■20190919(木曜日:曇り)

「北の国から」の家に向かう途中のクイズです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は終日雨の一日で気温も上がらず、空調を使うこともありませんでした。のんちゃんが以前から飼っていたウサギのペット、ダラが手術を受けることになり、動物病院で昨日手術を受けました。大変な一日だったようです。人間に換算するとかなり高齢のようで、色々病気が出てくるのも致し方ないんでしょう。一日も早く元気になってもらいたいものです。

■さて東京新聞に連載されている「一心不安・現代日本人の個と孤」の昨日の原稿は「すっぱいぶどう」でした。イソップ寓話の一つ、あのすっぱいぶどうです。あらすじは、こうです。お腹を空かせたキツネが、おいしそうに実った葡萄の房を見つけました。食べようとして懸命に飛び上がりましたが、高いところにある葡萄には、何度跳んでも届きません。とうとうキツネは「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみを言って去って行きました。

この話のように自身の考えと現実の状況が矛盾する時に、新たな信念や考えを持つことを心理学では「認知不協和」といいます。著者の名古屋大学教授、川合信幸先生があげる、分かりやすい例が喫煙者の言い訳です。

喫煙者が「喫煙する」と「喫煙で癌になりやすい」という二つの矛盾を抱えた時に、それを解消するには禁煙するか別の信念を持つかのどちらかを選ばなければなりません。禁煙すれば一番良いのですが、それは大変なので、「喫煙者でも長寿の人もいる」、「肺がんよりも交通事故で死亡する確率の方が高い」という理屈を作ったり、断片的な事実を信じることで矛盾を解消しようとする行為です。

イソップの「すっぱいぶどう」の教訓は、負け惜しみを言うな、ということでしょう、と川合先生は書かれています。でも、なんとかとハサミは使いようでして、この認知不協和も、上手に使えば不快な気持ちをやり過ごせるかもしれない、と川合先生は書かれています。例えば

「みんなと一緒にいたい」。でも「仲間外れにされる」なら、「あの人たちは、わたしが仲良くすべき人ではない」と信念を変えてしまえば矛盾は解消します。届かない葡萄に無理に飛びついて怪我をする必要はないのです。

と最後に書かれています。いじめ問題で苦しみ自殺にすら追い込まれかねない、学校での状況を考えると、こうした考えはとても大切ではないかと私には思えるのです。