■20181003(水曜日:晴れ)

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨日朝は月初めということで、天候も最適なランニング日和でしたので10キロを走りました。仕事前に10キロ走って朝食を取って、昼休みにはラジオ英会話を聞いて、仕事を終えて夕飯を取って、寝る前にはキンドルで読書して、と何とも代わり映えのしない一日です。走る距離は別にして、こんなパターンが最近の日常です。

 

以前でしたら仕事前に走るなんて、想像もできませんでした。だいたい長距離を走るのが、一番の苦手だったのですから。高校時代に行われる強歩大会では、三年間で一度も50キロ先のゴールまで辿り着けなかったのが、今でも心残りなほどです。いま考えてもあの頃の体力、日常生活では完走は、夢のまた夢でした。

 

高校の後輩である長谷川さんが三度とも完走したと、先日一緒に一杯やりながら聞いた時には、本当に驚きました。彼は勉強もできたからです。勉強しないで運動だけしていたのなら、べつだん不思議でも何でもないのですが、両方ともこなしてしまうのが凄いのです。才能の違いと言ってしまえば、それまでですが、きっとそうなのでしょう。

 

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そんな自分でも、先程のような一日を送ることができるようになったのですから、人間というのは何事にも慣れる動物のようです。意外と諦めることもないのかもしれません。自分にできるはずはない、と決めつけるのは後にして、何かを始めて、そして少しずつ続けてみると、何だ自分でもこれくらいならできるのだ、と驚くことになるかもしれません。そんなことに気づくのは、本当に楽しい、の一言です。腹の底から笑えるほど、楽しいのです。

 

自分には、ひょっとすると、まだ隠れた才能があるのかも知れない、と考えるのは、正しく言えば妄想です。でも妄想を抱いたからといって、誰に迷惑をかける訳でもありません。妄想に基づいて何かを続けてみたら、今までできなかったことができるようになったら、それは妄想でなくなります。考えただけでも楽しくなる妄想です。

 

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■さて先日の東京新聞の記事「太郎の国際通信」は興味深いものでした。副題は「嘲笑への報復」です。今年の国連での米国トランプ大統領の演説に際し、総会場から笑いが広がったのです。記事によれば、

 

「私の政権は、発足2年を経ずして我が国の過去のいかなる政権もなし得なかった成果をあげたのです」

大統領がここまで言った時、総会場からクスクスという笑いが起こりやがてどよめきとなって満場に広がった。

私はこの演説をテレビの中継で見ていて何が笑いを誘ったのか理解できなかった。大統領はおかしいな仕草をしたわけでもなかったし、発言の内容もいつも国内の集会で喋っている事だったからだ。

言ってみれば大統領は地で行ったわけだが、各国のエリート外交官たちの笑いには、ある種の侮蔑の念が込められているようにも思えた。

 

と、木村太郎さんは書かれています。私の友人の間ですら、教育を受けている人ほど、トランプ大統領に対する反発や嘲笑を隠しません。大統領を否定しないと何か格好がつかない、とでも思っているようにすら私には見えます。あんな人と自分を一緒にして欲しくない、とでも言いたげに見えます。

 

田中 宇さんの記事を読んでいる私には、こうした友人たちの反応は、とても奇妙に思えます。トランプ大統領が誕生して何が変わったかと聞かれれば、世界各地で勃発していた紛争が終結に向かっている、と答えます。シリアが代表的な例です。たぶん世界中の紛争地で、このような形で安定に向かうでしょう。つまりはアメリカ抜きにして、です。

 

今までの考えに縛られていると、実際に起こっていることを見誤るのでしょう。頭の中は未だに米ソ冷戦時代のままなのです。木村太郎さんは、最後にこう書かれています。

 

あるサイトによれば、トランプ大統領は自らに批判的な言動を放置したことはないので、大統領に面と向かって笑いを浴びせた国連総会の出席者に強く反発するはずだとしている。

トランプ大統領は、この日の演説でもグローバルを否定していたように、元々国連には批判的ですでに国連教育科学文化機関(ユネスコ)や国連人権理事会からの脱退を表明している。

次に考えられるのが国連分担金だ。国連の事業には不必要なものが多いと分担金の見直しに言及してきた。国連の財政はすでに破綻しており、もし米国の分担金が減額されれば存亡の危機にもさらされることになる。

もしかしたら、総会場でトランプ大統領を嘲笑した各国の外交官たちは、後でほぞをかむことになるのかもしれない。

 

エリート中のエリートである外交官たちがなし得なかった紛争の解決を、トランプ大統領が彼独自のやり方で成し遂げようとしている現状は、これからの世界を予言しているのかもしれません。