

 

赤羽も池袋も、今ではすっかり変わってしまった。時々無性に行きたくなるのは、きっと、そこに若い両親と子供の私がいるからだろう。

 

私も同じ思いに駆られるのです。