■20190506(月曜日:曇)

メルボルンの夜明けです。
メルボルンの夜明けです。

■さて長かった10連休も今日で終わりです。 長い人では4月27日の土曜日から休みに入っていますが、私は4月28日の日曜日からの連休になりました。今年の連休の最大の出来事は、何と言ってもあやちゃんの結婚式でした。昨年はたくの結婚式が7月にあり、まだまだ先だ先だと思っていたら、あっという間に結婚式がやってきました。とにかく暑い夏でしたが、つい昨日のことのように思い出されます。

ところが今度はあやちゃんの結婚式が5月の連休に行われると連絡があり、これもまだまだ先だと思っていたのに、あっという間にその日が来てしまいました。ベンとは昨年の1月のメルボルン訪問、そしてたくの結婚式と2回会っていましたので、おおよその人柄は掴めていたのですが、やはり娘の連れ合いとなると見方も変わってきます。ただ会うたびに彼の真面目さと言うか、きちんとした人柄が感じられるので、 あとは信じて二人の幸せな未来を願うしか、親としてはできることはありません。あやちゃんにとっては、オーストラリアでベンと暮らすのが、一番幸せなことに違いないと思えてきました。

オーストラリアという社会が日本とどのように違うのかは、もちろん私には詳しく知りようもありません。 ただ私の感じた違いは、その気候の違いととても似ているように思われたのです。多分オーストラリア全体がそうなのでしょうが、メルボルンではとても乾燥しています。メルボルンから電車で1時間ほどのところにあるジーロングに住むジョーンズさんにお話を聞くと、オーストラリアでは自然災害といえば、落雷による火災だというのです。カリフォルニア当たりであれば、山火事となるのでしょうが、オーストラリアには山らしい山はありません。せいぜい小高い丘程度のものなのです。テレビで見るアフリカの草原に迷い込んだのではないかとすら感じてしまうのです。見渡す限り草原、ブッシュというのでしょうか、雷によってそこに火がついてしまうのです。日本では雷といえば、当然雨がつきものです。夏にしろ冬にしろ、雷といえば雨です。 ところがここオーストラリアでは、雷といえば火事なのです。 日本と比較すると、ほとんど湿気がないようなものなのです。ですから夏に気温が40°を超えたとしても、日陰に入れば、そよかぜさえ吹けばとても涼しく感じるようです。真夏でも風によっては寒くて海に入れない日もある、と添乗員の方がおっしゃっていました。

多分人間関係の違いも、この湿度の違いに似ているところがあるように私は思うのです。 それぞれが意識として独立し、他者に対してあまり干渉したり、妙につるんだりすることもないのではないでしょうか。日本ではどうしても、同調することを強制される、という雰囲気があります。自分はそうは思わなくても、なんとなく雰囲気と言うか、周囲の空気がそのように同調することを強いるのです。そうした同調をあまり気にならない人にとっては、日本は住みやすい国かもしれません。しかしながらそうした空気に合わせることが精神的にとても苦痛な人が当然いてもおかしくありません。そうした人たちにとっては、日本という社会は、とても住みにくいと私には思われるのです。

他者へのこうした暗黙の強制といったものが、良い方向へ働くことも、もちろん多々あるのですが、一旦誤った方向へ進め始めた時に、 その方向はおかしいと声を上げたり、矯正しようとする試みには、とても大きな壁が横たわっているように感じます。 戦後生まれ変わったかに見える日本ですが、諫早湾の干拓事業や、辺野古湾の埋め立て事業などを思う時、 この国はおかしな方向だと薄々感じてはいながらも、後戻りすることがとても苦手な国だということを痛感するのです。 一旦走り出した方向を止めることができるのは、未だに玉砕しか無いとすら感じるのです。新しい時代である令和に入っても、正直私は、この国の未来にとても暗いものを感じざるを得ないのです。この国にまず必要なのは経済改革ではなくて、精神的なカウンセリングではないかとすら私に思えます。