■20190131(木曜日:曇)

遥か彼方に十勝平野が望めます。来年までお預けです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日9キロを走って、月100キロの目標を無事に達成することができましたので、今朝は休養です。今朝は走らないと決めていると、不思議なもので、目覚ましが鳴っても、こんな寒い朝に起きだそうなどとは露とも思わないのです。こんな暖かくぬくぬくとした布団の中から、起きだそうなどと思うのは、よほど変なやつだとすら思えるのです。人間の心理というのは、実に面白いものです、走る距離にしてもそうです。今朝は6キロ走ろうと決めて走り出すと、とてもその先まで足を伸ばして10キロを走ることなど、想像もできないのです。

大会に出場してみると、そのことを強く感じます。ハーフマラソンなら21キロ超を走らなければなりませんが、最初から今日は21キロを走るのだ、と決心してから走り始めないと、とても完走などできません。逆に言えば最初から21キロを走るのだと心に決めて走り始めれば、意外と完走できるものなのです。

■今週に入ってからは走り出すのが6時を過ぎてからですので、帰ってきてシャワーを浴びて朝食を取ると、仕事を始めるまでにゆっくりと時間を取ることができません。つまりは毎日日課にしている新聞の切り抜きと PDF にしてEvernoteに収納するという仕事ができませんでした。今朝は走らなかった分だけ時間ができましたので、溜まっていた新聞をもう一度読み直し、興味のある記事を切り出し、スキャンして保存の作業をしました。毎日、インターネット上で多くのニュースを見るのですが、私はやはり新聞をゆっくりと読むのがとても好きです。静寂の中で1人静かに新聞を読むという時間は、精神衛生上とても大切な事のように私には思えます。

■そんな中で、とても興味深く、また大切だと思った記事は、東京新聞論説委員の熊倉逸男さんと、政治学者の白井聡さんの対談です。考える広場『天皇から米国へ 変わる「国体」』と題されたその対談は、戦後の日本人の精神状況を私にもわかりやすく解説してくれています。田中宇さんの国際ニュース解説を読んでいる私にしてみると、「対米従属」という言葉はなじみ深い言葉ですので、読んでいて違和感は少しもありませんでした。

私がいつも不思議に思うのは、米軍基地の建設に反対する沖縄の人たちに対して、いわゆる右翼と呼ばれる人達が応援するのではなくて、襲いかかったりすることです。ヨーロッパなどでは、日本で極右と呼ばれる人達が唱えているのは、流行の言葉で言えば、自国第一主義なのです。つまり、グローバリズムと言われる流れに対して自分の国の国民を守ることが第一なのだと唱えるのが、彼らの主張なのです。多くの場合、それはアメリカに対抗するという形を取るのが一般的です。なぜなら、グローバリズムで最も利益を得ているのが、アメリカの世界企業であることは間違いないからです。

ところが、日本の右翼と呼ばれる人達は、白井さんも書かれているように、その接頭辞として必ず「親米」という言葉が使われます。私などには、これがとても奇異に思えます。なぜ日本国民である沖縄の人達を守るのではなくて、アメリカの基地を守ろうとするのか、倒錯しているとしか私には思えないのです。そうした意味において、元東京都知事の石原慎太郎さんが「日本には真の意味での右翼などいない」と言われたのは、正鵠を射ているのでしょう。

こうした心理状態が続いていくと、どうなるかと言うと、白井さんが言われるように、国民統合がぶっ壊れてしまうのです。国民の統合とは、日本国民という共同体の皆が助け合い、仲良く暮らすということだ、と白井さんは言われています。例えば、東京都港区南青山で、地域のブランドイメージを壊すとして、児童相談所建設が反対を受けている問題などを見ると、「貧乏人が周りをうろつくと不愉快だ、あっちへ行け」と、こういうことを言っちゃいけないという常識が壊れている、と白井さんは指摘しています。

白井さんの著書「国体論」は、対米従属による社会の荒廃を描く一方で、2016年8月に天皇が発した「象徴としての務めについて」の言葉に、再生の可能性を見出していると、熊倉さんは指摘しています。天皇陛下のお言葉の中には、こんな日本の状況に対し、国民の統合を回復し何とか守らなくてはいけない、統合を維持するつもりはあるのですか、と国民に問いかけているのではないかと、白井さんは指摘しているのです。そのお言葉には戦う人間の激しさがにじみ出ている、とも白井さんは書かれています。

私もその通りだと思うのです。小泉内閣以来続いてきた流れが、安倍内閣によって完成しようとしています。それは国民の統合の崩壊に異なりません。天皇陛下のお言葉に、今こそ私達は耳を傾けて、真摯に向き合わなければならないのです。