■20180827(月曜日:曇)

 

高千穂で泊まった民宿の窓からの風景です。

 

 

■今朝は走りました。いつものコースを 6.14km 走り、これで残り4日で 5.28km のところまで来ました。あと一回走れば、月100キロの目標達成です。右太ももの付け根の痛みも今朝は、ほとんどありませんでした。違和感は消えていないのですが、それがために脚が前に出ない、ということはありませんでした。完治までは、もう少しです。

 

 

■それにしても暑い日曜日でした。昨日は、あまりの暑さにさすがに出かける気がせずに、家にいて資料の整理や映画鑑賞に時間を費やしました。久しぶりに「市民ケーン」を観ました。ずいぶんと古い映画ですが、今でも斬新さは色褪せていません。

 

 

『市民ケーン』(しみんケーン、原題: Citizen Kane)は、1941年公開のアメリカ映画。RKO配給。監督・製作・脚本・主演はオーソン・ウェルズ。モノクロ、119分。

オーソン・ウェルズの監督デビュー作。「バラのつぼみ」という言葉を残して亡くなった新聞王ケーンの生涯を、それを追う記者が取材した関係者の証言から回想形式に描かれる。主人公のケーンが実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたことから、ハーストによって上映妨害運動が展開され、第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。

しかし、直線的な時間配列を再構築した構成や、パン・フォーカス、長回し、ローアングルを多用した映像表現などにより、現在に至るまで世界映画史上のベストワンとして高く評価されている。英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテン(The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time)では5回連続で第1位に選ばれ、AFI選出の「アメリカ映画ベスト100」でも第1位にランキングされている。

 

 

と、Wikipediaにあります。名画中の名画なのでしょう。観終わって感じたのは、母の愛、ということでした。幼児期に養子に出され、母親の愛を得られずに成長したケーンの愛を求めての人生、とも言えそうです。

 

 

アメリカのテレビドラマ、例えば「Law and Order」などを観ていて思うのは、アメリカでは人は自由なのだ、ということです。何事にも自由、そして自分の欲望に忠実に進もうとする。それを縛るのはただ一つ。法律だ、ということです。したがって法律無しでは夜も日も明けない。多民族国家ゆえ、共通の暗黙の了解と言ったものは期待できません。常に法律なのです。そのことが、よく分かります。弁護士が何十万人も必要なはずです。

 

 

精神科医と弁護士が生活の必需品なのです。日本とは全く異なる社会なのでしょう。どちらが良いとか優れている、という問題ではありません。違っている、ということを理解しておくことが必要だ、ということです。