■20190524(金曜日:晴れ)

 

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Pan Pacific Melbourne Hotel のフロント近く。一時、憩える空間です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。昨日は今年度最後の担当学校の学校検診が終わりました。 午前中に二つの小学校を掛け持ちして学校検診を行いました。数年前からは、学校へも手軽に持ち込むことのできる携帯用の機器を使用して、子供たちの目の状態を確認するようにしています。 3歳児検診があり、目の発達に問題がある子供達が、その時点で見つかれば問題はないのですが、残念ながらその検査をすり抜けてしまう子供たちが未だに後を絶たないのです。 特に遠視性の不同視弱視の子供達を見つけることは、とても大切です。100人に1人、こうした問題を抱えた子供達がいると言われています。小学校に入るまでに見つけて、メガネの装用や、適切な訓練を行えば、両眼ともに1.0以上の視力を獲得でき、両眼視機能も正常に発育します。

 

両眼視機能、つまり物事を立体的に見たり、あるいは動体視力の発育に問題をきたすと、様々な場面で困難をきたします。 動体視力が発達しないと、動きの速いスポーツ、例えばテニス、卓球などでは、ボールを的確に捉えることが、とても困難になります。運動神経には何の問題もない場合でも、 空振りしてしまうのです。運動神経が悪い、という一言で片付けられてしまう場合もあります。子供さんにとっては大変な不幸です。たとえ百人に一人ではあっても、その子供さんにとっては1回きりの人生ですから、 避けることのできるハンディキャップは、少しでも減らしてあげるのが社会の役割ではないでしょうか。

 

■今朝の東京新聞朝刊には、村上春樹さん特別インタビュー記事が掲載されています。「小説家40年と騎士団長殺し」です。第6回の今日は、「暗闇抜け 許しの心得る」。

 

この中で主人公の「私」が物語の最後に「私が免色のようになることはない」「なぜなら私には信じる力が備わっているからだ」と語っている言葉を取り上げています。 免色という登場人物が、「よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人です。何かに自分がコミットしているのか、していないのかということが自分でもよくわからない」のに対し、「私」は「結局もう一度結婚生活をやり直すことになった」のです。二人の違いはどこにあるのでしょうか、という問いかけに対して、村上さんは以下のように語っています。

 

もちろん愛なのですが、それ以上に、人と人との繋がりの信頼感というものが大事なことになります。免色さんには、そういう感覚が欠落しているんじゃないかな。

 

この村上さんの言葉を聞いて、私が思い出すのは、やはりアドラー心理学です。「人間の持つ全ての悩みは対人関係の悩みである」 とする、あのアドラー心理学です。 アドラー心理学の目指す最終目標である「共同体感覚」獲得への道。自己受容、他者信頼、そして他者貢献。 全ての道は、そこへ向かっているのかもしれません。