2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2018年7月 Page 2 of 4

結婚式

 ■20180721(土曜日:晴れ)

 

ラフレさいたまの部屋から見た「さいたま新都心駅」です。

 

 

■今日はTakuの結婚式。昨日泊まったラフレさいたまから朝の7時45分にタクシーに乗り、大宮の結婚式場に向かいました。運転手さんは北海道は函館の人でした。大好きな北海道の話に花が咲きましたが、北海道は景気が悪い、というところに行き着いてしまいます。地方は、どこも同じなのでしょう。

 

地方では職が無くて結局東京へ出てくる、と流れが多いようです。それは若い人にとっても同じことです。21世紀は大都会の世紀なのかもしれません。ますます多くの人口が大都市に集中します。そうなると災害時の被害も大きなものになりますが、生活が地方では成り立たないということになれば、致し方ない、となります。

 

■さて8時には会場に来てほしい、ということでしたので、時間通りに会場に到着しましたが、なんと更衣室は8時20分から開場する、ということで待たされる羽目になりました。

 

AyaとBenとSunと四人でロビーで待ちながら雑談しているうちに更衣室が開きました。沼津で借りた衣装を持ち込んで着替えを始めたのですが、モーニングというものを着たことがありません。まずワイシャツの袖の長いことに驚きました。サイズを間違えたのではないか、とすら思いました。ちょうど会場の係の女性が顔を出してくれたので尋ねたところ、カフスボタンで止めるのだから二重に袖を折り返してよいのだ、と教えてくれました。

 

知らなければ、そのままずんだらかりのままになるところでした。知らないということは恐ろしいことです。しかし襟元がしっくりこないことに焦りました。どうなるのが、きっちりなっているのか分からないというのは、これまた困ったものです。右往左往する、とはこういう場合のことでしょう。

 

なんとか衣装の準備も済んで、まずは親族紹介から始まりました。ところがSunの親族たちの紹介の際に、名前が出てこなくて参りました。いつもは愛称で呼んでいるのですが、正式な名前が思い出せなくて困りました。

 

■そしていよいよ結婚式のセレモニーです。司会の方が挨拶を始めたにも関わらず、新婦方の友人たちがおしゃべりを止めずに、司会の言葉が聞き取れないのには驚きました。

 

やがて静かになって、無事に滞りなく終了し、みなさんで写真撮影となりました。今の式は、こうした写真撮影に時間をかけるようです。みなさんスマホを片手に群がるように集まっていました。

 

 

Tomo君が撮ってくれた写真です。一番上手に撮れていました。ここに亡くなった姉がいてくれれば最高だったのですが。

 

 

■最後の親族の御礼の言葉が私には残っていましたので、食べる気もあまり起きませんでした。本当に二口三口というところです。

 

職場でのTakuの上司の皆さんのお話を聞いていると、社会人として、そして何より弁護士として信頼を勝ち得ていることが、私にも分かりました。単なるお世辞だけでないことは、私にも、Sunにもよく分かるほどでした。

 

それが何より嬉しかったと同時に、もう大丈夫なのだ、という安心感が沸々と湧いてきました。あとは積み重ねです。方向や、やり方が間違えていなければ、あとは積み重ねていくことで本当の力がついていきます。

 

食事も早々にビール片手にSunと二人で、お客様のテーブルを回り挨拶をして歩きました。何を置いても高橋伸二所長さんに、ご挨拶をしなければなりません。Takuのいわばメンター(精神的指導者)です。最初の指導者が、どの職場でもいちばん大切です。その時に受けた指導というのは、たとえつまらないことのように思えることでも、一生頭の片隅に残るものです。それは私も同じです。ですから今が大切なのです。

 

様々なお話、そして余興も行われました。楽しみながら時が過ぎましたが、私は最後の出番が終わるまで気が抜けませんでした

 

やがて最後の私の出番。新郎新婦と両家の両親が並んで上座に向かって御礼の言葉を述べる場面です。1,200字ほどの原稿ですが、もう何度予行演習をしたか分からない程でした。それでも職場の上司の名前を間違えやしないかと、心配でなりませんでした。

 

ど忘れということがありうるのです。あれやこれやの連想法を活用して、飛んでしまうことのないように、それだけが心配でした。話の流れの中のキーワードを、忘れることのないように、それをまず注意しました。

 

出席者への御礼の言葉を最初に述べてお辞儀をしたところ、司会者の方が、それで終了したかと錯覚して、「ありがとうございました」と言われたのには驚きました。通常は、そのだけで終るのでしょうか。本題に入って、なるべくゆっくりと話すように心がけました。

 

Tomo君にスマホで最後の挨拶をビデオに撮っておいてね、と自分のスマホを渡しておいたのですが、仕事で前夜眠ることができなかったために、乾杯のお酒を飲んで酩酊状態になったようです。Nonが代わりに撮影してくれました。

 

改めて見直してみると、自分で思ったよりは堂々として話していますし、聞き取りにくいことは無かったようです。それでも原稿とは二箇所違う単語を使っていました。内容は同じなのですが、言葉の衝撃力が違ってくるので、そこは反省点でした。まぁ、90点といったところでしょうか。

 

12時半に始まった披露宴も、14時には無事に終了し、最後に皆さんに静岡のお茶をお渡しして、帰宅の途についていただきました。

 

衣装を着替えるのに時間もかかり、大宮駅で電車に乗ったのは、14時を過ぎていました。Nonが車で来ていましので、来る時に持ってきたおきなキャリーバッグも帰りは手ぶらとなって、本当に楽でした。原駅に着いたのが、16時過ぎ。家にたどり着き、ホット一息でした。

 

それでもNonちゃんたちが荷物を届けてくれるまでは安心できません。連絡を取り合ったのですが、どうも高速道路が渋滞しているようです。とりあえず、まだまだ時間がかかりそうなので、二人でお風呂に出かけて、そして一杯やろうということになりました。

 

二人だけの乾杯でしたが、最高でした。

 

二人だけの乾杯です。

 

 

 

 

 

 

 

切り替え

■20180720(金曜日:晴れ)

 

 

 

■今朝は走りました。6.13km を走り、これで今月の通算走行距離は、63.92km となりました。残り11日で 36.07km です。明日はTakuの結婚式です。なんとしても今月で月100キロ走の記録を途絶えさせるわけにはいきません。走り始めた頃は、Takuが司法試験に合格するまでは、と勝手に自分なりの目標を立てましたが、夢叶った今では、新たな目標が必要です。

 

Ayaちゃんが夢をかなえるまで、と今度は目標を切り替えて、それまでは続けるつもりです。

 

■一昨日から沼津にやってきたベンが我が家に泊まりました。昨夜は一緒にソーメンを食べました。そしてその後、四人で卓球をしました。ベンはなかなかの使い手。いっとき笑いが絶えませんでした。最後にAyaとベン二人で花火を楽しみました。

 

 

サーブを打つベン。真面目な性格が、よく出ている映像です。几帳面なのでしょうね。私とのシングルスは、20対22で私の負けでした。

 

 

Ayaが子供の頃のビデオをみんなで観ながら、大笑いをしましたが、本当に月日の経つのはあっという間です。

 

そして今夜は明日のTakuの結婚式に備えてさいたま市に移動です。まさかTakuの結婚式が、こんなに早くやって来ようとは、本当に夢にも思っていませんでした。まだまだ先のことかと想像していたのですが。

 

 

ボランティア

■20180719(木曜日:曇)

 

 

 

■とにかく暑い毎日です。昨日は岐阜で40度を記録しました。ネットによれば、

 

きょう18日は、東日本の内陸や近畿を中心に気温が上がった。最高気温は岐阜県多治見市40.7℃、同県美濃市40.6℃と、国内で5年ぶり、7月としては14年ぶりに40℃以上を観測した

 

昨日ベンが沼津にやってきました。今週はじめには日本に来ていたのですが、広島などを巡って来ました。暑い中での移動でしたから大変だったでしょう。

 

長谷川さんからも昨日フェイスブック上で、暑いけれども関西での夏休みを楽しんでいます、という連絡があり一安心です。

 

■今朝は走りませんでした。昨日走りましたし、疲れが溜まらないように用心しないと、体調を崩します。土曜日のTakuの結婚式が終わるまでは、とにかく大事にしないといけません。

 

昨日から結婚式での父親の御礼の挨拶の暗唱を始めました。さすがにスマホと無線イヤフォンで行う勇気はありません。1,200字弱の原稿を書き上げていたのですが、あとは頭に叩き込むだけです。

 

■秋のベトナム支援の旅の準備が、少しずつ進んでいます。まずは航空券の手配です。大釜さんが手配をしてくれていますが、Tomo君がセントレアから行くのか羽田から行くのかで、必要な枚数が違ってくるので、いま確認をしています。セントレアからはハノイに行く便数が、あまり多くないとのことで、時間が残りの仲間と合わない可能性があります。そして帰りの予定が、また難題です。仕事が待っているからです。

 

何にしても、仕事を持ちながら休みを取って、その合間にボランティに出かけるのは、本当に大変です。

 

 

一時期

■20180718(水曜日:曇)

 

 

 

■今朝は走りました。昨夜は医師会の理事会があり、普段ならそれほど問題なく終わるのですが、昨夜はピロリ菌の検診の学童検診について異論が続出し、通常の倍もの時間がかかりました。それでも足りないほどでした。

 

西方新会長体制になり、一部の理事も入れ替わりましたが、軌道に乗るまでに少し時間がかかるかもしれません。沼津市、裾野市、長泉町、そして清水町を取りまとめているが沼津医師会です。二市二町ですから、なかなか大変です。救急体制、そして介護保険。時代の変遷とともに取り組まなければいけない課題も変わってきています。

 

■あの宇宙飛行士の連れ合い、向井万起男さんの大リーグ本は、とても楽しく読むことができます。そして独自の人生観も披瀝されます。以下の言葉も、その一つです。なるほど、と思います。

 

人は誰しも順風満帆の人生を送り続けることなどできはしない。一時期でも幸せであれば恵まれている方だとさえ言えるかもしれない。その時期を思い出しながら残りの人生を送れるのだから。……

『人に言いたくなるアメリカと野球の「ちょっとイイ話」 (学芸図書)』(向井万起男 著)より

 

逆に言えば、自分の人生を振り返り、一時期も幸せだったと思い出せない人生は、とても辛いものに違いありません。特に幼少期が幸せでなかった場合には。

 

 

奔流

■20180717(火曜日:小雨)

 

新沼津カントリークラブの15番ホールです。

 

 

■連日の猛暑で熱中症の被害が深刻です。西日本を中心に、熱中症注意報の欄に「危険」との警告が並ぶ状態です。

 

豪雨による災害地域では、復興のための作業に大変な重荷になっています。まだ水道が不通の地域もあり、負担は大変なものです。

 

今朝は起き出してみると小雨がぱらついていました。そのためか暑さも、今のところ小康状態です。

 

■今日で連休も終わって、あとは夏休みまで落ち着きのない日々が続きそうです。今週末にはTakuの結婚式。そして来週の週末は、高度医療機器管理者講習会でのプレゼントと、準備が大変です。

 

とにかく一つ一つ確実に対応するしかありません。

 

昨夜は、Turuちゃん夫婦とひろ繁での恒例の夕食会。あちらも、こちら同様、流れが変わり始めたようで、そうなると一気に奔流となるのかもしれません。そういう時期なのでしょうか。

 

 

恩讐

■20180716(日曜日:曇)

 

 

■今朝は走りました。一昨日、昨日と人生で初めての土・日曜日連日のゴルフでしたが、月刊100キロの目標が立ちはだかっています。今朝もいつものコースを走り 6.12km を積み重ねました。これでようやく予定の走行距離である 50km を超え、51.65km を積み重ねました。

 

連日の猛暑で日本中がうだっています。天気予報を見るたびに、熱中症注意報が『危険レベル』と警告しています。今朝は5時半頃から走り始めましたが、湿度が高いためか汗が肌にへばりついて、いっこうに離れようとしません。つまりは体温が下がらない、ということです。

 

これは苦しいですし、危険です。もちろん早く走っているわけではないのですが、それでも歩いているのとはわけが違います。心拍数の変化をグラフで見ると、今日は走り初めて12分後にピークの160回を記録し、あとは一分かけてゆっくりと下降し、110で底を打って、あとは終わりまで緩やかに上昇して 135 で終了する、というパターンです。

 

キロ7分程度で走っていると、こんな感じのグラフを描くようです。帰ってからは、なにはさておき頭から水を浴びて体温を下げる必要があります。本当に生き返ります。

 

でもまだ目標までは半分残っていますので、達成にはまだまだ長い道のりです。今週はいよいよTakuの結婚式が土曜日に控えていますので、気ぜわしい一週間です。なんとか無事に乗り切らなければいけません。

 

■昨日15日、自由党の小沢代表が塾長を務める政治塾で、小泉元総理が脱原発に関して講演された、と報じられています。

 

ご存知のように、小泉さんは東日本大震災以降、即刻脱原発をしなければいけない、と訴えておられます。現職の首相だった頃は原発は必要だ、としていながら、今になって考えを変えてけしからん、という意見は当然です。

 

状況が変わった以上、考え方が変わっても変節と非難する方がおかしいのでは、と私は感じています。それほどの衝撃を東日本大震災と福島の原発事故は、世界中に与えたのです。天変地異といいますが、天と地が入れ替わってしまったのです。それにも関わらず、いまだにしがらみや利権に固執して、原発は必要だ、としているのは、政治家としては無責任でしょう。

 

小泉元総理の発言の概要は以下のページから、どうぞ。

 

ある記事によれば政治家は、ある時点になると、国のために自分は何ができるのか、と私利私欲を超えて真剣に考えるようになるものだ、そうです。そうかもしれない、と私にも理解できる気がします。小泉さんも小沢さんも、どちらもそうした精神的な境地に到達されているのでしょう。

 

だからこそ、お二人は日本の未来が心配なのです。このままでは、またあの奈落の底へ落ちかねない、という危惧は、決して杞憂ではない、と私は感じています。失敗を真に総括・反省することをせず、あいまいに臭いものに蓋をしてきた日本が、ここまで繁栄したのは、もちろん国民の努力・勤勉性が大きな要素ですが、たまたま歴史的な僥倖に恵まれてラッキーだったのだ、という面を忘れてはいけません。

 

トランプ大統領によって、戦後がいま真に終わろうとしています。誰かに寄りかかっていることで繁栄できた時代は終わるのです。これからは自分の頭で考えながら道を進むしか無いのです。明治150年、果たして日本は真の独立を果たせるのでしょうか。

 

 

 

 

猛暑

■20180715(日曜日:晴れ)

 

 

 

■今日も猛暑でした。今が一番暑い時期なのでしょうか。京都では39度になるのでは、という予報が昨日出ていました。

 

今日は新沼津カントリークラブのBクラスの月例競技。昨日に引き続いてのラウンドです。とにかく暑い一日でした。最近は100回を切るのが四苦八苦になってしまいましたが、今日はなんとか前半 45 回でまとめることができました。久しぶりのことです。後半はOBを連発して、52回と沈んでしまいました。

 

走り続けることで下半身がしっかりして、安定感が増したのかもしれません。しかし相変わらずドライバーショットが不安定で、スコアがまとまりません。

 

課題の多い一日でした。それでも次回が楽しみな一日でもありました。

 

 

学生時代

■20180714(土曜日:晴れ)

 

 

 

■今日は特別な日でした。仕事をする日なのですが、スペシャルゲストが来られるので、休診にしました。高校時代の後輩の長谷川さんが、夏休みを取られて上海から来沼されました。こちらへ来るので一緒にゴルフをしませんか、と誘ってくれたのです。

 

京都では明日は猛暑のピークで、40度に届くのではないか、と予想されるほどです。今日も直射日光のもとでは、肌が痛いほどでした。水分を取っていないと、あっという間に熱中症になりそうな天候でした。

 

それでも一日、とても楽しい時間を過ごすことができたのは、ゴル友の長倉さんのおかげです。レベルの高いプレイを楽しむことができました。

 

 

終わってからは、16時半からと早すぎたのですが、ひろ繁で長谷川さんと楽しく歓談することができました。色々話をすることができました。同じ高校に通っていたのですが、15歳、年が離れているとまるで違って高校時代が見えるから不思議です。

 

学業も優秀で現役で東大に合格した長谷川さんが、意外にも楽しく高校時代を過ごしていたことを知って、本当に驚きました。

 

同じ三年間を同じ校舎で過ごしても、全くと言っても良いほどに違う学生時代を過ごしていたことを知って、本当に驚きました。

 

しかし暑い一日でした。

 

夜は二人でディナーでした。高校時代の楽しい思い出を語り合いました。同じ高校へ通っていても、様々な青春時代があったのです。

 

 

 

 

 

老人と海

■201807134(金曜日:晴れ)

 

今朝の蓮の花です。

 

 

■今朝は走りました。昨夜は足元に置いた扇風機が効果を上げたのか、とても快適に眠ることができました。一番弱い強さで、回転させながら風は頭の上を通過するように、扇風機を掛けっぱなしで寝たのですが、これが正解だったようです。

 

気温も下がってくれたようです。今朝7時前のニュースを見ていると、東京の湿度は 90% と出ています。昨夜も本当に蒸し暑い夜でした。空調を出来る限り弱い設定で運転させていたのですが、部屋の外へ一歩出ると、うだるような暑さが襲ってきます。メルボルンでは、さすがにこうした蒸し暑さは無い、というのがAyaちゃんの感想です。

 

■さて朝の4時半には目が覚めましたので、そのまま起き出して走り出しました。もう少しと思って眠ってしまうと、今度は起き出すことができなくなります。爽やかに目覚めたことに感謝して、準備を始めました。この時間ですと、さすがに蒸し暑いということはありません。気持ちよく準備運動をしてから、スタートです。

 

走り出してみると、体の重いことには参りました。それでもいつものコースを 6.14km 走り、これで総計 45.53km を積み重ね、残り18日で 54.46km となりました。

 

■朝食を食べていると、蝉しぐれが聞こえてきました。道路を挟んで我が家の前にある並木道には、無数のセミがいるようです。市営団地を覆い隠すように大きく成長した並木も、30年前には、まだまだ小さな木ばかりでした。今日まで蝉の声は聞こえてきませんでしたが、今日になって一斉に泣き始めたようです。

 

■昨夜も本を読み進めましたが、再読している向井さんの本の中で、以下の部分は私の愛読書でもあるだけに、目が止まりました。

 

「私はズッと『老人と海』を英語でも日本語訳でも愛読してきた。そして、ズッと大リーグの熱狂的ファンだ。そうした私には或る想いがある。……福田恆存訳も野崎孝訳も文学として優れているけど、マノーリンを20代の「若者」とした日本語訳もいつか読んでみたい。」

(『人に言いたくなるアメリカと野球の「ちょっとイイ話」 (学芸図書)』(向井万起男 著)より)

 

この部分は、私にもよくわかる気がします。高校時代初めて『老人と海』を読みましたが、帰りの電車の中で読みながら、夢中になって読むうちに停車駅を過ぎてしまって、赤羽駅まで行ってしまったこともありました。

 

福田恆存さんの訳で読んでいたためでしょうか、マノーリンはまだあどけなさの残る少年というイメージが私の頭のなかでは浮かぶのですが、ヘミングウェイの文章を読む限り、確かに大学を卒業したばかりの若者であるはずです。つまり、

 

「マノーリンがディック・シスラーの〝父親〟についてこう言っている。「ぼくくらいの年のときには、もう大リーグに入っていたんだよ」(これは福田恆存訳だが、野崎孝訳は表現が違うだけで意味は同じ)。ところで、この〝父親〟とはジョージ・シスラーのことだ。イチローが 2004 年に破るまで年間安打 257 本という大リーグ記録を持っていた男で、大リーグに入ったのは大学で学んだ後の22歳のとき。」

(『人に言いたくなるアメリカと野球の「ちょっとイイ話」 (学芸図書)』(向井万起男 著)より)

 

でも、でもです。やはり私の中では、マノーリンはまだあどけない少年であって欲しいのです。例えばマノーリンが老人を起こすために、まだ未明の薄暗い中、老人の家に行く場面があります。やはり22歳の若者よりは、少年のほうがしっくり来るのですが、どうなのでしょう。スペンサー・トレイシー主演の映画では、どうなっていたでしょうか。確かめてみましょう。

 

 

現役

■20180712(木曜日:曇)

 

我が家の東側の庭に植えた柿の木です。この中に柿の実が、いくつか成長しています。

 

 

■今朝は走るつもりでしたが、3時過ぎから激しい雨が降り始めました。窓を締めて回りました。蒸し暑いので窓を開け放して眠らなければならないのに夜中に雨が降る、というのが最悪のパターンです。

 

冷房を掛けて眠れば話は簡単なのでしょうが、気管支系が弱い私は、冷房をかけて眠ることはしないのです。仕事でビジネスホテルなどの泊まる時には嫌でも冷房をかけるわけですが、多くの場合は部屋の温度を下げておいてから、眠る前には止めるようにしています。

 

それにしても暑い日が続いています。豪雨災害の地域では、冷房無しの生活を強いられている可能性が高いので大変そうです。寒さの中での避難生活を強いられた東日本大震災の時も大変でしたが、暑さの中での避難生活も苦労が多いはずです。

 

■火曜日の夜中に発症した胃腸炎も、なんとか無事に収束し、昨日は仕事をしていても、前日とは大違いでした。やはり仕事をするということは、まずは体調管理が第一歩。これなくしては、ろくな仕事ができないということを、いつもながら実感します。

 

逆に言えば高齢となり体調が優れなくなれば、仕事の質が落ちてしまうのはやむを得ないのでしょう。元気でいるうちは現役で仕事をしようと思っていますが、体調の管理が難しそうです。

 

 

 

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