■20190223(土曜日:曇)

駿河湾です。

■今朝は走るつもりでいたのですが、昨日途中で痛くなった、右のふくらはぎのことが心配で休養としました。無理をして痛みが広がっても困りますし、来週月曜日から4日ありますので、なんとか目標を達成できそうですので、ここは自重しました。

さて、今日は2月23日、語呂合わせで富士山の日でもあります。新聞の折り込みを見ると、今日は税理士の日でもあるようです。どうしてそうなのかは書かれていませんでしたが、沼津市の税理士の一覧表のようなものが配布されていました。またまたきょう2月23日は世界理解と平和の日、ロータリー創立記念日でもあります。

■今朝の東京新聞には、富士山の日にちなんで、「見飽きることない山」と題して、静岡県富士山世界遺産センター田代一葉(たしろ・かずは)准教授が、富士山について語られています。

富士山に関する記述で最も古いのは、文字として残っているものとしては、八世紀初めにできたとされる「常陸の国風土記」だそうです。今の茨城県に関する文献で、筑波山と対比して、富士山の神が「福慈の神」の表記で出てきています。

万葉集の、あの有名な山辺赤人の「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」は、山辺赤人が都から千葉の方に向かった時に詠んだ句で、この中に出てくる田子の浦は、今の富士市の田子の浦ではなくて、由比(静岡市清水区)の薩埵(さつた)峠辺りだった、と研究で分かっています。山が切れて、海越しに目に飛び込んできた富士山を赤人は詠んだのです。田子の浦港から船に乗って海に出てみると、あの句はこの船の上から読んだのではないかと早合点しがちですが、実際は違うようです。

その他にも、芸術分野で富士山が大きく取り上げられるようになったのは、江戸時代だそうで、江戸は「富士山が見える都」として、江戸っ子の誇りになりました。葛飾北斎、安藤広重ら江戸の絵師による浮世絵が代表的です。東海道中膝栗毛など庶民向けの文学も人気となり、文化の裾野が広がった、と田代准教授は書かれています。