2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年3月 Page 2 of 4

著作権

■20190321(木曜日:雨)

椿です。
椿です。

■今日は春分の日。昨日は東京でも気温が20°に達して、さくらの開花宣言がされるのではないかと、皆さん楽しみにしていましたけれども、残念ながらもう一息でした。今日は一転、雨の一日でした。とは言っても気温が高いおかげで、寒さに凍えるということはありませんでした。今日はロータリークラブの大の親友、大村さんと久松さんと三人でゴルフを楽しみました。空模様が心配だったのですが、8時7分にスタートできたので、14時前には上がることができ、お風呂に入って会計をする頃になって雨足がひどくなりました。運の良い男の代表である大村さんのおかげで、雨も待ってくれたようです。

敬愛する大村さんと久松さんと、本当に楽しい一日でした。
敬愛する大村さんと久松さんと、本当に楽しい一日でした。

■昨日は夕食を終えて、ほっと一息。土曜日に再放送されている、刑事コロンボ・ベスト10の予約をしようと番組表を見ていて驚きました。 NHK BS で、黒澤明監督の映画が、こっそりと放映されているのです。予約したのは3作品。「七人の侍」、「椿三十郎」、そして「用心棒」です。 黒澤監督は、1998年9月6日に亡くなっているので、今年は没後21年になります。没後10年には BS で黒澤明監督作品特集を行ったはずです。 1910年3月23日生まれなので、前回の特集は生誕100年だったかもしれません。

著作権の期限は、日本は1971年1月1日より原則、死後50年を採用していました。その後、2003年の法改正により映画の著作物だけが原則、公表後70年となりました。さらに2018年12月30日施行のTPP11法改正により、原則、死後70年となったのです。

ベルヌ条約7条によれば、加盟国は、著作権の消滅までの期間を最低でも著作者の死亡から50年としなければならない、とされています。著作者の死後50年まで著作権を保護する趣旨は、著作者本人およびその子孫2代までを保護するためであるとされています。

著作権を何年まで保護するかは、大いに議論があるところです。しかし死後50年もすれば、それで十分ではないでしょうか。子孫2代までとベルヌ条約にありますが、 子孫に不労所得をそれほど残す必要があるのでしょうか。某監督の息子さんが、記念館を作ると言って、何度も資金を集めては、おじゃんになっているのは、どうしたことなのか。子孫のために美田を残す必要があるのでしょうか。優れた作品ほど、公共財産なのです。どんな天才でも、先人の作品から学んで作品を創造しているのです。全くの独創作品など、この世にはあり得ません。没後50年で、創作者に対する敬意は、十分に払われたことになると私は思うのです。

供述弱者

■20190320(水曜日:晴れ)

s_20190320
今朝走っていて、ある家の横を流れる小川脇にありました。

■今朝は走りました。昨夜は沼津医師会の理事会があり、年度末でもあったためか検討事項が多く、終了したのが21時近くになってしまいました。家に帰りお風呂に入ってから、早々に床に入りました。昨日の午前中は、一年に一度の人間ドックを受けました。これまで何度も助けていただいた別宮先生に診ていただいています。私はどうも気管支が弱いようで、いずれ旅立つとすれば、死因は肺炎になるでしょうか。

今朝は7.07 km を走り、これで今月は通算71.36 km、 残り11日で28.63 km となりました。ここ数か月は長い距離を走る LSD を敢行していません。高野コーチに散々アドバイスされてきたのですが、 なんだかんだと休日に用事が入ってしまい、実施する機会を逃しています。ということで今月は10回走り、そのうち8回は7 km 、1回は6 km 、そして一度だけ8 km を走ったのみです。これでは余裕を持ってフルマラソンを走るという、私の究極の目標を達成することは、当分できそうにありません。それに昨日の人間ドックで、最後の結果説明の際に、無理をしてフルマラソンを走るのはやめた方が良いかもしれないよ、と助言されましたので、少しめげてしまいました。まあ、なんだかんだ言っても、とりあえずは月100 km 走るという目標だけは達成していき、可能であれば少しずつ目標を高くしていければと願っています。

■今日の朝刊には呼吸器事件再審決定、と報じられています。滋賀県のある病院で2003年に発生した呼吸器事件から16年を経て、再審開始が確定しました。 殺人罪で懲役12年が確定し、服役して出所した後も、無罪を訴え続けてきた元看護助手のNさんは、父が入院する病院に駆けつけて報告し、「両親が何より望んでいた決定を伝えることができた」と喜びを噛み締めた 、と報道されています。

この記事の解説の中で、供述弱者の捜査に警鐘、とあります。 記事にはこうあります。

殺人を自白したNさんの供述を「取調官に好意を抱き、関係を維持しようと虚偽自白した可能性がある」と疑った大阪高裁。その判断を最高裁が追認したことで、虚偽自白に追い込まれやすい「供述弱者」の取り調べのあり方にも警鐘が鳴らされた。供述弱者の虚偽自白は、 N さんに限ったことではない。未成年や知的障害者の場合には、同様の危険性がつきまとう。だが、取り調べに弁護人が立ち会う制度はない。

神奈川大法科大学院の白取祐司教授(刑事訴訟法)は「虚偽自白を防ぐのに最も有効なのは、弁護人の立会い制度の導入だ。今回の事件が制度化のきっかけになれば良い」と話されています。 私も、その通りだと思います。

アメリカの人気テレビ番組、「ロー&オーダー」を見ていると、つくづく日本とアメリカの司法制度の違いを痛感します。犯罪容疑者に対して、アメリカの制度が過度に人権を尊重している、とも日本人の私には取れますし、逆に日本の制度は人権侵害だ、とアメリカ人なら思うかもしれません。どちらが国際水準に基づいているのかは、どうやら明々白々のようです。 白井聡先生の永続敗戦論ではありませんが、戦前から戦後にかけて、変えておかなければならなかった問題点のいくつもが、いわば棚ざらしの状態のまま戦後の時間が流れているように、私には感じられるのです。

中華ブックリーダー

■20190319(火曜日:曇)

新沼津カントリークラブの2番ホールです。両側に OB が待ち構えています。私にとっては鬼門です。

■今日は午前中人間ドックの予定です。昨夜6時過ぎに夕飯を食べてから、固形物は摂取できない状態です。今朝は6時に目覚まし合わせておきました。夜中に2度ほど目が覚めましたが、3時頃最後に目が覚めてからは、しっかり寝ることができました。 毎年年度末になって合わせて人間ドックを受けるのですが、今年も同じことの繰り返しでした。

去年の冬から、自律神経の調節機能が落ちてきているようで、体温調節機能の可動域が狭まっているようです。 寝巻きや布団が厚すぎると、体温が上がってしまい、それによってどうも動悸が起きるようになったようです。なぜ動悸が起きるか、当初気づきませんでしたので、 知り合いの心臓血管外科の先生に相談し、24時間心電図を検査してもらったり、冠動脈の造影検査も行いました。どちらの検査にも、幸い異常は見つかりませんでしたが、フルマラソンを走るつもりならば負荷検査をした方が良い、との最後の助言を果たさなければなりません。

■LikeBook MarsというAndroid搭載電子書籍リーダーが発売されています。中国のメーカーです。代表的な電子書籍リーダーとしては、 Kindle や楽天が発売しているKoboがあります。これらの端末の特徴としては、画面が液晶でなく、 e ink と呼ばれる特殊な素材を用いていることです。カラーではなく白黒なのです。何を今更白黒画面で、と思われるかもしれませんけれども、 読書をするだけであればカラーである必要はありません。むしろ白黒の方が、目に対する負担はずっと少ないのです。

寝る前には布団に入って、必ず読書をしてから休むのが私の習慣なのですが、この時の読書用の端末は Kindle なのです。液晶画面から発せられるブルーライトが、睡眠障害のもとになるとはよく言われることです。 E ink には、そうした副作用がありません。 こうした分野において、今までは Kindle とKoboの独壇場だったのですが、 タブレットに近い形での読書用端末が登場してきているのです。基本ソフトはタブレットと同じように 、基本ソフトとしてAndroid が使用されています。 ただ読書用の端末ということですので、タブレットのようにスムーズにネットサーフィンができるというわけにはいきません。その代わりバッテリーの持続時間が大変長く、読書をしているだけであれば、一週間から2週間充電しなくても使用できる端末もあります。割り切っての使用であれば、とても便利で、有効な製品だと私は思います。 こうした新しい読書用の端末が、次々に登場してくることを私はとても楽しみにしています。

蓄電池

■20190318(月曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブの17番ホールです。
新沼津カントリークラブの17番ホールです。

■今朝は走りました。7.06kmを走り、今月の通算は64.29km、残り13日35.70kmのところまで来ました。昨日は新沼津カントリークラブの月例でした。散々な成績でしたが、その中にも少しだけ光明が見えたような気がしました。毎日少しずつ鍛錬を積むしかないのです。少しでも成長している自分を実感できる、というのはとても嬉しいものです。レベルが低くても良いのです。少しでも前に進む、成長しているという実感こそ、生きている証ではないでしょうか。とてもわかりやすく、そうした実感を得ることができるのが、スポーツの良いところです。

■電気自動車の時代が来る、と言われて久しい時間が経っています。 地球温暖化の問題から化石燃料の主要を以下に減らしていくかというのは喫緊の課題と言われています。環境汚染の問題からもガソリンエンジンから電気自動車へ、という流れは間違いのない方向のようです。しかし問題は山のようにあります。一番大きな問題が、蓄電池でしょう。リチウムイオン電池が開発され、パソコンやスマートフォンなど、身近な IT 機器に導入され、日常生活を大きく変えるまでになりました。もう一段の突破口が開かれれば、社会は大きく変わるに違いありません。

蓄電池にはこんな役割も期待されているのです。仮想発電所(バーチャルパワープラント=VPP)と呼ばれる仕組みが注目されています。学校などの公共機関の屋上に設置された太陽光発電パネルが、あまり有効的に使われていないという記事を散見します。送電網に乗せられて無駄なく使われていれば良いのですが、どうもそうでもないらしいのです。仮想発電所とは、こうしたパネルで発電された電気を、蓄電池の中に貯めておき、夏場などに電力需要が高まった時に、こうした蓄電池から放電して公共機関で使用するのです。インターネットを通じて、そうした仮想発電所の状況を把握し、全体の需要と供給のバランスを、管理センター一箇所で把握しながら、バランスをとることができるのです。そのことによって電力会社の需要を減らすことができるのです。 経済産業省担当者によれば、「 仮想発電所で需要調整できる量は、平成30年時点で1日の最大需要の6%、900万 kw 程度になる」と見込んでいます。 原発9基分に相当する電力需要を抑えられ、電力会社は火力の炊増しをせずに、コストと温室効果ガスの削減にも繋げられるのです。

今すぐにでも、できるはずです。

アメリカ・ファースト

■20190317(日曜日:晴れ)

新沼津カントリークラのクラブハウスから見た伊豆半島です。
新沼津カントリークラのクラブハウスから見た伊豆半島です。

■今日は新沼津カントリークラブの B クラス月例でした。昨年 A クラスから B クラスに陥落して、もうすぐ1年になろうとしています。10年前に会員になった時には、ハンディ24からスタートしましたので、今の18はまだまだスタート地点に比べれば、ましと言えなくもないのですが、 B クラスへの陥落は、ショックといえばショックなのです。 自分が上達していた頃のことを考えると、どうやって上達していたのか、不思議でならないのですが、同じようにプレイしているつもりでも、スコアは悪くなるばかりなのです。骨格も筋肉も硬くなり、同じようにクラブを振っているつもりでも、全然別のスイングになっているに違いありません。少しでも改善しようと、自分なりに工夫して、改善しているつもりなのですが、 波があまりに大きすぎて、1日を通してみると、惨憺たる有様です。スイングをいじればいじるほど、事態は悪化するばかりです。 考えていても仕方ありません。練習あるのみなのでしょう。

■さて今日の東京新聞、「今週のことば」欄は、真宗大谷派養蓮寺前住職の中村薫さんが 、「アメリカ・ファースト」と題して書かれています。 中村さんはこう書かれています、

アメリカのトランプ大統領は、政治経済など全てに強い国を作ろうとしている。自国さえ良ければ良いということである。ヨーロッパでも極右主義の台頭が目立つ。日本も「美しい国 日本」に国粋主義が見え隠れする。その世界的な流れが、自他の差別により、格差社会を生み出している。一部の豊かな人々と、その日の生活に苦慮する人々がいる事実。また、諸外国の移民問題。ファースト主義は、平等社会を願うものとはほど遠い。

中村さんの言わんとしていることは、私にもよくわかりますし、正論だと思います。しかし、どこか違和感を私は感じるのです。まずトランプ大統領がアメリカの大統領として、自分の国の政治経済など全てに強い国を作ろうとしているのは、当たり前のことです。もしもある国の政治的指導者が、自分の国を弱くしようとしていたら、それは国を売ろうとすることに他なりません。 自国さえ良ければ良いのではなくて、まず自分の国を豊かで強くすることが、アメリカ・ファーストだ、とトランプさんが考えているのだとすれば、これ以上まっとうな政治家は私には考えられないほどです。

ヨーロッパでも極右主義の台頭が目立つ、と批判的に書かれていますが、ヨーロッパにおける極右主義というのは、グローバリゼーションに対抗して、まず自国民の利益を優先すべきだ、と考え行動している人々とも言えるのです。 移民に対して差別的、あるいは排他的だと非難する論調がマスコミには目立つのですが、これもはたして本当に現実を把握した上で、発言しているのかどうか、私には大変疑問です。何百万人という移民たちが、津波のように押し寄せている状況を想像すると、とても綺麗ごとだけで済むとは思えないのです。経済が右肩上がりに成長し、いくらでも労働力を吸収できるような社会であれば、円満に事は進むのかもしれませんが、そうでない限り、起きている現実というのは、簡単に言えば職の奪い合いになっているはずです。

グローバリゼーションや移民の流入によって、ごく普通の白人労働者の皆さんが、 職にあぶれて生活に困窮する事態になった時に、その人々には能力がないからだ、と突き放すことが果たしてアメリカの政治家として正しい行動なのでしょうか。誰もが特別優れた能力を持っているわけではないのです。普通に学校を卒業し普通に就職して普通に家庭を持って生活している人々が、困窮するような社会が、果たして正しい社会なのでしょうか。

移民の多くは結局のところ、安い労働力として、経営者や資本家の利益を極大化させているだけかもしれません。 移民の人権を声高に主張する人々の中には、 人権を単なる隠れ蓑にしている人々も、いるやもしれません。 グローバリゼーションを推し進めないと、国は貧しくなり、国民は貧乏になるばかりだと主張している人々の中には、 結局のところ私利私欲を満たしているだけの人々が、結構いるように私には思えるのです。危ない、危ないのです。

スキャン

■20190316(土曜日:曇)

昨年の今頃の新沼津カントリークラブの様子です。
昨年の今頃の新沼津カントリークラブの様子です。

■今朝は5時半に目覚ましをかけて起き出しました。最初から走るつもりはありませんでした。走ってきてからシャワーを浴びて、朝食をとり終わると、残された時間が少なくなってしまうのです。午前6時25分現在、こうしてブログを書いているわけですが、今朝の新聞を読みながら、切り抜きも作成し、 スキャン・スナップでPDF 化し、同時に Evernote に保存しています。 最近は、 Google ドキュメントで音声入力を使用して書いています。スマホで文章を書くときには、 Simeji による音声入力を利用していますが、エイサークロームブック R 13で今のように書く時には、句読点は自分で入れながら、書いていくのが一番効率が良いようです。

ScanSnap の最新版の機能をホームページなどで確認すると、ハード面はもちろんのこと、ソフト面でかなりの進歩があるようです。種種雑多の資料、あるいは原稿を読み取らせると、自動的に判別してくれて、フォルダーに分別してくれるようです。例えば原稿、領収書、名刺といった具合です。 私が今利用しているのは ScanSnap の Evernote 版と呼ばれる機種です。つまりはスキャンした後に、そのまま Evernote に保存できるのです。最新版では書類の内容から、ファイル名まで適切なものを選んでつけてくれるようです。 ハード面はもちろんですが、やはりソフト面での進歩が顕著なのに驚かされます。

昔のスキャナーは、ハンドリングと言いますか、それが悪くて、資料の目詰まりが結構起こりました。1枚2枚のスキャンでしたら問題ないのですが、100枚200枚という量になりますと、途中で詰まってしまって、うまくいかないことが多かったのです。ところが私が現在使用している機種では、その点が随分改良されて、例えば300ページもある文庫本を PDF 化したいという場合でも、スキャンする前の事前の処理をしっかりしておけば、まず目詰まりを起こすことはありません。

この事前処理の大切さに気づくのに、少し時間がかかりました。つまり文庫本を処理する場合、背中の部分を裁断するのですが、 5 mm 以上は裁断しないと、 ページが完全にバラバラにならずに、一部の背中が融合したページができてしまい、スキャン途中で止まってしまうことがあるのです。 スキャンをかける前に、十分ページをばらしておくことが、上手に処理するための必須条件です。これさえ行っておけば、文庫本のような薄手の紙でも、見事なまでに短い時間で、きちんと PDF 化してくれます。スキャンの質も大変向上しました。文字がにじんでいたり、判読しにくかったりすることは、ほとんどありません。新聞の切り抜きのようなものでも、 問題なく読めるだけの判読性を備えています。

そうして PDF 化したファイルを、 Dropbox 経由でタブレットに取り込み、サイドブックスというアプリで読書をするのです。このサイドボックスというアプリは、とても優れものです。本棚のような画面が現れ、それぞれのファイルを作成したフォルダーの中に、分類できるのです。文学、歴史、ファーブル昆虫記、そして村上春樹というフォルダーが私の本なのには並んでいます。本物の書籍のページをめくるように、画面の隅をタッチすると、ページがめくれてくれるのです。本物の本を読んでるような錯覚に陥るほどです。これをタブレットで読むのですが、先日購入した中華タブレットは、画面も十分美しく、また大きいので、文庫本の小さな字が、何倍にも拡大され、老眼の目にもとても楽に読書ができるのです。

全個体電池

■20190315(金曜日:晴れ)

昨日の夕方、駅に向かう時に写しました。バイパス越しに見た夕焼けです。
昨日の夕方、駅に向かう時に写しました。バイパス越しに見た夕焼けです。

■今朝は走りました。いつものように5時半に目覚ましをかけて、 起きだしたのですが、日に日に日の出が早くなっているのか、もう玄関を出る頃には、すっかり明るくなっています。今日は生ゴミの日ですので、所定の位置においてから、準備運動を始めました。7.09 km を走り今月の通算は57.23 km、 残り16日で42.76 km となりました。

7キロを走ってスマホで確認すると、歩数にすると約9000歩。ということはフルマラソンを走ると、単純な計算では54000歩ほどということになります。まぁ大体5万歩ということでしょうか。 あやちゃんにも話したのですが、フルマラソンとなると、ゴールは遥か彼方に思えますが、一歩一歩前に進んでいけば、時間はかかっても5万歩でゴールにたどり着けるのです。 一番大切なのは一歩一歩前に歩み続けることです。たとえ、どんなにゴールが遠く思えても歩み続けることです。

■3月14日付の東京新聞には、全固体電池の記事が掲載されています。サンプル出荷開始、と報じられています。電気自動車の普及が叫ばれていますが、正直まだまだ一般化するには時間がかかりそうです。一番大きな課題は、走行距離ではないでしょうか。現実的には、一度に100 km 以上走るということは、ほとんどないはずです。特に都会では、その傾向が強いはずです。とはいっても、ガス欠ならぬ電欠になることが、利用者の恐怖心として強く刻み込まれているように思われます。この恐怖心を解消しない限り、広く普及するのは難しいのではないでしょうか。

最近発売されたリーフのモデルでは、航続距離がかなり改善され、通常使うには全く問題のないところまで来ています。ただしそのためには、たくさんの電池を積み込まなければなりませんので、重量が大きくなるのは致し方ありません。今まで以上に、軽くて安全で容量の大きい蓄電池が開発されれば、電気自動車の弱点は、全て克服されると言っても言い過ぎではありません。その時、電気自動車はガソリン自動車を、凌駕するのではないでしょうか。 全固体電池には、その可能性が秘められているのです。

まどろみ

■20190314(木曜日:晴れ)

庭の柿の木の新芽です。

■二日続けて走りましたので、今朝はゆっくり休む予定でした。最後に目が覚めたのが4時半でした。走るつもりならば、ここで起きてしまわないと、30分後に起きだすのは、とても難しいのですが、今朝はそのまま、もう一度眠りに落ちました。そして心地よい、まどろみの時間が1時間ほど経過しました。経験的に、こうしたまどろみの時間には、 嫌な夢を見ることは、ほとんどありません。なぜなのかは、わかりません。

もう今になると、どんな夢を見ていたのか、思い出せないのですが、まるで子どもの頃に戻ったような、そんな時間が過ぎていったような気がします。私の子ども時代といえば、埼玉県川口市で家族5人で過ごした、昭和30年代ということになります。こうして今使っているパソコンもなければ、テレビもない時代でした。毎日何をしていたのだろうと、思いだそうとしても、本当に断片的な記憶しか蘇りません。

中学生時代の友人に誘ってもらい、同じクラスでもなかったのに、昨年クラスの同窓会に誘ってもらいました。川口に行くたびに、家族が住んでいた公団住宅跡に立ち寄るのですが、大きく発展した川口の街には、昔の面影はほとんど残っていません。幸いにも、道路を隔ててあったお寺だけは残っています。 道路の向かい側は畑で、キャベツが実る頃になると、モンシロチョウが 湧くように現れたものです。 お寺は、その畑の向こう側にありました。あの頃は高層ビルもありませんでしたので、お寺がずいぶん大きく見えました。先日立ち寄った時には、ビルの谷間に隠れるようにして、ひっそりとお寺がありました。境内にある木々も、子どもの頃には随分と大木に見えました。夏休みには、毎日のように蝉取りに出かけたものです。お寺に入ると、四方から蝉の声が、天から降り注ぐように聞こえてきました。蝉しぐれです。 半世紀以上の時が経ちましたけれども、あの頃と変わらないのは、このお寺と、そして荒川の様子だけになってしまいました。

ジョン・ウェイン

■20190313(水曜日:晴れ)

s_20180315
昨年三月に咲いた、たくまんぼ、です。

■今朝も走りました。昨日も走ったのですが、今月は考えてみると、日曜日、祭日と、出かけなければならない用事があり、まとめて走ることが難しそうなのです。従って走れる日には走っておかないと、最後に来てあわてふためくことになりかねないのです。ということで今朝も7.08 km を走り、今月は通算50.14 km、 残り18日49.85 km となりました。エプソンのホームページにランニングウォッチを接続して、記録を登録しているのですが、今朝は、50 km達成おめでとうございます、という画面が出てきました。 ようやく道半ばを超えたというところです。

■先日の東京新聞「太郎の国際通信」では、「さらばジョンウェイン」と題する記事が掲載されていました。アメリカカリフォルニア州ロサンゼルスの南部、オレンジ郡にある「ジョンウェイン空港」は、州南部の主要空港の一つで、地元に住んでいたこの大スターを讃えて命名されたそうです。ターミナルビルには拳銃を腰に差したカウボーイ姿のジョンウェインの銅像も飾られています。ところが、ここに来てその名前を冠するのが不適当だという指摘が強まっているそうです。そのきっかけとなったのが、ロサンゼルスタイムズ紙に掲載された論評記事で、ジョンウェインが1971年に雑誌「プレイボーイ」に語った内容が人種差別的であり、性差別的でもあるので空港の名前から削除すべきだ、と記事の中で論評したことがきっかけのようです。
そのインタビュー記事の中でジョンウェインは「黒人が教育を受けて責任が取れるようになるまで自分は白人優越主義者でいる」と語っています。確かに今の常識から言えば、許されそうもない発言なのですが、なぜ48年も遡ってこれを問題にするのか、疑問がないわけではありません。 これに対してロサンゼルス誌の記事は、

オレンジ郡は昨年11月の中間選挙でトランプ大統領を支持した共和党の候補者を全て落選させた。その結果オレンジ郡は経済的にも人種的にも多様な社会になり、人種主義者の名前を冠した空港から出入りすることなど許されなくなったのだ

ジョンウェインはトランプ支持者に共通の価値観を持っているので排除すべきだという論法なのです。無敵の西部劇スターもカリフォルニアで根強いトランプ反対の勢いに煽られてしまったようです。

トランプ大統領だけの責任ではないのですが、アメリカ社会における分断の様相は、かなり根深く、そして広範になっているようです。

適材適所

■20190312(火曜日:晴れ)

日に日に、春の到来が感じられる毎日です。

■今朝は走りました。 昨夜は沼津医師会で会合があり、少し寝るのが遅くなりましたが、今朝は5時半に起き準備を始めました。今日は生ゴミの日ですので、用意してくれてあった袋を持って所定の位置に向かいました。ありがたいのは、5時半に起床して、走る準備をして玄関を出ると、もう明かりが要らなくなってきたことです。2週間、いや一週間前ですら、この時間帯ですとペンライトがないと暗くて危なかったのですが、確実に日が延びているのです。3月21日が春分の日ですので、まだ夜の長さに比べて昼の長さは短いのですが、日に日に暖かさも募り、春の到来が感じられる今日この頃です。今朝は 7.12 km を走り、 今月の通算距離が43.05 km、残り19日で56.94 km のところまで来ました。

■今朝の東京新聞には、こんな記事が掲載されていました。「感情的な人とは議論できない」。原発再稼働を巡り、経団連会長、とあります。経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)が11日の記者会見で、原発の再稼働をめぐる国民的な議論について「感情的に再稼働に反対する人たちと議論することはできない。好き嫌いを離れ、このままでは立ち行かなくなる日本のエネルギー政策をきちんと議論をしていく必要がある」と述べました。 原発を推進する立場である中西氏は、これまでも原発を含むエネルギー政策に関する一般公開の討論を提唱してきましたが、一方で、脱原発を訴える「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」が1月に、経団連に対して公開討論会の開催を要請しましたが、経団連はこれを拒否しました。

難しい問題であることは論を待ちません。確かにエネルギーの総量が足りなくなれば、日常生活が立ち行かなくなることは明々白々です。経団連会長としては、それだけは何としても避けたいという強い思いがあることは、十分理解できます。しかし福島での原子力発電所の事故を経験し、しかもその放射能汚染の問題が何一つ解決していない日本としては、世界のトップランナーとして脱原発、自然エネルギーによる、持続可能な社会を作り上げるという強い意志を、世界に向けて訴える歴史的使命があることも事実です。

原子力発電所の建設にこれまでも関わり、そしてこれからも維持・管理に関わり続けなければいけない日立製作所の会長という立場にある、中西氏が経団連の会長を務めていること自体が、一番の問題点ではないかとすら私に思えます。脱原発に向かうのは歴史の流れだ、とたとえ個人としては思っていても、日立製作所の会長としては、口が裂けても言えないというのが現実ではないでしょうか。 経営者としても人間としても、とても立派な方なのでしょうが、適材適所とは言い難いと私には思えるのです。原発事故の前であれば、適材適所であったのでしょうけれども。 日本の限界と言うか、そもそも日本という国の宿命なのか。 感情的な人たちとは議論できない、ではなくて、私利私欲のトップとは議論できない、という意見すら出てきかねないのです。実に残念なことなのです。

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