■20181228(金曜日:晴れ)

川口の実家が元あった場所です。この通りで吉永小百合さんが映画のロケをしていました。

■今朝は走りました。目覚ましが鳴る前の4時半頃に目が覚めてしまい、ここで寝てしまうと、リズムの関係で次に目が覚めるのは6時近くになってしまいますので、思い切って起き出しました。 7.06 km 走り通算89.78 km 残り3日で10.21 km となりました。天気予報では幸い、大晦日まで早朝に雨が降ることは無さそうですので、今のところ、なんとか目標を達成できそうです。朝方の冷え込みを考えて、昨夜は眠る時には厚めの掛け布団にしたのですが、夜中に暑さのために目が覚めてしまいました。 結局薄手の掛け布団に替えて熟睡することができました。

昨日はSunと二人で日帰り温泉に行ってゆっくりとお湯に浸かり、その後、施設内で一杯やりました。歩いて3分ほどのところにありますので、飲んだ後でも安心して、家に帰ることができます。昨日はSunが、御殿場の病院で漢方の先生に診てもらいました。ストレスのためでしょうか、最近めまいに襲われることが多くなったようで、Nonちゃんの勧めに従って診察を受けたのです。色々調べてもらった上で、漢方薬を2種類飲み始めることになりました。年をとると色々な不都合は出てくるものです。私自身も同様です。先日は24時間心電図の検査を受け、不整脈などの異常がないかをチェックしてもらいましたが、幸い異常は見つかりませんでした。動悸の原因が、はっきりしなかったのですが、精神的なストレスも原因なのかもしれません。

■今朝の東京新聞24面平成クロニクル(年代記)は、2008年の年越し派遣村を特集しています。「使い捨て」不況で表面化、とあります。2008年(平成20年)9月、米国の投資銀行の破綻をきっかけに世界規模の金融危機「リーマン・ショック」が起き、日本でも失業者があふれました。派遣村のメンバー達は、役所が閉まり職探しや生活保護申請もできない年末年始に失業者らを路上で死なせるな、と立ち上がったのです。 派遣村の村長を務めた湯浅誠さんは、雇用保険や生活保護などセーフティネットが機能せず、一度転ぶと底へ落ちる「すべり台社会」に警鐘を鳴らし続けています。

派遣村は国の規制力が効かなくなった結果。平成の初めの20年間、日本にないとされた貧困を派遣村が可視化した。

と指摘しています。 本来違法だった派遣労働に通訳など十三業務限定で風穴が開いたのは1985年。財界の意に沿って穴はみるみる広がり、規制緩和を叫ぶ小泉純一郎内閣の下で製造業への派遣も解禁されました。非正規雇用は急増し、格差が拡大したのです。フランスでの黄色いベスト運動や、アメリカでのトランプ大統領の誕生など、世界中でグローバリゼーションに対する異議申し立てがなされています。冷戦が終わり世界がひとつになり、平和の配当が世界中の人々にもたらされるのだと単純に信じていた人々の失望が、こうした運動を引き起こしているのです。我々は今こそ立ちどまり、普通の人々が普通の幸せをつかめるような社会を作り上げるには、どうしたらよいかを真剣に考え直す時に来ているのです。