■20190514(火曜日:雨)

 

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メルボルン市内の様子です。1956年にはオリンピックが開催されました。

 

■今朝は走るつもりで5時に目覚ましをかけていました。ところが午前2時過ぎでしょうか激しく雨が降ってきて、その雨音で目が覚めてしまいました。窓を開いていないか、起きだして確認して歩きました。 結局6時まで寝てしまいました。生ゴミを所定の位置に運び、新聞を取って家に戻りました。いつものように朝食をとり、今こうして入力をしています。

 

今日は午前中、学校検診です。今日で受け持ちの学校すべてが終わります。 学校医としての関わりは、新年度早々の学校検診と、秋の就学時検診が主なものとなります。 昔と違って子供たちの数が減りましたので、どんなに生徒数の多い学校でも、私の場合は2日に分けてすることはありませんけれども、 その度に休診にして出かけなければなりませんので、 帰ってきてからが大変です。

 

■東京新聞朝刊の連載「私の東京物語」は、現在作家の雨宮処凛さんが執筆されています。雨宮さんの本を私は読んだことはなかったのですが、この連載記事を読みながら、ぜひ雨宮さんの本を読んでみたいと思うようになりました。 今朝の題名は、まさかの「右翼療法」、です。大変興味深いと共に貴重な示唆に富んでいると感じました。 生きづらさを抱えて悪戦苦闘している雨宮さんが、 作家見沢知廉(ちれん)さんとの出会いを通して変わっていった自分を、正直に綴られています。

 

それまで、自分が生きづらいのは全て自分の個人的な資質のせいで、いじめられたのも人生がうまくいかないのも貧乏なのも、全部自分が悪いのだと思っていた。しかし、右翼の人たちは「アメリカ」と「戦後民主主義」が原因だと言うではないか。生まれて初めて、私は「免責」された。

 

そして、その右翼団体に入った雨宮さんは、それまであんなに激しかったリストカットがピタリと止まったというのです。「右翼療法」だった、と形容しています。

 

1997年。バイトもしょっちゅうクビになり、大学には入れず、就職氷河期で就職など夢のまた夢、 東京には家族もいなければ地域社会にも属さない地方出身フリーターの私には、所属する中間団体が一つもなかった。そんな私は「国家」に優しく包摂された。

 

と、書かれています。 雨宮さんと似たような状況下で悪戦苦闘している人達は数多くいるに違いありません。 結局のところ、どのように生きていくかを決めるのは自分自身でしかないのですが、自分一人だけの力で生きていける人がいないことも確かなのです。人生とは、所属感を求めての旅だ、という言葉を思い出します。