■20190616(日曜日:晴れ)

 

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6月2日の朝の千歳駅前の様子です。抜けるような青空ですが、気温が上がるのが心配でした。

 

■今朝は走りました。昨夜はTakuから、とても嬉しいニュースがあったので、いささか興奮して寝つきが悪かったのですが、5時前には目が覚め準備を始めて走り始めました。今朝は昨日からの雨も上がり、まるで台風一過のような青空と強風が吹き荒れています。新沼津カントリークラブの月例なのですが、残念ながら今日は休日当番日。8時から17時までは籠の鳥です。ゴル友の久松さんと植松さんが、良い成績を残せることを祈るばかりです。

 

一週間ほど前から、糖質の摂取を制限しています。例えば昼ご飯の白米は食べていません。おかずだけ食べるようにしています。「糖質過剰症候群」を読んでから、少し試してみようと考えたのです。まだ取り組み始めて一週間ほどですので、何がどう変わるわけでもないのでしょうが、少しエネルギー不足に陥ったような気がします。実際わずかの間ですが実行してみると、体重が少し減っています。右膝のための筋トレを同時に開始しましたので、ただ体重が落ちただけではないと思うのですが、いささかガス欠のような状態なのです。体重を落とすのが目的ではありませんので、減量になってもあまり嬉しくないのですが、確かに変化が起きているのかもしれません。

 

偶然の一致か、ただ疲れが溜まっているだけなのか、その辺りは判然としませんが、 とりあえず1ヶ月は続けてみようと思っています。今朝は6.11 km を走り、これで今月の通算は58.91 km。残り14日で41.08 km となりました。

 

■今朝の東京新聞「大波小波」 欄は、「孤独の覚悟」と題して書かれています。「咳をしても一人」。尾崎放哉の有名な俳句から書き出されています。

 

晩年、結んだ小さな庵で詠んだと言われる。病んだ身を支えるどころか、自分が病んでいることを知る者すらいない。それほどの孤独とも読める。そもそも誰しも死ぬのは一人でしかできない。

 

「生ぜしも死するもひとり柚子湯かな 瀬戸内寂聴」

 

現在のかまびすしい議論は、この冷厳な事実から目を背けていまいか。 死において道づれなど存在し得ない。だから、他人を道連れにしない社会づくりも重要だが、それ以前に、人は個別の死を死ぬしかない、という事実を各人が認めることの方が大事なのではないだろうか。放哉や寂聴の句はそれを教えてくれる。

 

私自身も60代半ばを過ぎ、子供達も一人前になった今、いずれは自分自身も旅立つのだという、 切迫感のようなものが芽生えています。家族に囲まれて幸せな最期を迎える、という映画のような場面を思い描くこともできるのですが、結局のところ、「人は個別の死を死ぬしかない」と覚悟することが大事なのでしょう。