■20190606(木曜日:曇)

 

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6月2日、千歳駅まえの朝の様子です。多くのランナーがシャトルバスを待っています。

 

■今朝は走らずに休みました。日曜日の千歳マラソンで21キロを走りましたので、今月はゆとりを持って毎日を送ることができます。通常ですと月の初めに10 km 走って、積み重ねを開始するのですが、今月はいきなり21 km 記録しましたので、心の余裕は普段とは全然違います。それでも油断していると、あっという間に日々が過ぎ去っていきますので、可能な朝には少しずつ積み重ねていくしかありません。今朝は走らないと決めていましたので、目覚まし時計を5時半に合わせておいたのですが、どういうわけかいつものように5時前に目が覚めてしまいました。今朝は缶やビン、ペットボトルなどの資源ごみの日でしたので、所定の位置に運んだ後で、朝刊を郵便受けから取り出して家に戻りました。

 

朝食は一杯のコーヒーとバナナ一本、そして納豆とヨーグルトです。ヨーグルト製造機で増やしながら、毎日40 グラム 程度でしょうか、ヨーグルトを取っていると、お腹の調子もとても良いようです。先日テレビで、自律神経の安定には腸の働きがとても大切だ、という専門家のお話が放映されていました。 そのためにはヨーグルトとか納豆などの発酵食品が、とても有効だそうです。以前から、そのように私は心がけていましたので、我が意を得たり、という思いでした。これからも続けていきたいと思っています。

 

■今朝の東京新聞朝刊文化面には、縄文人の生活についての誉田亜紀子さんの記事が掲載されています。「縄文人はミニマリスト なぜ使える土器を捨てたのか」。ミニマリストとは、持ち物をできるだけ減らし、必要最低限の物で暮らす人という意味です。縄文人は基本的には狩猟採集民族ですから、移動生活をしなければなりません。集団で引越しをする際には、当然土器も処分されるわけです。壊れたら破棄されるわけです。ところが調べてみると、まだまだ綺麗で使えそうな土器が廃棄されていることが発見されます。なぜだろうかと、誉田さんは推測しています。

 

例えば、一つの土器に愛着を超えた執着が生まれた時にはそれを壊さねばならない、という暗黙のルールがあったとしたらどうだろう。物や人に固執し、知らない間に心ががんじがらめになっていることがある。そんな状態にならないように常に心をフラットにする手段として、まだ使えるけれど、一つの土器に執着してしまった時には自らの手で壊す、ということが縄文人の世界にはあったかもしれない。

 

縄文人の人たちも、そして誉田さんも、慧眼の士に違いありません。