■20181220(木曜日:晴れ)

北海道トマムリゾートへ向かう送迎バスです。

■今朝は走りました。6.13 km を走り、これで今月は通算70.19 km となりました。残り11日29.80 km のところまで来ました。あと5回いつものコースを走れば目標達成です。24日の月曜日が振替休日ですので、そこで LSD を敢行して最後の鍛錬の日としようかと思っています。 12月2日に参加したお伊勢さんマラソンで初めて感じたのですが、自分自身の筋肉、お尻や太ももの筋肉で、しっかりと両脚を前へ前へと運ぶという感じが実感できたように思います。もちろん急に筋肉がついたわけではありませんので、これまでの練習の成果に違いありません。自分自身の持つ駆動力とでもいうのでしょうか、前に進む力が付いたと実感したのです。 もちろんそれは自分自身の中での比較であって、 まだまだ全然足りないのですが、確実に少しずつ進歩しているという実感は、とても嬉しいものです。

■今朝の東京新聞「この道 川淵三郎」は、「ジョホールバル」です。 日本が初めてワールドカップ出場を決めた1997年11月16日に行われた、マレーシアのジョホールバルでのイランとの対戦の様子が書かれています。川淵さんはこのフランスワールドカップ杯アジア地区第3代表決定戦を、自宅でテレビ観戦していたそうです。 ウズベキスタンから帰国後、胆石発作に何度も襲われ、胆嚢摘出手術を受けて、退院したばかりでした。 このイラン戦では終了2分前、中田英寿選手が放ったミドルシュートを、相手ゴールキーパーがはじき、そこへつめていた岡野雅行選手がスライディングするようにして放たれたシュートが見事イランゴールに吸い込まれました。川口さんはこう書かれています。

一緒に見ていた妻と次女、3人で抱き合って涙を流した。生涯でこの時だけだ。

この文章だけからでは、涙を流したのがこの時だけなのか、妻と次女三人で抱き合ったのが、この時だけなのか、判別しにくいのですが、たぶん後者なのでしょう。 こんなところにも川淵さんのユーモアのセンスが出ているように感じます。

この文章を読みながら、実は私もこの試合を見ていた記憶が蘇りました。中田選手が放ったミドルシュート、そして岡野選手が、確かに滑り込むようにして放ったシュートが決勝点になった、あの場面です。自分の頭の中でビデオテープが再生されているよう でした。あの日から、もう21年以上の時が流れたのだなあと、この文章を読みながら振り返ることができました。 もちろん私自身はその瞬間、妻や娘達と抱き合ったわけではありませんでしたが。

今もなお、バスケットボールリーグの統一問題などで手腕を発揮している川淵さんの行動力には、敬服するばかりです。昨日もアイスホッケーリーグのクラブチームが、親会社の業績不振から廃部になることが発表されました。企業の支援はもちろん不可欠なのでしょうが、やはり企業におんぶに抱っこだけでは、健全な地域スポーツの確立は難しいのでしょう。川淵さんの出番は永遠に尽きないのではないでしょうか。